結局人生50歩100歩 じゃないかもしれない。

コミュニケーションの価値

2005-11-14 Mon 07:28
11/15にあきゃんさまがすばらしいご意見を
ご自身の日記に書いてくださいました。
私はものすごく納得したのでぜひ皆さんも
読みに行って頂けますか?
私はあきゃんさまの思ったことに対して
感服いたしやしたよ。
やっぱり私のような未熟者が考える浅はかな
話とは全然違います。



====
あきゃんさまとほとんど交換書簡のようになってるこの話題。

まあ簡単に言ってしまえば

『人間間のコミュニケーションに於いてリアル関係とネット関係の価値は違うのか?』


この話題、乱入、参入大歓迎ですので
是非とも皆さんの意見も聞かせてね。
コメント欄は次数制限があって長文が書けないので
ブログ持ってる方はトラバ送ってくれるほうが
見やすいかも。
長文ご意見書ききれない方はメールください。


この話に正解ってないとおもうのね、
だから最初に言っておく
これは私の意見であって
誰か特定の個人を攻撃する目的ではなく

私がどう思ってるかってただそれだけの話。

だから誰かを説得しようとか
同調する人同士で固まろうと
違う意見を排除しようとか
そういう気はさらさらないっす。

多様性を認めることもコミュニケーションの本質ですからね。

こういう考え方の奴もいるんだ
ぐらいにアナログな人たちはおもっとってください。



さて本題。

どうもいろんなところで気になる発言を聞くことが多い。
あきゃんさまだけでなく、周りにいるアナログな人たちは
ネットに対して偏見を持ってる人たちが圧倒的に多い。

あきゃんさまのように「私はアナログな人間なんで
ネットに偏見があります」
とスカッと言ってくださる方は
なかなか居ない。
皆、陰でこそこそネットはオタクのすることだと
偏見を持ってるのだ。

具体的にどういうことかというと
ネットで知り合った人間関係がリアルで知り合う人間関係より
価値が低いという「偏見」だ。

私はこの意識に対してとっても違和感を覚える。


なんか世間一般で多く言われてるその物差しって
私はデジタルな進化を受け入れられないアナログな人たちに
当たられてるのか?としか聞こえないんだよね、


何か物事を行う上でそれに価値の上下なんて本来ないと思うのね。
それから
そういうアナログな方々の自慢する交友関係を眺めても
うらやましいと思えるような関係の友達を持ってるとは
申し訳ないが到底思えない。

生活の狭い範囲のコミニティの中で選んだだけの
友達とつるんでる人たちの多いこと多いこと。
子供の学校のママ仲間。近所の人。会社の同僚。

生活を一にするコミュニティが一緒だから
仲良くしてる人に過ぎないような関係が
価値が高い。なんていわれると
マジですか?正気で言ってますか?と思いたくなる。

そんなある範囲の中からとりあえず選らんだ仲良しなんて
無茶苦茶儚いんじゃねーの?

仲良くなる前に、自分の考えを旗幟を鮮明に掲げ。宗教観を語り
支持する政党を明確にし、思想を明らかにしそのうえで
ある程度理解を得た上で、仲良くなったのなら
儚い関係に終わる確率はきわめて低くなると思うが
(ある程度その思想を承知した上でのはなしなので)

実際に会っただけみたいな理由で友だちになれる鈍感さのほうが
私には恐ろしい。


まあだからリアル関係の仲良しさんたちは
陰で悪口をいったりして、すぐに関係が壊れたりするわけだな。



じゃ、わかりやすくする為にたとえ話をしようか
ネットの関係を偏見を持ってみるってことは
じゃ、このケースに関してもそう思うってことですよね
って事例じゃ。


お見合いで結婚する夫婦は価値が高く
ネットで知り合って結婚する人が価値が低い



私はちゃんちゃらおかしいと思うよ。

お見合いなんていう意味不明な儀式
人となりよりも前に学歴や職業、見た目で先に判断するような
「その人のことがなーんにもわからないうちから
結婚を前提に会う」
なんて気持ち悪い行為のほうが
私にはわけわかんない
理解不能。
偏見で見るならお見合いで結婚できるような
鈍感なカップルって人生何が目的なのかと思う
とりあえず、自力でパートナーを探す能力のない
無能同士の詰まんないカップルであることに間違いはないな。

私から見てもっとも価値が低い結婚はお見合い結婚だったり
相手のことも良くわからないのに動物的なんだか野性的なんだかしらんが
(保健体育の授業に出ずに避妊することを習わなかったのか)
とりあえずやっちゃって、出来ちゃったので。
中絶する勇気も無いんでとりあえずケッコンしちゃうか~みたいな
脳みそが犬並みに未熟なカップル(=あ、犬のほうがまだ頭いいかも)

こういうアホな夫婦が私はネットで知り合って結婚するカップルより
リアルだからと言って価値が高いとは思えない。
っていうか価値が高いどころか
ものすごく低レベルだと思う。

ケッコンという人生の一大事を粗末に扱いすぎ。

特にお見合いってさ、只、結婚したいという目的が
一致した人が、この人ならセッ◎スするのに許容範囲って事で結婚するわけでしょ。
ありえないね、人生のパートナーをそんなもんで見つけるなんて
私の偏見で行けば
ネットで知り合ってお互いを分かり合ってる夫婦のほうが
パートナーとしての価値だったら絶対圧倒的に高いと思うぞ。



もうひとつ例を挙げよう
これはネットと言うとアレルギー反応を起こす
方々がいるのでわざと媒体をネットでなく新幹線にしました。



東京駅から京都まで行くとする。
新幹線で京都行く人が価値が低くて
歩いて京都にいく人が価値が高い。

アナログな行為とデジタルな行為の
価値くらべという視点で言ったら
新幹線 Or 歩く
っていうのが

ネット Or リアル
に置き換わるんではなかろうか?



上記の二つの価値の比べに何の意味もない事に
気がつかないだろうか?


ネットの友達のほうが価値が低くて
リアルの友達のほうが価値が高い。



って言う見方って結局こうやって事例をあげてみると
すごくナンセンスな話なんじゃないかっておもうんだよね。

なぜならもっとちゃんと私の偏見とかをとっぱらって
考えるとだね。

お見合いで結婚しようが
出来ちゃった結婚で結婚しようが
ネットで知り合って結婚しようが
道端であって結婚しようが
コンビニでナンパして結婚しようが
大学のゼミが一緒で結婚しようが
小学校の同窓会で再会して結婚しようが
水商売のホステスと客でであって結婚しようが
風俗嬢と常連さんで結婚しようが
職場で上司と不倫して略奪結婚しようが
主婦が音楽家と不倫の末結婚しようが

どれがだめな結婚で、どれがいい結婚かなんて
個人の物差しで計ったら全部違うわけで。

要するに本質が重要だと思うわけ。

立派な家柄で見合いして結婚しても
口も利かない仮面夫婦より
風俗嬢と常連さんの結婚でもお互いが愛し合って
理解して幸せな家庭のほうが
本質的な価値は高いんじゃないの?


私が言いたいのはだね、
リアルが価値が上で、ネットが価値が下だなんて
いう偏見は本質を見てない証拠なんじゃないかって思うわけさ。

重要なのは関係の濃さや理解度なんではないのか?
リアルだって薄い人たちはいっぱいいるよ。
私から見たら
リアルな人間関係のほうが偽善的だと思うんだよね。

電車男の話の中で
「ネットの掲示板上の友達しか見つけられないってことは
リアルに適応できないってことじゃないのか?」って
意見があったけど。

リアルで偽善的な付き合いしかやってない人なんかよりも
電車男のほうが立派に本質的なコミュニケーションは
取れているではないかと思う。


昔からずっと言っている
「リアルで礼儀正しい人はネットでも礼儀正しいし
リアルで失礼な人はネットでも失礼だ」


要するにリアルもネットも
結局人間のコミュニケーションなんて
何を媒体にしたってスタンスは変わらんのだよ。


ネットで熱い思いを持ってる人は
リアルでだって熱く語ってるし。

ネットでぼけっとしてるひとは、リアルでもボケッとしてんだよ。

ネットでやさしい人はリアルでもやさしいし

ネットで意地悪な奴はリアルだって意地悪だ

リアルで人の悪口ばっかり言ってるアホは
ネットでも人の悪口ばっかり言ってるし。

ネットであたまいいなって思う人は、リアルであっても
やっぱりすごく頭いい。


ただ、ネットのほうがより人間味が増すんだよ。
その人の本質が現れやすい。

例えばわかりやすくするために血液型を出すけど
実際に会ってると世間一般で言われてるような種別のB型じゃないよね~
って思う人
世の中のB型への認識って「マイペース、自分勝手、自己中心的」とかあるでしょ
そういう人が実際リアルではすごくA型?とか思うくらい気遣いの人で
ってあるんだけどさ
メールやり取りすると面白いくらいにB型気質が出たりする。

そういうネットと言う媒体を通すことによって
見えてくるものも多いわけ

だからネットのコミュニケーションを馬鹿にすると
多分これから良くないことがおきるような気がする。
っていうかその格差は
コミュニケーションだけでなく
デジタルディバイドという形ですでに現れてるんだよね。

デジタルディバイドに関するお話はまた明日にでも・・・・



追記です。
「~と言ってみるテスト」の正しい使い方。

状況的にこのタイミングで言うのは勇気が居る場合に
「~といってみるテスト」といって
本番ではなく、テストだということで
意見の重要性を軽くする効果をもたらすために
使う用法。


例えば
皆がどこか行くというところで盛り上がって
すでに参加者も決まり、出欠も取り終わってしまっているような
状況下で
いまさら参加表明したら幹事さんの手を煩わせて顰蹙かな?状態の時

「私も参加させてください」と言うより

「私も参加したいと言ってみるテスト」と
言うことによって
遠慮しがちな状況を演出する効果がある。


実際の場面で使うかは別として
友達のみ車でのお迎えがあった場合
「私も車に乗せて」というより
「私も車に乗せてといってみるテスト」
なんて使うとずーずーしさを消す
魔法の言葉になりますね。

(ならねーっつーの)

あとはやっぱり
皆が寿司たべる、焼肉がいい、中華にすると意見が分かれてる時に
ぼそっと
「焼き鳥が食べたいと言ってみるテスト」などと使って
自分の意見をソフトに述べるときに使います。

なので、最初から意見を求められてるシチュエーションでは
使用しません
誰からも相手にされず意見も求められてないときなどに
ぼそっと言いたいことを言うときに使うのが
正しい使い方です。

なので重要な会議中にしたっぱの平社員が
「タバコが吸いたいと言ってみるテスト」っていうのは
用法としてあっていますが

その会議に出てる一番偉い人が
「タバコを吸いたいと言ってみるテスト」というのは間違いです。

タバコをすう決定権を持っている人が
決める場合は使いません。
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