結局人生50歩100歩 じゃないかもしれない。

自分で学ぶ自由と責任

2004-04-18 Sun 00:00

で、次はPTSDですかぁ・・・
甘ったれるのもいいかげんにせえょってことで

===
今年の言葉大賞は『自己責任』でしょうかね。
結構驚きだったなあ。
日本人の辞書に『自己責任』なんて言葉は無いと思ってたんだけど、
どうも私が我が国民を見くびっていたらしい。

私たちの年代の多くは管理教育というものを受けて育った。
管理教育の発端は校内暴力が拡大したという要因もあったと思う

個人的に私の場合は私立のエスカレーター式女子校出身ということもあり
校内暴力なんて存在しないからまあ、
角度の違う管理教育をされていたように思うが
常に『何々しちゃいけない』『何々はダメ』と否定形で言われ続けてきた結果
そういう管理教育から自由になったとき、
即ちこの場合は学校と言うワクから出たときに
正直言って自分の中で何がよくて何が悪いのかの判断がつかなかった

そういえば判断する術も、基準も、常識も学んでは居なかったのだ。
そう言った自由という名のもとで
自分の行動に自由だからこそ発生する責任と言うものが
全くすっぽり抜け落ちていたのである。

自分で探すしかなかった。

そう、自分で考え決断し行動するっていうことに慣れていないのである。
本来10代前半からそういう自分の責任の元自分で判断し行動するという
訓練をしていれば、もう少し早く自由になった時の責任の重さを
感じるようになっていたかもしれない。

結局、私たちの年代は自由である事の意味と責任を学ばないで
この歳まで来てるものが多いと思う。
私が自由である代わりの自己責任や色々な社会の本当のルールを
解り始めたのは、海外で生活するようになってからだ。
誰も何も助けてくれない。自分で判断し自分で実行し、自分で責任を取る

人として当たり前の行動が海外で暮らしだしてからやっと解りかけた程度なのだ。
日本の中で学べない事ではないのかもしれないが
外に出るとひしひしと自由に伴う責任を痛感させられる。

決められた枠の中で行動する事は物凄く簡単である。
誰かが決めてくれたお約束の中では自己責任は発生しない
但し、そのワクを一歩でも出たら自由と引き換えに
責任が発生するというあたりまえのことであるが
その1番根本の大事な教育を私たちは受けていないのだ
自分で見つけた人以外、自己責任の本当の意味も、
自由の本当の意味もわからないのである。

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