結局人生50歩100歩 じゃないかもしれない。

ともだち100人出来るかなの呪い「友達は量より質だ!」

2014-03-05 Wed 19:30
「モラルの価値観」というブログを書いた。

  嫌いだったり許せない事が共有出来るって大事だよね。
  「モラルの価値観について」

   

自分のモラルの価値観を毀損されてまで
付き合わなきゃいかん友人なんか必要ない。
と書いたんだけど

「そんな我を通してたら、友達がどんどん離れていくよ」

と投げつけられましてね。

他にも、
色々なコミュニティに属してると、しがらみがあって
あなたのように嫌われ上等なんて言ってられないんだ
とか

皆さん、自身のモラルの価値観は守りたい思いつつ
出来ない出来ないと、
出来ない理由ばっかり並べ立てて
なんかうざーい。


で、どういう状態で
そんなくだらない考え方になっちゃってるんだ?
と考えてみたんだけど

これってもしかして
「ともだち100人出来るかな」の呪縛
なんじゃないのか?と思ったんだけど

あの歌の歌詞を思い出すと
「いちねんせいになったら、いちねんせいになったら
ともだち100にんできるかな?」
なので
設定年齢は幼稚園年長さんなんだわね。

「小学校に入学したら友達100人作るべき」
みたいな呪縛をなんと5歳児の頃から
私たちはかけられているのである。

本来なら友達のような大事なものは
「量より質」と教えるべきなのであろうが
この歌があるばっかりに
どうも「多数の友人を作る事は善」という刷り込みが
なされてるような気がしてならん。

この歌の刷り込みというか洗脳のせいで
友達は数が多い方がいいのだという
誤った基準を自分の心の中に採用してしまってる人は
多くないか?

そしてその延長線上で
友達が多い人の方が信用できると錯覚してないか?

その基準で考えるから
自分の主義主張を押し殺してでも
誰とでも仲良くするほうが
しがらみもできなくて
人間関係がうまく回るんだ

みたいになってるような気がするんだけど。

その数をキープする為にいじましく
自分の中のモラルの価値観を殺して
合わない誰かと付き合い続ける事って
ホントにいい事なんだろうかね?

友人の数を一定数以上に保つ為に顔色をうかがい
「仲良くして頂く」感覚で友人に接っするなんて
質の悪い集団と手が切れない
「不良に使われるパシリ」の思考

自分の旗幟を鮮明にしたら友達が居なくなる。
一人になってしまう。
なんて、ありもしない妄想だし、
それで卑屈になるなんて自分のことを貶め過ぎだ。

「友達が沢山いるほうが人間として素晴らしい」
という評価基準はそもそも間違っているのだ。

私は誰とでも仲良く出来るような
コウモリみたいな態度を取る奴は
自分の確固たる思いも、揺るがない信念も
主義主張もなーんにもないって事なので
全然魅力を感じない。

程度の低いゴミみたいな関係なら
そんな友人要りません。

そもそもそんなの友人ですら無いとおもうんで
ゴミ箱にポイだ。


友達なんて数の勝負じゃないんだよ
数が多いと自分の信用が上がるなんてことは無い
それより質の悪い友達の数が多かったら
自分の価値も下がるってもんだ。
そんな質の悪い友達しか持てないの?って思うから。


大人になったら余計に
友達こそ量より質にならんといかんのだよ
私は質のいい友人を最低限しか持たないと決めて
厳選すればいいと思ってる。

何故なら自分の友人達の事を誇りに思えるって、
素晴らしい事だと思うから。

そこで出てくるのが
モラルの価値観の共有なのだ。

モラルの価値観は人間関係を築く上で
無視できない要素だと前のブログで書いた。

具体的に言うと、小さな悪事のほうが影響する。
例えば
犬の散歩に行ってフンを放置するとか、
ゴミのポイ捨て、
健康なのに優先席に何も考えず座る等、
ひとつひとつは軽いけど、軽いからこそ、
それすらきちんと出来ないのか?って
思ってしまう。

これがもし大きな悪事、
要するに明確な犯罪行為や法律違反
やらかしたら即警察に逮捕されちゃうような悪い事
例えば
殺人や強盗などであった場合なら
人は拒否の立場を取りやすい、

ここで「殺人なんてあり得ない!」
と強く言ったとしても
「真面目すぎる」
等の批判は周りからも受けにくい。

しかし一転して小さな悪事になると、
「そんな固いこと言うなよ」
「あなた細かいわね」的な圧力がかかる。

きちんとルールに従う人の事を、
真面目だのダサいといって嘲笑する人々が
必ず一定数コミュニティには存在する。

低俗なコミュニティほど
小さな悪事を許容することを勇気があると
肯定的に捉え、
モラルに従うなんてバカだと言われ、
一緒にルールを破ることを
流れで強要されたりする。

どんどんエスカレートして、
真面目だったりルールを守ったりするのは
カッコ悪いという意識に錯覚させる。

そういう目に見えない圧力をかけて
小さな悪事の共犯にする事で
結果的には悪い道に引っ張り込まれてるのだ。

中学生の不良仲間みたいだわね。
でもそれを立派な大人になっても
やらかしてるのは
いい加減恥ずかしい事だと思わなきゃ。

友達は量より質
数が多ければいいってもんじゃない
年を重ねれば重ねるほど
人数ではなく質にシフトしていかなきゃね。


   ↓ ↓ ↓
追記もあります。
追記です。


問題:友達は量より質な事は判りました。
しかしとても残念な事に
「友達は量より質じゃなくて質より量だ」
と思ってる人たちが存在します。
それはどういう種別の人々でしょうか?

答えは後日ブログの記事にしますので
よーく考えておいて下さい。



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