結局人生50歩100歩 じゃないかもしれない。

書きたい事を自由に書きたい 面倒臭い私のMDHな思いの言語化。

2014-02-06 Thu 18:30

過去記事ピックアップで皆様に紹介しようと
どの記事が良いかなって、
なんだか図らずも毎日自分の過去のブログと
半ば強制的に向き合ってる訳ですが
しみじみと、思考を言語化しておいて良かったなと思うんだわ。

今読んでも、凄いおもしろいってのもあるけど、
やっぱり前にも書いた通り
2006年の私は何を思ってたんだろうと
素早く過去の思想や思考にアクセスできるって不思議で
奇妙な気持ちになる。

その時言いたい事を、傍若無人に
好き放題書いておいて良かったと思ってる。

で、なんでブログを復活させたかを
きちんと2014年の気持ちで
言語化して残しておきたいのである。


理由は3つある。

一番大きな理由は
「書きたい事を書きたい!」ってこと。
非常にシンプルだ。

私はもともと面白い事を書いて
誰かをあっと言わせたいとか全く思ってないだよね。
ただ今自分が思ってる事を言語化したいだけなの
漠然とモヤってる気持ちに名前を付けたいみたいな。
「この気持ちはどこからくるんだ?」を
イチイチちゃんと分析して
その結果を文章として残して
どういう風に自分は考えたかプロセスを
明確にしておきたいのだ。

ブログなんかに「考えさせられました」
って書いてる人で、
じゃあ何を考えたのかと読み進んでも
特に具体的な事は何も書いてなくて、
結局お前らなんも考えて無いじゃないか?
ってのが多いから、
尚更、自分の思考プロセスは
言語化して切り取っておきたいのだ。

それは日記形式ではじめたさるさる日記時代から
全く変わってないのである。

誰の為でもない
自分の為に書く
書きたい事を好きに書く
言いたい事を言いたいように言う

空気読むなんてクソ食らえだ、
誰かの顔色を伺って
「言いたい事も言えない世の中じゃポイズン」
じゃないけどさ


日記を書き出したきっかけも
明確にそれだった。

あの頃の私は言いたい事が山のようにあったのだ。
(いまもあるけどね。)

そしてもう一つ理由。

未来の自分を楽しませる為に書くのだ。

2004年の私は10年後の私を
ずいぶん楽しくさせてくれている。
2014年の私も2024年の私を
楽しませてやりたいのだ。

だって私の文章の一番のファンは私なので。
その一番のファンが10年後に
「面白かったよ」と言ってくれるように書く。

私が好き勝手に書いた副産物として、
私の言いたい事の本質を見抜けるような賢い人は
記事をうまく使いこなし
何らかの糧にすれば良いのだ。

クオリティは自信を持って書いているので
無料で読めて得した!
とおもってくれればいい。

誰が書いたかでもなく
どんな風に書いてあるかでもなく
重要なのは何が書いてあるかだけなので

こんなこと言わなくても
賢い人は意味が解るでしょうが
時たま、付随した色々なものの
目くらましやトラップに引っかかって
誤読して殴り掛かってくるようなのもいるので

そういう奴には
「もっと日本語勉強しなさいね」
とか
「お前って奴は小っせえなあ」
というSUZUサイン入りステッカーでも
ペタンとおでこに貼ってやろうかと思うが
ステッカー作成は外注なので有料です。



さて、ファンという記述が出たので
脱線気味ではあるが、ついでに
一言ここに書いておきたい事がある。

ブログを書いてて超ウゼえと思うのは
「SUZUファンなんです。」
「ブログ記事の毒舌が好きです。」
「痛快です!」
といきなりやってきてだな、
親しげにコメントなんかを打ち込んできて
やたらまとわりついてくる癖に、
自分にちょっとでも矛先がかすっただけで
突然ぶち切れる愚かな奴らである。

そうやって
「ファンです!」とすり寄ってくる奴は
面白さだけを享受したがる癖に
自分が言われるかも知れない事は
全く想定してないのって
あたまわるいんか?とおもうよ。

これだけ細かく突っ込み、本人が無意識でいる
深層心理を読み解くのが大好きな性格な私が
あなたの事だけスルー出来ると思いますか?
と逆に聞きたい。

いままでで一番面白かったのは
「仲良くしてると思ってたのに」という
捨て台詞を投げつけられた時である

別に個人を攻撃した訳でもなく
所属団体におけるおかしなところを
指摘した記事を書いただけですが

具体的に名指しでターゲットにされたわけでもないのに
キレられましたね。

仲良しにしてる事が私に書かれない担保になるとでも
思っていたのか愚か者めがと思ったけど。

別に誰かに気を使って好きな事書けなくなるくらいなら
友達とか要らないんで、
お引き取りいただきました。

こちとら腹くくって書いてんだ!

私、波風立てることが全く苦にならんというか
みんな仲良く幸せにとか思った事無いし
嫌われ上等なんで

私自身が友達を選定する際に
その場では、やたら空気を読んで、
周りの人に心地いい事だけ言って
嫌われないように涙ぐましいぐらいの
好かれたいオーラびんびんの態度を取る人って
なんか知らんが裏で必ず悪口言ったりするんで
まあそういう奴に興味が無いというのもある。

そもそも
衝突を恐れて都合のいい事しか言わん奴なんか
つまんないし、
信用できるかボケっておもってるんだよね。

なので苦情は受け付けませんし
書きたい事を自由に書かせろ
と思ってます。
誰にも遠慮しないし気を使わないから
面白いんじゃないか。

私がクソ馴れ合いのブログ記事書き始めたら
最近丸くなってつまんないと
どうせ思うんだからさ。

というわけで
書きたい事を自由に書きたいと思ってる
とても面倒臭い私ですが、

読みにきても後悔させないものを書くんで
そこから何かしら考えを巡らせて
自分はどう思うのかとか
考える習慣をつけていただきたく。

ブログを復活させた三つ目の思いはそれ。

私の考えと全部同じな筈無いし
全部同じだったらそっちのほうが気持ち悪いんだけど

私の考えに乗っかるんじゃなくて
あなたはあなたの立場でどう考えたのか
モノの見え方なんて十人十色
正しいか正しくないかも
前提条件で180°変わってしまう
とても儚いもの。

大事なのは私が引きずり出した視点から
その話題で自分は何を考えてどう思ったか。

漠然と考えさせられましたなんて
何度も言うが最低だからね。

私のブログをうまく利用して
考える習慣でもつけておくれ
とおもうわけだ。

考える訓練を一切受けてこなかった人に
考えろとだけいってもワカランだろうし
そして考えろという癖に
自分の考えに乗っかれという
悪い大人みたいなのも散見される。

そうじゃないんだよ、

自分は何が好きで何が嫌いで
何に高揚して、何が許せないか
最低でもそれくらいは自分で考えて
世の中に参加してほしいと
切に願うのだよ。

それには
優しい言葉で、こころに刺がひっかかるわけでもない
心地いい、万人受けするブログなんて
書いてても意味が無いのだ。

いままで自分で考える事をことあるごとに
禁止されてそのまま大人になった人たちが

いろんな人たちにコロッと騙されてるのをみるにつけ
こりゃ、最低限自分で考える事が出来るように
きっかけになるヒントを少しでも公開したい。

でもって古くからの読者さん達は
私が10年前から「かんがえろかんがえろ」だけ
ブログで耳にタコ(というか目にタコか)
が出来るくらい繰り返し言ってきたけど
どうも皆さん鈍いんで

もうちょっと踏み込んで親切に
書いてやろうかと思ったんだわ
(やっぱり私も年取って丸くなったんだね)


というわけで
ブログを復活させた理由三つ。

1:自分が書きたい事をまとまった文章で
  ちゃんと書きたい。

2:10年後の自分(一番のファン)へ
  2014年の思考記録を残したい

3:読んでくれる人に自分で考えることの意味を
  じっくり考えてほしい。


面倒臭い人だと言われ続けて早数十年。
面倒臭い私の面倒臭い思考のプロセスの公開

ツイッターだと正直消化不良だった。
140文字でとてもじゃなけど言い切れない
小分けにすると一番言いたいところではなく
枝葉が一人歩きする。

結局考えた事には瞬発力はあっても
きちんとまとめてないので
ちゃんとひとつのことに向き合って考えてない
状態が続いてた。

ここらで、一度自分のポリシーを含め
書いて自分に読ませる事で
自分はどう考えてるか確認作業が出来る。

これとても大事。
だから瞬発力のある
ぱっと浮かんだ考えはツイッター
それをちゃんとまとめて思考に注釈を入れる行為が
ブログを書く行為と

うまくわけて連動させたいと思ってるのです。


というわけで
今後とも

書きたい事を書きたいように書いてやる
もともと
私のブログの副題は
「ホントの事言う日記」だったのだ。

空気読めとか
ホントの事なんか言うな、
大人とはそういうもんだなんて

ずるい大人の言う事こそが
嘘なんだからね。

自分たちに都合の悪い事を
気づかれたり、
指摘されるのが嫌なだけでしょ。

現実と向き合う事でこそしか
進歩は無いのに。

私はこれからも叫び続けるよ
「王様は裸だ」

もちろんそれだけじゃない
「そのまま裸でいたほうがいいのか?
それともどんな服を着せたらもっと良くなるのか」
まで考える

「裸だってみんな知ってるわよ、
見て見ぬ振りするのが大人でしょ」

なんてカッコつけて言って
ほかのやり方を探すとか
最善の方法はまだあるんじゃないか?と
考えない、脳みそ劣化したクソ大人になんか
なりたくないんだよ。

全て解ったふりして
「大人とはそういうもの」なんて考え方に
これ以上の前進は無い。

そんな大人ならなる必要ない。

止まっててどうする。

老人になるまで結構な時間はあるんだ。
超高齢化社会において相対的にみれば
自分なんか若い部類だ。

そのうえなんとすばらしい事に
もう力の無い子供じゃないんだ。

小さい頃思ってた
「知ったかぶりのくだらない大人になりたくない」

まだまだいろんなことやりたいし、
違う事は違うって大声で言いたいし、
もっともっと考えたいんだよ。


私の「書きたい事を好きなように書きたい」
という思いには
そんな気持ちがぎっしり詰まってるのであった。


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