結局人生50歩100歩 じゃないかもしれない。

楽曲よりも、本来その後ろ側にあった筈の「物語を消費する」文化っていつ頃からあったんだろう。

2014-02-07 Fri 17:30


【物語の消費】という言葉がネットを飛び交っている。

事のきっかけは、ざっくり言うと
現代のベートーベンと言われて
NHKでとりあげられたような作曲家が
実はゴーストライターに作曲を外注していた
というお話。

で、申し訳ないけど
私この人の名前も初めて聞くし
日本人のクラシックというものに
とんと興味が湧かんので
この話題は完全スルーするんだけど、

音楽シーンに於いて「物語を消費」するという
新しいアプローチの快楽をプロデューサーが
消費者に覚え込ませる手法って
一体いつの頃から始まったんだっけ?
とふと考えたのだ。

私が覚えてる範囲では1995年に
テレビ東京でやっていた「浅草橋ヤング洋品店」が
「ASAYAN」と衣替えし
夢のオーディションバラエティーと
名乗り始めた頃だろうか。

ASAYANは
色んなプロデューサーとコラボして
歌手やモデルや、落ち目になった芸能人やらを
発掘する様子をテレビで流すという手法であった。

それまではアイドル歌手やバンド等とういうものは
テレビで視聴者の目に触れる段階では
既に認知されている状態(ブレイク後)であるため
相当売れてからお宝画像などといって
オーディション風景が出てきたりする物だったのが

この番組によって
オーディションを受けにきた一般人を
視聴者が好みでそれぞれ応援して
タレントや歌手にしてデビューさせるという
普通の女の子が芸能人になるまでという
シンデレラストーリーに最初から視聴者を
参加させるという、
物語を一緒に作る面白さを
覚え込まされたのかもしれない。

例えば
鈴木亜美のデビューは視聴者に電話投票をさせて
80万票を獲得し1位になった結果をうけて
小室哲哉がプロデュースするという
ボーカルオーディションだった。

リアルタイムであの番組を見ていたが
私の記憶が確かならば
大層庶民的な自宅で密着される
鈴木亜美は本当にちょっとかわいいけど
普通の女の子で、
彼女の友人達が、アナログな固定電話で
番組が用意したこれまたアナログなシステムで
一生懸命電話投票する風景は
かなり視聴者参加を意識させるものであった。
現在進行中のドキュメントにそのまま自分が
テレビを見ながら参加できるという
今までに無いアイドル発掘番組だったのだ。

そして、もうひとりのプロデューサーつんく。
モーニング娘。のデビューをかけた手売りCD
のエピソードなんかは、
結構一般の人でも聞いた事があるんじゃないか?

もっさい女の子達が実際に出された課題をクリアして
ほんとにデビュー出来るのか物語に
ついつい興味を持ってしまう視聴者を巻き込む事で
デビューする前から彼女らに親近感を感じ
自然に応援したくなるように仕向けられるという

視聴者はただ見ているだけなのに
あれよあれよという間に物語に参加させられ
登場人物の一部に消費者自身がされるという
新しいプロデュース方法であった。

要するに歌手がオーディションを受け、
合格し、デビューしたりする背景までコミコミで
消費者が参加させられることを

「物語そのものを消費すること」
とここでは言ってる訳だけど

いつしか楽曲のみで勝負するなんて
アーチストはほとんど消滅し
兎に角、消費者は音楽そのものより
物語を欲するようになった。

もっと過激で、もっと面白い物語を。

だからバラエティー番組ではあの時代
色々な形で物語を消費するプログラムが組まれた。
例えば
「ウッチャンナンチャンのウリナリ」では
ポケットビスケッツVSブラックビスケッツ
なんていう対戦型の音楽ユニットを
出演者達自身で組ませ

いろんなお題を出されて
勝負に勝ったほうがCDが出せる
みたいなゲームをする「物語」を
散々視聴者は消費してきたのだ。

そして満を持して出てきたのが
おニャン子クラブで一斉を風靡した
秋元康だ。

おニャン子クラブそのものが
毎週番組中でオーディションをやり
普通の女子高校生がどんどんテレビに出て
アイドルになっていく様を見せられていた訳で
この頃から物語の消費手法は
秋元康としては普通にやってたことなんだけど


2005年に秋元康は
「会いにいけるアイドル」と言って
秋葉原に劇場を作り、そこで毎日
けなげに歌い踊るアイドルの卵たちを
最終的には東京ドーム公演が出来るくらい
ブレイクさせるまでの物語を描いたのだ、

2014年
一番解りやすい物語を消費する手法は
いわゆるAKB商法といわれている。

消費者をまるごと利用して物語に参加させる
というのはまず
AKB総選挙が思い浮かぶ。

AKB総選挙とは具体的に言うと
自分の推しメン(推挙したいメンバーのこと)に
自由に投票できるイベント。

具体的にはCDを買い、そこに封入されている
投票権利で好きな推しメンに
投票できるのだ。

自分の好きなメンバーの順位を上げさせる為に
コアなファンは何百枚もCDを買うし
ちょっとだけお祭り騒ぎに参加したいだけのひとは
CDを一枚かって、さて誰に入れようかと考える、

総選挙はテレビ中継され、
参加した人たちは、自分が投票したメンバーの順位に
一喜一憂する。

楽曲なんてどうでもいいし、
音楽性がどうこうもそんなこと興味ない
ただ、物語に参加することで
好きなアーチストや、アイドルと
一体感を感じたい。
音楽ではなく物語を切り売りする事で
CDを売る手法。

もう麻薬のようなものだ、
音楽の背景に物語が無いと、音楽そのものに
何も感じなくなってしまった不感症の消費者は
新たな物語を求めさまようのだ。

消費者が物語を過剰に求めた結果なのか
プロデュースする側が歯止めがきかなくなったのか
卵が先か鶏が先か
わからんけど。


今回の現代のベートーベン手法は
とても気分の悪い話である。

物語を消費する商売は
プロデュースする側の提供方法と
消費者の参加方法さえ間違わなかったら
別に悪くはないと思うけど、

越えちゃいけなかった一線を
越えた感のある今回の騒動。

でも踏み越えてはいけない一線を越えさせたのは
我々消費者ではなかったのか?とも思う

より刺激を求め、御涙頂戴の物語が大好きで
そういう背景にある人が作ったものを理解して
あげられる自分が大好きで、
価値がわかると錯覚している人々

売れる物を供給する基本に立ち返れば
マーケティングとしては非常に正しい

映画等でも
「余命三ヶ月の花嫁」とか
あの手の病気ものは
非常にもにょるけど
確実にヒットするジャンルなんだよね。

アレがはやったときに
「(映画の題材にするから)どこかに不幸な人居ない?」
って探しまわってるって話があるって
聞いたときに。

ほんとに趣味悪いって
おもったんだけど、
皆さん不幸な人の可哀想な物語って
好きだよね。

あれなんで?

幸せそうなこと、裕福な事はバッシングするけど
自分には関係ない不幸や貧乏や病気の話
大好きじゃないか。
実に感じ悪いとおもってしまう。

今回の騒動はどういう風に着地するのか?
させるのか。
推移を見守りたいとは思ってる。

最後に一つ。
物語(背景)があったからこそ
それを含めての価値だった。
というものは沢山ある。

これに言及してると
書きたい事も沢山あるので
ものすごく長いブログになってしまう
というわけで
次回はそれだけをテーマにブログ書くわ。

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