結局人生50歩100歩 じゃないかもしれない。

「アッコちゃんの時代(2005)」は主人公を再利用?林真理子「花探し(2000)」の読書感想文を2015年に書いてみる。

2015-11-19 Thu 23:30
今日は林真理子 著《花探し》という本の
読書感想文を書くことにする。


SUZUブログを一番下までスクロールしていただくと
わかりやすいのであるが、どのような検索ワードで
このブログにみなさんが辿り着いているか可視化できる
ようになっている。

検索ワードで常に上位なのは
JALでもANAでもホテルでもなく、
なぜか林真理子が2005年に書いた小説
「アッコちゃんの時代」の主人公の
モデルとなった方のお名前なのである。

ときおり「最初にSUZU様のブログを見つけたのが
《アッコちゃんの時代》で検索した時なのです〜」
と読者の方に言われたりするのだよ。

実際「アッコちゃんの時代」でググるとわかるのだが
SUZUブログはかなり上位に表示されるのだ
何もSEO対策してないのに〜不思議。

で、同じ作者が書いた《花探し》

突然何故こんな古い本を見つけて読む気になったのか。
たまたま《アッコちゃんの時代》で今でも
検索に引っかかってくる人多いよな〜っておもって
自分で検索ワードとして入れてみて
えーっと一体どんな話だったっけ?っと
調べ出したのがきっかけ、
ネットサーフィンをしてるうちに、
なんだかこのアッコちゃんの使い回しのような設定の
小説が存在することに辿り着いたのだ。

それが《花探し》である。
調べていくと2000年頃に週刊誌で連載されていた小説らしい。
(出版されたのは2002年)

アッコちゃの時代よりも前に世に出ていたのですね。
それは存じませんでした。

これだけ《アッコちゃんの時代》で検索して来てくれる
方々がいるこのブログの主である私が
この本を読んでないとは!

主人公の設定が使い回しなら読んでおかねばとおもい
時間ができたので
ずいぶん時代遅れだがこの《花探し》を読んでみることにした。

《アッコちゃんの時代》を読んだ時との大きな違いは
本屋に行く必要もなく
アマゾンで本を送ってもらうのを待つこともせず
家のソファでポチッとしたらすぐに読める時代に
なっていたことである。
iPad miniにKindleでダウロードして読んだのだ。

ずいぶん未来に来たもんだな。



それでは《花探し》の読書感想文をはじめます。

この本、一気に読んだんだが、
女性週刊誌のゴシップ記事でも
まだもうちょっと含みがあるだろうと
思えてしまうほどの中身のない薄っぺらい物語で

そういえば林真理子の小説って深みとか
考えさせられることとか
なーんもなかったんだって
思い出してるうちに読み終わってしまった。
何だろう、
本当に女性週刊誌ですらない、
ゴシップ雑誌の電車の中吊りチラシレベル。


いつも思うのだが林真理子の小説の嫌いなところは、
主人公がいけすかない嫌な女だから不快とかじゃなく

どーしても作者である林真理子の影が
小説の中でチラチラちらついて
邪魔になって消せてない事なんだよね。

だから主人公をはじめとした登場人物の誰かに感情移入
とかできないし。

常に林真理子の行動が見えてくるというか。
これは私が透視能力があるからって話ではない気がする。

例えば物語の中で主人公の舞衣子(愛人を生業とする29歳)が
金持ちの美容整形外科医の娘の志乃と
香港に贅沢買い物グルメ旅行に繰り出す場面があるのだが、
この部分なんか、
「きっと週刊誌の連載小説だから
編集担当に頼んで、取材と称して
香港に連れて行かせたんだろうな〜」
みたいなことが透けて見えるというか、
これが白ける原因だとふと思ったりした。

だってこの部分だけ
不自然に小説の物語特有のもやっとしたものが
急激に晴れちゃって、
Hanakoかなんかの香港特集かなにかを
見せられてる気分になるのだ。
そう、
林真理子の香港グルメ買い物ツアーって
エッセイになっちゃってるんだもん。

ここでハヤシマリコ女史は
お得意の妄想を膨らませるわけですね。

自分が、男を虜にするような美貌と体の持ち主で
旅先でたまたま知り合った人気の男性作家に一目惚れされて
ペニンシュラのタワー(九龍側)に泊まってるはずの彼が
夜な夜なグランドハイアット(香港島側)までやってきて
激しく求められるのであった。と。

もうね、このシーンなんて
主人公の舞衣子なんかどっかいっちゃって
妄想真理子に入れ替わってるわけだよ。

読んでるこっちはしらけるしらける。
どっちらけ〜ですよ。

それからもう一つのどっちらけポイントは

事ある毎に、主人公の舞衣子が
男が自分に金を使うのをケチるのを
心の中で罵るみたいな場面があるんだけど、
この男の金の出し惜しみ方は
どうでもいい女へ対する
金の出し惜しみ方の典型なのではないか?

妄想マリコ嬢かわいそう〜と
とチラチラとここでもまた作者の姿が垣間みえてしまうところに
すごく残念な気持ちになりながら読み進める羽目に。

あれ?でもよく考えたら主人公は超絶美人設定で
たくさんの金持ちから求められる女で
次から次へと男を虜にする美貌と体とテクをもつ
愛人稼業の若い女ってことだったのでは?
妄想マリコ嬢ではないはず。
と脳内で混乱が起きる。


終始ケーキの形をしてるのに、
甘くない食べ物を食べさせられた時のような感じで、
違うよそうじゃないよ、って場面ばかりで、
この違和感がずーっとつきまとう物語なので
なんかストレスがたまるのよね。

主人公の設定
(美貌といい体とテクの持ち主の愛人)の割りに、
彼女が体験する出来事が余りに乖離しすぎて
違和感がありまくる小説だったなぁー、
と些細だけど拙い点ばかりが目立つのだ。

美人になったことがないと
美人はどう扱われるのかわからないってのが
この人の限界で
そしてそれはこういう美貌の主人公を書く上では
致命的なところなんだとしみじみ思った。


やはり小説家と言えども
全く体験のないことを書くのは難しいのであろうか
「経験(体験)のないことは想像できない」を
小説家がどう埋めるかは、
綿密な取材とかなんだろうけど、

容姿とかで得る何かという日常の体験は、
それを持つ人に対する取材だけでは
埋められない物なのだろうか。


一つ思ったのは、林真理子って
結構若い頃から売れたので、有名人としては
チヤホヤはされ慣れてるのであろうとおもう。
だから、周りからチヤホヤされるという部分において
自分は知っていると思って
美人への取材を端折ったのではないかなと
ふと思った。

でもね違うんだな。
有名な人を利害関係で周りがチヤホヤするのと
美人を周りがチヤホヤするのとは
全く質が違う話なのである。

何かを与え続けないと承認されない状態に長く置かれると、
ただ何もせずに居るだけで有り難がられる
という状況が想像できないんだなと思ったり。

美人は絶対的に後者として生きてきてるのである。
その場にいてくれるだけでありがたい存在が美人

教祖と信者の関係性がまさしく美人と男の関係なのよね、
特に何かを与えなくても有り難がられちゃうのが美人。

林真理子がチヤホヤされた方向性ってのは
彼女に物を書くという才能がなかったら?
彼女が有名人でなかったら?
彼女が周りに与えるものがなかったら?
たちまち放り出される危うさを持つチヤホヤなのである。

美人だからチヤホヤされるのと
有名人だからチヤホヤされるのは
似て非なる物なのだ。

この小説こそまさに
「豪華なお城の絵を描きました!」と
超威張って見せられたら
そのお城は四畳半が100室あるという
とてつもなく残念城だったみたいなヤツだと思う。

「経験のないことは想像できない」

また一つサンプルが増えただけである。

但し、小説家ならその経験のなさは
緻密な取材で埋めて欲しかったよね。
それがプロというものでしょう。

多分、林真理子って根が怠惰で
取材とかみっちりしなさそうだな
したとしても
インタビューくらいだろうなって
意地悪く思ってしまったよ。



ちなみに、
2006年に私が書いたブログ記事
「アッコちゃんの時代」の読書感想文を
久しぶりに読み返してみた。

ここでも「取材力のなさ」を指摘していた私
緻密な取材ができてたら
設定年度にまだ存在してない車の名前とか
絶対書かないもんね

業界の大物になった
文学界のマリコ様に
今更物申せる人がいないだろうから
この取材力のなさは矯正されてると思えんのだが

林真理子ってこういう嫌な女を
主人公として表現させたら
上手なんだから、取材さえサボらなければ
もっと深い作品になるような気がして
すごーく勿体無いと思うのであった。
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