結局人生50歩100歩 じゃないかもしれない。

今日で2月は終わり +過去記事ピックアップ「番組降板を卒業と表現する事」

2014-02-28 Fri 19:30
ちょっと間が空いてしまったので、
ブログに飽きたか?と思われてるかも知れませんが
飽きてません。

逆です逆、

書きたい事がありすぎて
まとめきれないのだよ。

専業ブロガーなら、日がな一日
文章を書いてまとめることも出来ようが、
私は人を教えるお仕事もしてるので
その教材作りやら何やらでも
文章を沢山書くので、
ブログばっかりやってるわけにいかないのである。

実はブログは空いた時間に
iPhoneかiPadminiで書いてるのだが、
ブログを書くときの私の思考スピードは尋常じゃないので
パソコンがキーボード打ちに付いて来れずに固まるんだけど。
iPhoneもminiもやっぱり付いて来れずに固まって
何故か全消えするんだよね。
なので、悲しい事にブログとか半分なくなってます。

数分ごとに自動保存してくれる筈なのに
落ちると全部消えてなくなってるの。

だから幻のブログや幻のツイートが沢山。

勿体ないですが、仕方ない。

だって、兎に角早く書かないと
言いたい事が頭の中でどんどん湧き出てくるので
キャッチできないんだもん。

昔、書くのが追いつかなくて
レコーダーに録音する方法も取ってみたけど
私の思考って声に出すのとは全く違うものらしく
全然ダメだった。

と言う訳で消滅対策は特になく、
消えたら縁がなかったと思う事にしております。
でも、泉のように自然と湧き出る思いを
文章にしてるだけなので、枯渇することもないし
いつでも同じように書けるので
書き直せと言われたら書きますけどね。

でも昔、自動保存が無かった頃
メールが消えちゃって愕然としてた時代を
iPhoneやらiPadに変えてから
また味わうとは思わなかった。

いちいち、ノリに乗って書いてるときに
思考を中断して保存するボタンを押しにいくんだけど
後数文字書いたら保存押そうって時に
落ちて全部消えるのはやはり私のキュイン体質の
なせる技なのでしょう。

ちなみに定期的に保存してくれる筈の
GMAILやyahooやメモ帳など駆使して文章を書いて
消えないように対策してみるものの
何をどう使っても消えるものは消える

10回くらい保存ボタンが押せて
最終段階で落ちて、
でもさっきまで書いてたのは残ってるよね?とおもうと
跡形も無く消えております。

いまもこのブログサイトの新しい記事を書くって所に
直接打ち込んでるんだけど、
数分に一回自動保存になる設定のはずが
なってない模様。

すごいな私のキュイン力
コレがアップされたら、
今日はキュインに打ち勝ったんだと思って下さい!


さて、
「1月は行く、2月は逃げる、3月は去る」
2月の最終週、忙しくしていたら
こんな言葉を思い出させてくれた人が居ました。

小学校のときに先生がこんなことを言ってたと。

ほんとに逃げられたのかと思う位の早さで
2月はあっという間に終わってしまった。
この逃げていく早さの2月中で
ブログを復活させ、
10本記事を書く事が出来たのは
自分ながら満足であります。

1本の記事が大体5000文字
削ったりまとめたりしてるので
下書きを含め1本の記事を書くのに
1万文字は書いております。

これも超早書きだからなせる技。
そして暇じゃなかったからこそのなせる技

「忙しい人に物頼め」

とはよく言ったもんで
忙しいほうが、ブログは書けるのだ。

流石に2月の最終週は、
アナログな書類との格闘があったり、
久しぶりに郵便局で切手を買って
郵便物を送るなんてレトロな事をしたりと
なかなか文章を紡ぐことは出来なかったけど
書きたいネタは山のようにあるんで
3月も同じくらいのペースで
ブログは書き続けていきたいと思ってる。

引き続きSUZUブログをよろしく。

過去記事ピックアップは追記に書いてますんで
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↓↓↓

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関連記事

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料理の画像を撮る人々のお話。いつからマナーとして撮影アウトになったのか考えてみた。

2014-02-18 Tue 21:00
昨日、こんな記事を見かけた。

「レストランで料理の写真撮るな」、仏シェフたちの怒り(AFP=時事)

レストランで料理の画像を撮影も良かった時代って
とっくに終わったような気がするんだよね。
具体的にどこの時期にアウトになったんだっけな?
とおもって色々考えてたら

ああ、なるほど
って思える答えのようなものを
自分で思い当たったので
今日はそれについて書いてみる。

私の感覚では3年くらい前(2011年)から
食事中の撮影はマナー的にはもうアウトと
感じているんで、自分でもやめてるんだけど
これってなんでアウトって風に思い始めたのかな?
とよく考えてみることにした。

で、具体的に3年前からダメだと
思い始めて自分でやめたのは何故なのかってのを
分析してみた。


問い:いつからダメになったのか?

答え:みんながスマホを持ち出したときからです。



これだけじゃざっくりしすぎてるから
自分なりの考察をここに書いていくけど
読者の方々も一緒に考えてみてほしい。

レストランで料理を撮影するという行為そのものは
10年以上前(ゼロ年代前半)から
ブロガーを中心にごく普通の特にアウトでもない行為だった。

ブログを書いてる人は常時デジカメを持ち歩き
皿一枚一枚を丁寧に撮っていた。

中には写真の知識も腕もない愚か者が
フラッシュをパシャパシャさせて
周りをびっくりさせたり迷惑をかけてる
光景は目にしたが、

私を含め沢山の人たちはブロガーさんたちが
ブログにアップする画像を見て、
散々楽しませてもらったことは事実だ。

実際、私の初期の頃のブログは、
頑張って画像を付けていたし。
デジカメが気軽に使えるようになってからは
喜び勇んで、機内食を撮影したりして
本当に楽しんでいた。

その後2008年くらいからは
ブロガーはブログによりよい鮮明な画像をアップしたがり
より性能のいいデジカメを持つようになったり、
もっと凝るとデジイチのでかいのをレストランに
持参するようになった。

この辺りが第一次撮影迷惑期の始まりである。

デジイチを抱えてくる層は
意外な事にレストラン側に歓迎されていた。
何故なら、無料で奇麗な画像を
ある程度読者のついたブログに挙げてくれ
自慢げに書いてくれるので
いい宣伝になるからである。

この辺りまでは店とデジイチブロガーとは
蜜月だったんじゃないかと思う。

腹立たしいのはお預けさせられて撮影が終わるのまで
食事に手をつけてはいけないと
無言の圧力をかけられる同行者だけであった。

そしてそのころはデジカメやデジイチで撮った画像というのは
大体は撮った事で満足してそのままお蔵入りか
ブログ用にきれいにPhotoshopなどで修正をかけ
ブログにのっけるか?

撮った後に何かするのは
家に帰ってから後日であった。
食事中にするのは単純に撮影だけ。

しかーし、
みんながスマホを持ち出して、
SNS(FacebookやTwitter)が
コミュニケーションの主流になってくる2011年頃から
参考:映画ソーシャルネットワークの日本でのDVDの発売は2011年

リアルタイムウェブという言葉が聞こえてくるようになった、

リアルタイムウェブというのは
ググっていただければ判ると思うが
情報をその瞬間に更新することで
利用者同士が同時に交流するってことね。


そう、ネットのカーストで最大の賞賛を受けるのは
個人が発信する実況中継そのものなのであった。
スマホとFacebookとTwitterのピークが
バシッと合ったからこその流れだと思うんだが。

しかし実況が出来ても、利用者同士同時に
共有する手段が無い場合これは無力化するので、
Connexion by Boeing=機内でネット
(2003年試験運用開始2006年終了)
なんかは
時代のほうが遅くて玉砕したサービスなんだよね。

実用化は早すぎてもいけないし、
おそすぎてもいけないという
判りやすい例ではないか?

これは余談だけど
2004年当時Connexion by Boeingが使えていた時には
私は会員専用のクローズドなチャットページに
機内から現れてファーストクラスから
いわゆるこの実況して共有するみたいな
リアルタイムウェブの原型を使って
ちゃっかり遊んでたんだけど、

これって凄い事だったんだと今更ながら思うわけ。
裾野までスマホを持ったひとが広がり
リアルタイムウェブで大勢が実況がやれるようになるまで
私が最初にやった2004年から
いま2014年だから10年かかってるんだよね。

と、考えると
私がいまこういうのがあったらいいなと
思って今ある状態で工夫に工夫を重ねて苦労して
構築している何かって
10年後は難なく出来るようになると考えると
非常に面白いし楽しみだ、

コンピューターの神様アランケイも言ってるけど
未来を予測する最良の方法は自分で発明してしまう事。
だそうなので

私は発明は出来ないけど、それは世界の頭脳といわれる
専門家にお任せいたしますわ。皆さんよろしく。




さて、話は戻る。
リアルタイムウェブの時代における
ネットカーストで上位の人たちが
ネットに投げる実況中継の中でも

有名な三ツ星レストランで
いま有名シェフの料理を食べている
いまこんな凄いワインを飲んでいると
リアルタイム実況をするという破壊力たるや、

どんな高価なデジイチを持って
いい画像を撮っても太刀打ちできなくなったのだと思う。

スマホについてるカメラの性能なんて
たかが知れている
けれど、その素材がお粗末で
いくらぶれたボケボケ写真であっても

即時性には誰も敵わなかったのである。

降参。



高級三ツ星でなくとも散見されるようになった
リアルタイムウェブを絡めた食事の仕方はこうだ。


料理の撮影
 ↓
アプリで 羨ましく思えるように おいしそうに
画像を 厚化粧 修正
 ↓
TwitterやFacebookへのリアルタイム投稿
 ↓
いざ食べようとすると
スマホがプッシュ通知
 ↓
FacebookやTwitterのアプリ確認
 ↓
メンションへのレス
イイネのコメント返し
 ↓
食べる
 ↓
プッシュ通知
 ↓
ソーシャルネットワークへの返事
 ↓
次の料理がくる
 ↓
撮影
 ↓

以下食べ終わるまで続く。




リアルタイムウェブが絡まない時代は

料理がくる
  ↓
 撮影
  ↓
 食べる
  ↓
料理がくる


と比較的手順はシンプルであった。

しかしここにリアルタイムウェブと
スマホが絡んだ途端に不快指数が
かけ算で増えていった気がする。

だからINからOUTへ移行したのだ
コンボだからダメなのだよ。
撮影だけならそんなでもなかったのに
目の前に居るリアルな人々を置いて
ネットの世界へ食べてる途中にいってしまうから
周りの不快度数が上がるのだ。

昔で言うとテレビを見ながらご飯食べるみたいな
感じですかね。
行儀悪い!

一緒居る人にも配慮が出来ないような
鈍感な人たちが
レストラン側に配慮できる大人だとは
全く思えないし

TPOを無視する人たちは
際限を知らないし、自分で歯止めをかける事も
出来ないから、どんどん嫌われる方向に
傾いて行ってるんだろうなと思う。

かつては自分もブログの為にといって
良く画像を撮影していた手前、
頭ごなしに批判する側に回るのも憚られるし、
画像に楽しませてもらってたのも事実だし。

だけど
何事にも限度って物があるんだよね。
「同行者に迷惑かけないように、急いで撮ればいい」
って言う人もいるけどさ
これならセーフって線引きが出来るほど
状況が読めるなら
撮らない選択も出来る筈なのに
そうならないってことは
やっぱりマナーで縛ってあげないと
判断できない種別の人たちなのではなかろうか?

勿論、時々の状況での例外は沢山ある。

記念日だったり、一生に一回だったり
人には人の数それぞれの事情もある。

だから全部が全部マナー違反だとは全く思わないし
「お前間違ってるマナー違反だ出てけ」
は違うとおもう。

だけどそうかと言って、
「全く問題が無い行為」とOK側に
線引き出来る行為でもない。

非常にグレーだ。

限度というもの、程度があるって話だけど
限度も程度も判断できないところまで
来てるならそれは問題だと思う。




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居場所は誰が作るのか?

2014-02-14 Fri 18:00
居場所って言葉を聞くたびに
疑問に思う事がある。

「居場所ってさ、誰かに作ってもらうものなの?
自ら作るものではないの?
誰かに作ってもらった居場所に居させてもらうには
それ相応の見返りが必要になるんじゃないの?」

その見返りって、居場所と引き換えに
例えば具体的に言うと
労働だったり思想だったりを
もっと言えばお金そのものや人生を
搾取されてしまう事なのではないか?

===
非常に気になる言説を

都知事選の間に聞かされてきたので
なんか危ういものを感じたのが
このブログを書こうと思ったきっかけだ。

具体的に言うと
都知事選で落選した若者代表?の家入一真氏の
今後の政治活動が非常に危うそうなので
ちょっと一言書いておきたい。

家入氏は都知事選の選挙活動中から
ざっくり20文字以内でまとめると
「ぼくらの東京にみんなの居場所を作る」
みたいなことを言い出してた。

で、最後の方はもう下手な新興宗教より
宗教臭が漂っちゃって、
あれ、もしかして、これ
判ってやってる訳ではなく、
無意識に宗教的なものに傾いたのか?と不安になった。

「政治と宗教は違うんですよ。」
いますぐ教育してやれと思ったくらいだ。

とは言え政治とは思想信条そのものなので
宗教と親和性は非常に高いことは否定しないよ。

だからこそ宗教の方向から政治活動をアプローチする
のはとても効率がいいのだ。
弱みに付け込む政治活動は
弱みに付け込む宗教勧誘ととても良く似ている。

それが証拠に新興宗教が一定の信者を獲得した後
社会を変えたいと言い出し、政界に打って出ようとする
既定路線のような経緯を我々は時代の中で、実際の選挙で、
何度も目撃しているではないか。

そんなことをつらつら考えていたら、
コラムニストの小田嶋隆氏が @tako_ashi 
タイミング良くツイッターで面白いことを書いてた。

(クリックすると小田島氏のツイートが見られます)


これを読んで今回の家入氏の
「ぼくらの東京に居場所を作る」
って話って、
組の親分が前科持ちや犯罪を犯した若い衆を
組の構成員にするどころの騒ぎじゃない。
と思ったんだよ。

政治活動のほうが怪しげな新興宗教よりも
入信に良心の呵責が無い分、
言い訳が要らない分
取り扱いに細心の注意を払わないと
非常に危険きわまりないんじゃないか
って思ったのだ。

組に入るのは反社会的行為だというブレーキがかかる。
組で行うことは非合法である可能性が高いからだ。

新興宗教に関しては日本人は地下鉄サリン事件の
ダメージが大きいので、カルトは危ないとか
洗脳や奪還という言葉に代表されるように
信者から金を巻き上げるというイメージまで
刷り込まれてるので、嫌悪感を持つ人も多い。

だから組とか宗教は例えそこに居場所があったとしても
入るには、周りへの言い訳を用意する必要がある。

しかし、この世の中の判断基準って
政治参加の形態を取ると
滅法評価が甘くなってしまう。
もう、手放しに優等生として認知されるのだ

昔不良のイメージで売ってた人や
実際不良だった人や
とんでもないと言われてた人が
政治参加すると
いきなり改心した、だの
大衆の為にご奉公すると
立派な決意をしたんだ
的な過剰に下駄を履かせた評価が下され

何の根拠も無くそれが認められる。



政治参加はいいことだ。
選挙にいこう、
我々の一票が世の中を変えるんだ!

と、政治活動に関しては
何の判定もせずに手放しで
肯定してないだろうか?

だから考えることが苦手な人たちは
政治参加はすばらしいんだ、
それが例えどんな形であっても!全部いい事
という恐ろしい錯覚を起こす。


よく考えておくれよ。
何でもいいわけじゃないんだよ。



いつも言ってるけど
適切でないものは害悪でしかないのだ。


心地いいことを言う政治家や立候補者は
まず疑ってかかっておくれよ。


それこそ偽ベートーベン事件でもわかった通り
作品そのものを判断する力が無いからこそ
その後ろにある物語無駄に感心してしまい、
凄いと錯覚してしまうそんな愚かさを誰しも
持ってることはそれぞれ自覚しなきゃいけない。



今回だって候補者の経歴物語に
「居場所が無かった元引きこもり不登校」
という感動秘話があったからこそ
その人が
「居場所をつくってあげる。」
「だってみんな居場所が無いんだもんね」
と言いだした途端に

夜の蛍光灯に吸い寄せられる蛾のごとく
人とうまく交流できない人たちが
まるで催眠術をかけられたかのように
引き寄せられてしまったのではないか。

くれぐれも甘い言葉にノセられて、
見知らぬ人が用意してくれた居場所を
本来の自分の居るべき場所だ!とか
錯覚しないように
気をつけていただきたい。

うまい話は無いし。
弱ってるときほど人は判断力を欠如し
騙される率があがるんだから。

そして誰かに作ってもらった居場所には
作った人のルールがあって
その人の決めた事が社会のルールを飛び越した
善悪にすらなってしまうことも多いんだから。


誰かの作った居場所に置いていただくのなら、
必ず何かの見返りを期待されるようになる
結局どこで搾取されるかの違いなだけなんだよ。

ブラック企業で搾取されるのも
政治に参加してる錯覚で搾取されるものも
実は奪われてるのはどっちも変わらない
自分自身なんだということ。


誰かが作ってくれる居場所は楽だけど
それは自分のものではない。

心から居場所が欲しいと切望する人ほど
居場所は自分でつくったほうがいい。


居場所を用意してくれるという
甘い言葉をささやく人に
簡単についていっちゃダメだよ。
自分の居場所は自分で作らなきゃ。


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「反省してまーす。」の腰パンスノーボーダーを覚えてますか? 

2014-02-12 Wed 15:00
ソチで開催中の冬期オリンピック
メダル獲得した選手がいるようですね。

スノボハーフパイプ 平野歩夢が銀 平岡卓が銅 
NHKニュース http://nhk.jp/N4Bt6MtV


おめでとうございます。

で、この良い知らせの中懐かしい名前を発見
国母和宏!

「反省してまーす」の腰パンといったら
皆さんあーっって思い出すでしょうか?

2010年のオリンピックで
大バッシングを受けた。
スノーボーダーである。

なんと彼は選手ではなくコーチとして
今回のメダリストの指導に
当たってたらしい。

【スノボ】HP代表、人間教育強化 腰パン・国母氏招へい効果だ!
http://heavysnowker.livedoor.biz/archives/51904383.html
2013年11月27日のネット記事



という訳で
今日の過去記事ピックアップは
「ホリエモン全盛期のTシャツ会見を思い出す。
腰パンのスノーボーダー国母選手バッシング」

いやあ読み直したけど
今もちょくちょく服装の事は
ツイッターでもツイートしてますんで
ご存知の方も多いでしょう。

ほんとにざっくり、雑に言うとだな

服って言うのは自分の為に着るのではない
人の為に着るのだ。


っていうこと。

この辺りのつぶやき散文は
ちょっとあまりにも伝えたい事が多くて
ちゃんとまとめねばと思ってるんだが
あらかた言いたい事は既に
四年前のブログにしっかり書いてました。

「ドレスコード」というテーマの別アプローチにして
新記事で書く予定なのですが、

まずはこれを読んでおさらいをしておいてください。

ホリエモン全盛期のTシャツ会見を思い出す。腰パンのスノーボーダー国母選手バッシング
2010年2月4日の記事
そうバンクーバーオリンピックの真っ最中だったんですな。

やはりその時起こった何かから、
思った事は文章にまとめておくって
結構後から読むと楽しい作業なので
ブログできるだけ書こうとおもったわ!

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過去記事紹介 | top▲
猪瀬氏辞任に伴う都知事選に思う事、若者だって御神輿を担ぎたい?

2014-02-10 Mon 20:30
さて、昨日結果の出た都知事選についてである。
こういう旬な話題は溜まってる書きたい事をすっ飛ばして
割り込み記事として入れねばならないことも
久しぶりにほぼ毎日ブログを書いていて思い出した。

で、
選挙です。
選挙。

都知事選だ。
ざっくり2024年に
これを読んでる私に説明すると
(あ、私元気?
相変わらず言いたい事言ってる?)

石原都知事の下で副都知事に抜擢された
猪瀬直樹がその後の都知事選に出て、

選挙で都知事になったのが2012年のこと。

ところが2013年11月に
某医療グループから5000万円の
献金もらったことをうまく説明できず辞任

そんでもって2014年1月に
都知事の椅子争奪戦(選挙ね)が繰り広げられ
都知事選が行われたのが昨日2014年2月9日

結果は舛添要一が211万票を獲得し当選。
 ↑ イマココ

で、今回立候補した候補者が
いままでの都知事選挙の中で
一番と言っていいほどつまんない人たちだった。

面白いひとが立ちました〜ってなら
それも別の意味でブログネタではあるんだけど
そりゃもう選挙に意味を見いだせない程の
酷い顔ぶれだったのだよ。

なにをもってつまらんとするかは
人それぞれだが
私がつまんねーとおもったのは
とにかく立候補者は見事に老人ばっか!

正直、大阪都構想で話題の維新の会の橋下さんで
やんややんやもめてる関西圏のひとが
羨ましいくらい、老人ばっかり!

どの爺さんが任期中にボケずに生きてる確率が
高そうかにベットする
元気な爺さんど〜れだ選手権かと思ったわ。

例えば有名四候補+泡沫の星は

舛添要一 65歳
ドクター中松 85歳
元日弁連会長の宇都宮弁護士 67歳
細川元総理 76歳
田母神元航空幕僚長 65歳

普通の仕事なら定年退職したあとの年齢である。

でもね、これ仕方ないと思うんだわ。
政治家なんてもんをいっちょやってみるべ
って感覚って、現役を退いた後
暇になったけどまだ若い者には負けないほど元気。
「いままで生きてきた恩返しだ」
みたいな感覚でしか
なろうと思わないんだろうなって。

んで、この
政治家なんてのは余生でなるもんであって
現役世代になろうとなんて思わないって
考え方って、結構多くの人の
共通認識だよねっておもうので
なんでだろうなーって思ったときに

とても興味深い16歳のアイドルちゃんの発言を聞いたの。
恋愛禁止のルールがある某グループの
中心メンバーでもあるそのアイドルちゃんが言った
一言はとても示唆に富んでたんだ。

「恋愛は大人になっても出来るけど、
アイドルは今しか出来ない」

まったくそのとおりでございます。

これ政治家にもそのまま当てはまるよね。


「政治家には老人になってからでもなれるけど
現役世代として働くのは20〜50代までしか出来ない」


実際、30〜40代で地位も手に入れつつ
ある程度の金銭的余裕もあり
現役でばりばり働いていて、
将来性もあったとしたら
まだまだ仕事での可能性は未知数で、
伸び代だって無限大。
それらを放り出し、政治家を志すメリットって
どれだけあるのかな?と正直おもう。

となると、
年齢的に若く(ここでは30代としよう)
選挙に立候補出来るくらい暇で、
供託金くらいはどうにかできる程度に度お金があり、
支援者以外にもちゃんと投票してもらえそうなくらい
みんなに信頼を得られる経歴で、

政治家になってかなりの自由を奪われるけど
その不自由さを許容出来て
尚且つ国民や都民の為になりたいと思える

等という条件を満たした候補者を発掘するのは
実際問題相当大変だってこと。

だから現役を引退したうえで、
金も名声もある暇な老人が候補になってしまう。

あーあ、若者出ないかな。
気骨のある若者が選挙に立候補したら
それだけで俄然面白くなるのに。

と思ってたら
なんかシャレで一人だけ35歳の候補者が
出てきた。

名前は家入一真
年齢35歳

ツイッターで
1000RT(リツイート)されたら都知事選に出馬する
と言い出したのがきっかけらしい。
その間出るって言ったり出ないって言ったり

とにかく、それまでの
ツイッター上での家入氏の態度って
好感度を持たれるにほど遠いというか
どっちかっていうと
態度悪いなって感じ。

対比として出すのもなんだかなとおもうんだけど
政治に一番興味ありそうなお笑い芸人
ロンドンブーツの田村淳と比べたら
(多分政界にデビューするタイミングを
待ってるだけと思われる)
まだ田村淳のほうが「政治家になりたい。」
思いがある分まともなんじゃ?と
思ってしまう。

家入氏は日頃のツイッターでの言動は
かなり不真面目な印象。
(実際は知らん、見た事無いし)

職業は流行のIT起業家を名乗ってはいるが
300万円の供託金も出せず、
ホリエモンに援助を頼んだりして
ツイッターでホリエモンが「振り込んだ!」とか
答える様がリアルタイムで可視化されたので

出るまでの経緯は家入候補をフォローしておらずとも
手に取るように見えたんだけど。

思想家の東浩紀が煽るホリエモンに向かって
直接それに怒ったりして
まあそれは面白く興味深い
家入氏の立候補までの流れであった。

舛添元厚労大臣を御輿に乗せて担ぐ政権与党
細川元総理を文字通り御輿に乗せた小泉純一郎
宇都宮弁護士を御輿に乗せた陣営と
田母神元航空幕僚長を御輿に乗せた一派との
主要四候補

ここまでは老人による老人の為の
いつものつまんないお祭りだった。

御輿に乗るのも担ぐのも老人

もともと若い30〜40代だって
御輿に乗るのは嫌だけど
御輿を担いでみたいとおもってる人は
結構沢山居るんだけど
実際祭り(選挙)って老人の為のものだから

老人優先で担がせてもらうことすら出来なかった御輿。


こども御輿ならぬ
「若者みこし」があったら担ぐのに
無いから担げない

そもそも「若者みこし」は自分たちで作ることは可能。
だってもう子供じゃないし。若いけど大人だし。
お金だって殿ほどじゃないけど多少はあるし、
古臭い老人用御輿じゃなくて、
最新式に見える御輿なんかすぐ作れちゃうんだぞ。

だけど、一体誰が若者代表として
「若者みこし」の上に乗るんだよ

でもみんな、とにかく一回は
誰か乗せて担いでみたいとは
思ってたんだよね。

自分が乗るのはまっぴらごめんだけど
「若者みこし」に誰かを乗せて、
老人の御輿のはじっこを遠慮しがちに
触らせていただくのではなく、

お祭りの「こどもみこし」のように
これは子供だけの専用の御神輿だから
子供だけで担いでもオッケーだよ
といわれるような、干渉されない
自分たち専用のみこしを作って
担いでみたかったのではないか。

御輿の上に乗せる若者は
賢すぎては絶対いけない

でもただのバカでもいけない

ノセたらちゃんとノリも良くないといけない

実際担ぐことになるブレーンの自称インテリ層には
絶対歯向かわない素直さと従順さも必須。


そこにタイミング良くシャレでなら
都知事選出てみてもいいかな〜

経歴も元引きこもり、でも今は起業家
最年少で会社をジャスダックで上場させた
とりあえず若者に受けそうなものも持ってる。

そして、何よりほかのメジャー起業家とちがって
起業といっても炎上マーケティングで注目されるくらいの
レベル的に言うと「プチ成功」くらいなので
きっと彼は他の人よりちょっとだけ暇だったのだ。

でタイミング良く

最低限の条件がクリアされてる人なら
とにかく誰か乗せてみたかった
なんでもいいから早く
「誰でも良かったカッとして乗せた」と言う
ドラマでの犯人の供述みたいな
みこし担ぎたい担ぎたいかつぎたーい
って人々と

自分でみこしは作る事は出来ないけど
シャレでなら乗っても良いよ。
ノリだけがパワーの源みたいな人

がコラボレーションに成功しました!

みたいな
あまりに雑な御輿の上に乗せる人選定だった
んじゃないかとおもってる。

だから思想家の東浩紀氏が
選挙後にツイートしていた幾つかが
非常に理解できた。

https://twitter.com/hazuma/status/432535698499846145

私もせっかくの弾の使い方にもっと
やりようがあったはずと思うし

そもそもネット世代が
非常に勿体ない御輿の使い方を
したんじゃないかと、

御輿の上に乗せる人選を安易にやらかしたばっかりに
「若者みこし」は御輿にもなれず
こどもが引っ張るおまけの山車に降格である。
趣味の悪いキャラクターの劣化版みたいなのが
子供騙しにくっついた、
みそっかすの人たちが引っ張る
(担いですら居ない)
ダサい山車!

あれじゃあ次のお祭りで「子供の山車」を
引っ張りたいと思う人もでてこなけりゃ
乗りたいと思う人も居ないだろう。

むしろあれは恥ずかしい。
やっぱり老人になるまで待って
ホントの御輿を担いでみたい
リアル御輿のほうがカッコいい
になってしまわないか。

そして東浩紀氏は若者の連帯に関しても言及している。
https://twitter.com/hazuma/status/432561535936778241

なぜ若いってだけで連帯できるのか?と

これって連帯したくてしてるのではなく、

単に需要はあるのに若手候補者の供給に
全く多様性がないだけなんだよね。

御輿は担ぎたいけど上に乗せる人がいない、
今回「若者みこし」は一個しかなくて
担ぎたい人が思想関係なく兎に角若いという括りで
集まってしまっただけかと。

さっきも書いたけど
今までの選挙では、若者は担ぎたくても
御輿を担がせてもらえなかった、
というか触らせても貰えなかった。

担いでみたい人は結構いる。
でも御輿は乗るのも担ぐのも老人の特権、
で、今回は子供御輿ならぬ、
若者御輿をがたった一個だけ出てきた。
担ぎたい、担がせろ、と御輿の質に一切関係なく
とにかく祭りに参加して御輿を一度触ってみたかったという
ランダムな関係でキーワードが若者というだけで
集まって来た感じ

思想信条の分化はまだまだこれからなのだろう。
はじまりってものは
いつもこんな感じだろうし、
十年先、昨日の御輿もどき「こども山車」が
どう変化していくのかには興味がある。

でも得票数を見てわかったこともある。
選挙の常連、泡沫候補の星
我らがドクター中松の票より

いまはまだチャチな「こどもの山車」で
御輿にすら昇格してない山車だけど、
いつか「若者みこし」になるであろうものを
担ぎたいと思ってる人たちが
実はやっぱり結構いるってこと。

だからこそ
あずまん(東浩紀氏)の言う
「もっとちゃんと」って気持ちもわかるんだけど、

やっぱりこれ
地方でやっても意味が解んなかったとおもうし
東京だから東京というちょっと不思議な人の集まりの
特殊性だったからこそ
見切り発車であれだけ雑に選挙活動やっても
得票数を5位につけられたんだとおもう。

出来ない理由を探して
やめた方が賢かったというよりは
ずいぶん良いと思うよ。

考える事も大事だけど
考えすぎて動けなかったら
いつまでも何も変わらないまま
老人になってしまう。

考えすぎないように、でも考えて
とりあえず動いて感触を確かめてみるのは
悪い事じゃない
どこかでジャンプしてみなくちゃ。
イメトレだけじゃどうにもならん、

特に若いからこそ何度でもチャレンジできるし
最初から器用にできなくて
当たり前なんだからさ。

ただ、次に御輿に乗せる人は
もうちょっとだけ吟味すべきだよw


最後に、
今回の都知事選はどうあれば納得できたのだろうか?
とよく考えたときに
皮肉にも小泉純一郎が
解散総選挙を郵政民営化たった一つの争点で戦った
選挙の事を思い出した。

自民圧勝だったあの選挙。
小泉人気でもってたあの時代

民衆は難しい事はわからないんじゃなくて
考えたくないだけなんだという事を知ってれば
戦う争点は一つの方がシンプルで訴えかけやすい。

小泉純一郎を非常にセンスがいい政治家だと
評してる人が多く居るが異論は無い。

あの時、あの戦い方で選挙が出来るって
すごいことだったのだ。

猪瀬氏は都知事を辞めて
そのままフェイドアウトするんじゃなくて
「都民に直接民意を問う」と言えば良かったんじゃない?

民意を問うと直接言われたら
有権者も悪い気はしない。

5000万円貰っちゃったけど
都知事を続けて良いのか悪いのか

続けて良いなら猪瀬
ダメなら別の候補者の名前を
投票用紙に書いてくれと。

たった一つの争点で猪瀬氏は
もう一度戦えば良かったんじゃなかろうか。

まさに、政治家が大好きな「みそぎ」選挙だ。
選挙に当選したらみそぎは済む
これもシンプルだ。
意味が解らん選挙だったから
みんないかなかったんだよね。

済んでしまった事なので
もうどうしようもないけどね。


それよりも
東京オリンピックのときは
誰が都知事なんでしょうかね?

やっぱりさっきも書いたけど
政治家になりたいオーラびんびんの
ロンドンブーツの田村淳でしょうか?

お習字も習ってるって言ってたし。
政治家の妻にぴったりな感じの奥さんと
結婚もして、準備万端なのかな?

横山ノックだって知事だったし、
西川きよしも国会議員だったんだから
田村淳が東京都知事でも別に
おかしくないのよ。

で、きっと色紙頼むと
「香那」とか「王道」とか
毛筆で書いてくれたりして
(↑わかるひとにはわかるw)


とにかくオリンピックのときに
誰が次の都知事なのか
そっちのほうがたのしみ!


さて、10年後にこれを読んでる私、
こっそりタイムマシンかなんかで
都知事がオリンピックの時に
誰になってるか教えにきて頂戴

でも「十年後に日本はなくなってるよ」
とか言われたら
それはそれで怖い!

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過去記事ピックアップ【ユニクロ勘違い前夜考】

2014-02-08 Sat 16:00
さて、今日は過去記事ピックアップです。

ユニクロについて書いてたのは2009年の事だった。
それにしてもユニクロ、
あれから5年くらいで予測通りおもしろいことになってますね。

【ユニバレ】なんて言葉も出てきちゃって

注釈:ユニバレとはユニクロを着てる事が
恥ずかしいのでバレたくないということで
「ユニバレを恐れて」なんて文脈で使われてる。


ユニバレという言葉が出来るほど
既にユニクロはOUTなのである。
「着てるのがばれると恥ずかしい服」って
最悪だと思うんだけど。


さて、この2009年の記事
ブログの枕が本題と同じ位長いというのも
今と変わらない書き方だし
なんと5000文字の長文である。

読み直してて途中で
「で、何の話だったんだっけ?」と
自分で本題を忘れてしまい、
スクロールして題名読みに戻っちゃったよ。
読んでるとボージョレの話だっけっと
錯覚するぐらい前振りが長いんですが
ちゃんと意味のある前振りなのでね

ユニクロの話です。
ユニクロがいかに勘違いをしだしたか
自分の立ち位置を見誤りはじめたか、
そういうお話です。
まだ気がついてる人が少なかったから
「勘違い前夜」なんですね。

ボージョレヌーボーが枕のユニクロ話
2009年のブログ記事なんて
価値無いんじゃない?とか先入観を持たずに
ちょっと読んでみてください。

今回からピックアップ記事は
ここに直接貼付けちゃうことにしました。
↓↓↓
2009-11-19 Thu 16:00

【ユニクロ勘違い前夜考】ファーストリテイリング創業60周年セールに
初心に返るという意味であんぱんと牛乳を配るそうだ。


0時にボージョレ・ヌーボーが解禁だったらしい。

この手の意味の無いバカ騒ぎを忌み嫌う性格の私は
興味も関心もなかったのでネットのニュースで見るまで
今日がその日だと意識もしていなかった。

こんなくだらんことを、日本はまだやっているのかってことと、
「今年はペットボトルのボージョレ・ヌーボー」云々の記事に
それって去年も言ってなかったか?と
デジャブ?
それともあたしの予知能力?と思った程度だ。

でもこの21世紀の現代。
まだ日本にボージョレをありがたがり。
解禁日の0時に飲む人が居るんですね。

どんだけ田舎ものなんだ?

で、もっと気に入らんのが
ボージョレを解禁日に飲む行為に関して
自分は踊らされてるわけではないとアピールする奴ら。

これはめちゃウザイ

言い訳しながらボージョレ飲むなんて実に潔くない人間だなと
がっかりするてか
そのひとの人間性を疑いたくなる。
踊らされる人を見るよりも情けなく思う。

「初物だから」
「縁起が良いから」
「とりあえず飲んでおかなきゃ」

と陳腐な言い訳しないと飲めないような酒だったら
最初から飲むな!
潔く無いぞ

「価値が無いものだと自分はわかってるんだけど
いちを飲んでおかないとね」

みたいなアピールウザすぎる、

この日本でボージョレ・ヌーボーを飲む言い訳を
してもいい類の人間は
このボージョレを煽ることによって儲けを出さねばならない
酒会社と広告代理店の人間だけだと思う。
それ以外は言い訳なんかしながら飲むな!とおもうんだよ。


んで、踊らされるおつむてんてんてんな人たちの事は

ワインがそれほど好きなのか?

とこの思いやりにあふれるあたしは理解してあげたいけど。
家にセラーがあるレベルの私の周りのワイン好きな人で
ボージョレを飲もうと言う様な人がまわりに居ないので

「ワインが好きだからボージョレの解禁を祝う」

は存在しないことはあたしの抽出したサンプリングによる
統計では証明されている。

ま、何より酒はほとんど赤ワインしか飲まないというこのあたしが
ボージョレ・ヌーボーに何の興味も無いってことは
多くのワイン好きには関係ないお祭りだと思うんだけど。

こんだけワインが当たり前になり、
テレビドラマの夕食や合コンシーンで飲まれる酒が
ビールからワインに入れ替わってから久しいのに、
ボージョレ・ヌーボーを解禁日に買って飲みたい
その心理がわからない。理解不能

余程ワインのことがわからないか
オリンピックやW杯だときくと応援にその国まで行ってしまうような
病気レベルのお祭り騒ぎ好きな独特の性格なんでしょうか?

ボージョレに未だ浮かれるっていうのは
「人と同じことをするようなつまらない人間です。」
だとか
「酒販会社の販促に踊らされる良い鴨です。」と
自らの頭の悪さを露呈してるような行為だと思うので
いい加減ボージョレ・ヌーボー解禁祭りに参加するのは
やめたらどうかと思うんだけど。


で、ボージョレ・ヌーボーを買う行為に対して
あたしがありえないと思ってる理由は他にもある。

概してボージョレ・ヌーボーの値段というのは
そのワインのそもそもの価値に全く見合ってないからだ。

ボージョレ・ヌーボーを買う行為そのものは

  金の使い方がわからない
  物の価値がわからない

物を考えない人間ですよというその人の生き方すら
あらわしてしまう行為だとおもう。

解禁日に間に合わせるために
禁じ手の空輸を行うことにより、
普通のワインを運ぶより輸送費がかかるため
ボージョレ・ヌーボーは同じレベルのワインとくらべて
高い値付けを余儀なくされる。

これだけでも中身の価値に見合わない値が付く
そして、ご祝儀相場で高い値付けがなされる。
ボージョレはダブル搾取ができる売る側にとっては
煽って売ればおいしい商品なのだ。
だから解禁日を宣伝し販促をかけるのだ。


で、なんでユニクロの話をするのに
ボージョレの話をこんなに長く枕にしたかというとだ、
消費者をうまく煽ってお金を儲ける構造が
実に最近のユニクロの商法とかぶるなあとおもったのだ。

へー、ボージョレ解禁だったんだわね、と思った記事の下に
ユニクロであんぱんと牛乳というニュースを見つけたのだ。

11月21日(土)にユニクロは60周年創業記念セールで
朝六時に400店舗で先着何名かにあんぱんと牛乳を配るらしい

ファーストリテイリングの柳井会長曰く
「初心に返る」
という意味で、あんぱんと牛乳を客に恵んでくれるそうだ。


ふーん。

客を初心に返らしてどうするだろうか。
あんぱんと牛乳摂取して
初心にかえらなきゃいけないのは柳井さん自身なんじゃない?


それにしても最近ユニクロ調子に乗って勘違いしてるもんな
GAP&バナリパ気取りなんだろうか?
まさか日本のRUEHL No.925&アバクロみたいなポジションに
なりたいとおもってるとかか?
おもってるなきっと。

「そこ」にユニクロごときが出張ってくるのは
違うだろというのがあたしの感想。

一番大事なユニクロの本来の立ち居地を
すっかり忘れてるんじゃないかという気がする。


ユニクロの存在意義ってのを
もう一度考えてみるとだ。

【安い割りには意外に使えるものがある】

であったはずなのだ。
にもかかわらず
最近のユニクロの値段の設定は
勘違いもはなはだしい状態なのである。

具体例をだそう。
大人気の「ヒートテック。」

去年までヒートテックの価格設定は1000円であった。
これが780円の期間限定価格になってるときは
買いだとおもっていたが1000円はユニクロのものにしては
高いんじゃないの?とおもってたあたし。

で、ここで「期間限定価格」の意味がわからん読者に
親切に解説をいれることにする。

もともとユニクロというのは土日限定、日にち限定などの
限定価格というものを採用している。
一般の洋服店のようにセール期間を設けず
シーズンど真ん中の2日間だけ限定的に商品を
値下げして売る方法だ。

例えばユニクロ代名詞(いまはあるのか?)フリース
定価2990円のところ、土日だけ1990円とかにして
また月曜になると売値を定価に戻すという方式だ。

まあ、ぶっちゃけて言えば本当の定価は
この期間限定価格であると言えるんではないか。
ウラ定価とでもいうか。
要は期間限定価格ではない時にアイテムを買うのは
価値に見合ってないということだ、

実際に商品を手にとって見ても
ユニクロはユニクロであってそれ以上になることはありえない。
ヒートテックだって1000円じゃ高い。
期間限定価格の780円だから意味があったのだ。
780円にしては出来が良い

まさに「ユニクロの立ち居地として正しい商品のあり方」である。


しかしユニクロ何を勘違いしたのか今年は
ヒートテックを激値上げして1500円の価格設定をしてきた。

それ勘違いしすぎだろ・・・

もともとヒートテックみたいに
薄くて高機能な肌着なのに780円だったから価値があったんだよ
ユニクロが1500円になっちゃったなら。
ワコールとかトリンプとかのもっと質の良いものを
1500円にちょいお金足して買いますわ~

それにしてもユニクロのクセにやけに強気だな

クラスのいじめられっこが
新学期にクラスでの立ち居地を変えようと。
懸命にイメチェンをはかろうとしてるみたいだ。

んで、ユニクロが見誤っちゃいけないのは
ユニクロの売り上げの多くを支えてるのは
金の無い貧乏人ではなく
金は持ってるけど無駄な金は出したくない客だ。

金は持ってるけど無駄な金は払いたくない層というのは
納得すればユニクロで大人買いをする。
ユニクロの急成長を支えたのはこの層が
ユニクロの本来の購買層よりもよりも本来上のレンジの購買層が
ワコールやトリンプではなくユニクロに流れた結果のような気がする。


だからこそユニクロが勘違いしてはいけない
一番のポイントは
「安いのに意外に使える」んだから買った。
という購買層を逃がさない事だ。
さもないと、本来居た場所にその層が戻ってしまう。

この層が怖いのはユニクロよりもいいものを
きちっと知っていることだ。

ユニクロがいつも買うものより質が良いのに安いから
買っていたわけではないのだ。
いつものよりも質は悪いけど。この値段なら許せるだったから
買ったのだ。

リアルクローズの越前屋の神保総括部長(黒木瞳)も
越前屋の部長なのにイトーヨーカドーの宣伝で
「寒いときありですね」
言っとるではないか

この層の価値基準、判断基準は
「あり」か「なし」かなのだ。


そもそもこの購買層のワードローブにおける
ユニクロの役割はヒートテックのようなインナーだったり
ブラトップのような便利な下着であり
間違ってもお出かけ着ではない。
例外的にユニクロを着て外に行く場合があるとしたら
焼き肉やお好み焼きなど匂いが付くので
ジャブジャブ洗えるものを着る必要があるとか
そういう「別の意味での特別」なシチュエーションだけである。
まあ、その前に外に着ていくに耐えるような
おしゃれなユニクロの表に着るようなアイテムは
存在しないけどな。

もっとわかりやすくいえば
この層はユニクロのダウンなどには興味は無いし
見向きもしない。

だってモンクレールを毎年毎年買い足してるもん。
みたいな感じである。
アウトドア用にはためらわずパタゴニアのダウンを
日本の定価でシーズン始まる前に予約して買う。

ヒートテックの購買層と
ユニクロダウンの購買層は
かぶってはいないのだ。

ユニクロを買っているこの層は
ユニクロを着てることに言い訳をしない。

ユニクロを着てることを言い訳する層は
まさにユニクロダウンなどを買う層なんだよね。
変な言い訳をしながらユニクロのダウンで
済まそうとするんだよなー。

何か自分の行為に対して
言い訳をするってカッコ悪いと思うけど。

価値を見極められないからこその
苦しい言い訳なんじゃないのかとおもう。

ボージョレ・ヌーボーのことを書いた枕で
散々言ったけど。
物にはそれに見合った価値がある。

ボージョレ・ヌーボーは決して値段的に高いワインではない
世の中には何十万もするワインがごろごろある。
その中で数千円のワインでしかないボージョレは安いワインだ。

だけど、あたしは
ぼったくりワインだと思う。

中身に見合ってないからだ。


例えば500円というイメージは
それだけみると高い値段ではない。

でも駅でタダで配ってるはずのティッシュが
道端で500円で売ってたら

ありえないー

とおもうんじゃないだろうか?
それは駅でタダでくれるティッシュが
そんなもんタダだとしってるからこそ
価値に見合ってないから
ありえないとおもうのだ。

ボージョレも同じ。

ワインというものの価値を知ってたら。
言い訳しながら飲むなんてありえないと思う

タダのはずのティッシュを買わないのと同じ話だ
「あり」か「なし」かでいったら
ボージョレは「なし」なのだ。

価値が見合わないと判断できる目を持つ事は決して無駄ではない。
無駄などころかくだらない搾取をされないためにも必要な事だ。
物を選ぶという力を持った消費者は賢くあるべきなのだ。

で、ユニクロ
消費者をなめて価格設定をすると
そのうちしっぺ返しを食らうに違いない。

1.5倍の値上げをしたヒートテックより
物が良くて意外に安い後発商品はいまや選び放題だ。
ユニクロと同じ東レの素材をつかったあったか下着は
さっきネタに出した黒木瞳が宣伝してるイトーヨーカドーの
パワーウォームが980円であるし

イオンからはヒートファクトが出てるし、
しまむらではファイバーヒート
西友はエコヒート。

もはや薄手のあったか下着のチョイスがなかった時代では
なくなってるのである。
ダサいババシャツかそれともユニクロヒートテックかだった時代は
既に過去になった。
消費者はいろんなチョイスが出来る立場にあるのだ。


ユニクロ勘違い前夜祭はせいぜい
物の価値がわからないお祭り好きの客たちと
あんぱんたべながら牛乳で乾杯するんだな。


つか冬の朝6時なんて寒いんだから
石原軍団とコラボして、炊き出しやったほうが
よかったんじゃないか?




===============
いかがでしょうか?
値段設定とか2014年の物ではないけど
今年のヒートテックの素材と値段
見合ってますか?
ガクンと質が下がって値段だけ
生意気なユニクロ
通販のウェブを見てると
お前何様?という言葉が
ついつい出そうになりますわ。

迷走しだしたから、アジアにいる、
まだイメージで騙せる人たちの市場をもとめて
あっちこっち出て行ってるようですが。

ユニクロが恥ずかしいという
共有がなされちゃったら
もう終わりだよねってことで

「ユニクロ意外にいいんじゃね?」
路線を崩さずに行けば良かったのに

ちょっと欲をかいたばっかりに
ファッションでは最も不名誉な
「ユニバレ」なんて言葉も産まれちゃって

2014年にもなって日本でユニクロ買うってのは
脳みそ残念な人なので
知能が低くていろんなところから搾取されちゃう
所謂カモと呼ばれる人の可視化できるアイテムかと

道ばたで、なにか勧誘しないといけないひとは
ユニクロ着てる人を狙い撃ちしたら
結果でるかもね!
って勧誘する方の人もユニクロ着てたりする
確率は高そうだが。

ま、2014年ではそういう事なのですよ。
ユニクロって。
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楽曲よりも、本来その後ろ側にあった筈の「物語を消費する」文化っていつ頃からあったんだろう。

2014-02-07 Fri 17:30


【物語の消費】という言葉がネットを飛び交っている。

事のきっかけは、ざっくり言うと
現代のベートーベンと言われて
NHKでとりあげられたような作曲家が
実はゴーストライターに作曲を外注していた
というお話。

で、申し訳ないけど
私この人の名前も初めて聞くし
日本人のクラシックというものに
とんと興味が湧かんので
この話題は完全スルーするんだけど、

音楽シーンに於いて「物語を消費」するという
新しいアプローチの快楽をプロデューサーが
消費者に覚え込ませる手法って
一体いつの頃から始まったんだっけ?
とふと考えたのだ。

私が覚えてる範囲では1995年に
テレビ東京でやっていた「浅草橋ヤング洋品店」が
「ASAYAN」と衣替えし
夢のオーディションバラエティーと
名乗り始めた頃だろうか。

ASAYANは
色んなプロデューサーとコラボして
歌手やモデルや、落ち目になった芸能人やらを
発掘する様子をテレビで流すという手法であった。

それまではアイドル歌手やバンド等とういうものは
テレビで視聴者の目に触れる段階では
既に認知されている状態(ブレイク後)であるため
相当売れてからお宝画像などといって
オーディション風景が出てきたりする物だったのが

この番組によって
オーディションを受けにきた一般人を
視聴者が好みでそれぞれ応援して
タレントや歌手にしてデビューさせるという
普通の女の子が芸能人になるまでという
シンデレラストーリーに最初から視聴者を
参加させるという、
物語を一緒に作る面白さを
覚え込まされたのかもしれない。

例えば
鈴木亜美のデビューは視聴者に電話投票をさせて
80万票を獲得し1位になった結果をうけて
小室哲哉がプロデュースするという
ボーカルオーディションだった。

リアルタイムであの番組を見ていたが
私の記憶が確かならば
大層庶民的な自宅で密着される
鈴木亜美は本当にちょっとかわいいけど
普通の女の子で、
彼女の友人達が、アナログな固定電話で
番組が用意したこれまたアナログなシステムで
一生懸命電話投票する風景は
かなり視聴者参加を意識させるものであった。
現在進行中のドキュメントにそのまま自分が
テレビを見ながら参加できるという
今までに無いアイドル発掘番組だったのだ。

そして、もうひとりのプロデューサーつんく。
モーニング娘。のデビューをかけた手売りCD
のエピソードなんかは、
結構一般の人でも聞いた事があるんじゃないか?

もっさい女の子達が実際に出された課題をクリアして
ほんとにデビュー出来るのか物語に
ついつい興味を持ってしまう視聴者を巻き込む事で
デビューする前から彼女らに親近感を感じ
自然に応援したくなるように仕向けられるという

視聴者はただ見ているだけなのに
あれよあれよという間に物語に参加させられ
登場人物の一部に消費者自身がされるという
新しいプロデュース方法であった。

要するに歌手がオーディションを受け、
合格し、デビューしたりする背景までコミコミで
消費者が参加させられることを

「物語そのものを消費すること」
とここでは言ってる訳だけど

いつしか楽曲のみで勝負するなんて
アーチストはほとんど消滅し
兎に角、消費者は音楽そのものより
物語を欲するようになった。

もっと過激で、もっと面白い物語を。

だからバラエティー番組ではあの時代
色々な形で物語を消費するプログラムが組まれた。
例えば
「ウッチャンナンチャンのウリナリ」では
ポケットビスケッツVSブラックビスケッツ
なんていう対戦型の音楽ユニットを
出演者達自身で組ませ

いろんなお題を出されて
勝負に勝ったほうがCDが出せる
みたいなゲームをする「物語」を
散々視聴者は消費してきたのだ。

そして満を持して出てきたのが
おニャン子クラブで一斉を風靡した
秋元康だ。

おニャン子クラブそのものが
毎週番組中でオーディションをやり
普通の女子高校生がどんどんテレビに出て
アイドルになっていく様を見せられていた訳で
この頃から物語の消費手法は
秋元康としては普通にやってたことなんだけど


2005年に秋元康は
「会いにいけるアイドル」と言って
秋葉原に劇場を作り、そこで毎日
けなげに歌い踊るアイドルの卵たちを
最終的には東京ドーム公演が出来るくらい
ブレイクさせるまでの物語を描いたのだ、

2014年
一番解りやすい物語を消費する手法は
いわゆるAKB商法といわれている。

消費者をまるごと利用して物語に参加させる
というのはまず
AKB総選挙が思い浮かぶ。

AKB総選挙とは具体的に言うと
自分の推しメン(推挙したいメンバーのこと)に
自由に投票できるイベント。

具体的にはCDを買い、そこに封入されている
投票権利で好きな推しメンに
投票できるのだ。

自分の好きなメンバーの順位を上げさせる為に
コアなファンは何百枚もCDを買うし
ちょっとだけお祭り騒ぎに参加したいだけのひとは
CDを一枚かって、さて誰に入れようかと考える、

総選挙はテレビ中継され、
参加した人たちは、自分が投票したメンバーの順位に
一喜一憂する。

楽曲なんてどうでもいいし、
音楽性がどうこうもそんなこと興味ない
ただ、物語に参加することで
好きなアーチストや、アイドルと
一体感を感じたい。
音楽ではなく物語を切り売りする事で
CDを売る手法。

もう麻薬のようなものだ、
音楽の背景に物語が無いと、音楽そのものに
何も感じなくなってしまった不感症の消費者は
新たな物語を求めさまようのだ。

消費者が物語を過剰に求めた結果なのか
プロデュースする側が歯止めがきかなくなったのか
卵が先か鶏が先か
わからんけど。


今回の現代のベートーベン手法は
とても気分の悪い話である。

物語を消費する商売は
プロデュースする側の提供方法と
消費者の参加方法さえ間違わなかったら
別に悪くはないと思うけど、

越えちゃいけなかった一線を
越えた感のある今回の騒動。

でも踏み越えてはいけない一線を越えさせたのは
我々消費者ではなかったのか?とも思う

より刺激を求め、御涙頂戴の物語が大好きで
そういう背景にある人が作ったものを理解して
あげられる自分が大好きで、
価値がわかると錯覚している人々

売れる物を供給する基本に立ち返れば
マーケティングとしては非常に正しい

映画等でも
「余命三ヶ月の花嫁」とか
あの手の病気ものは
非常にもにょるけど
確実にヒットするジャンルなんだよね。

アレがはやったときに
「(映画の題材にするから)どこかに不幸な人居ない?」
って探しまわってるって話があるって
聞いたときに。

ほんとに趣味悪いって
おもったんだけど、
皆さん不幸な人の可哀想な物語って
好きだよね。

あれなんで?

幸せそうなこと、裕福な事はバッシングするけど
自分には関係ない不幸や貧乏や病気の話
大好きじゃないか。
実に感じ悪いとおもってしまう。

今回の騒動はどういう風に着地するのか?
させるのか。
推移を見守りたいとは思ってる。

最後に一つ。
物語(背景)があったからこそ
それを含めての価値だった。
というものは沢山ある。

これに言及してると
書きたい事も沢山あるので
ものすごく長いブログになってしまう
というわけで
次回はそれだけをテーマにブログ書くわ。

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書きたい事を自由に書きたい 面倒臭い私のMDHな思いの言語化。

2014-02-06 Thu 18:30

過去記事ピックアップで皆様に紹介しようと
どの記事が良いかなって、
なんだか図らずも毎日自分の過去のブログと
半ば強制的に向き合ってる訳ですが
しみじみと、思考を言語化しておいて良かったなと思うんだわ。

今読んでも、凄いおもしろいってのもあるけど、
やっぱり前にも書いた通り
2006年の私は何を思ってたんだろうと
素早く過去の思想や思考にアクセスできるって不思議で
奇妙な気持ちになる。

その時言いたい事を、傍若無人に
好き放題書いておいて良かったと思ってる。

で、なんでブログを復活させたかを
きちんと2014年の気持ちで
言語化して残しておきたいのである。


理由は3つある。

一番大きな理由は
「書きたい事を書きたい!」ってこと。
非常にシンプルだ。

私はもともと面白い事を書いて
誰かをあっと言わせたいとか全く思ってないだよね。
ただ今自分が思ってる事を言語化したいだけなの
漠然とモヤってる気持ちに名前を付けたいみたいな。
「この気持ちはどこからくるんだ?」を
イチイチちゃんと分析して
その結果を文章として残して
どういう風に自分は考えたかプロセスを
明確にしておきたいのだ。

ブログなんかに「考えさせられました」
って書いてる人で、
じゃあ何を考えたのかと読み進んでも
特に具体的な事は何も書いてなくて、
結局お前らなんも考えて無いじゃないか?
ってのが多いから、
尚更、自分の思考プロセスは
言語化して切り取っておきたいのだ。

それは日記形式ではじめたさるさる日記時代から
全く変わってないのである。

誰の為でもない
自分の為に書く
書きたい事を好きに書く
言いたい事を言いたいように言う

空気読むなんてクソ食らえだ、
誰かの顔色を伺って
「言いたい事も言えない世の中じゃポイズン」
じゃないけどさ


日記を書き出したきっかけも
明確にそれだった。

あの頃の私は言いたい事が山のようにあったのだ。
(いまもあるけどね。)

そしてもう一つ理由。

未来の自分を楽しませる為に書くのだ。

2004年の私は10年後の私を
ずいぶん楽しくさせてくれている。
2014年の私も2024年の私を
楽しませてやりたいのだ。

だって私の文章の一番のファンは私なので。
その一番のファンが10年後に
「面白かったよ」と言ってくれるように書く。

私が好き勝手に書いた副産物として、
私の言いたい事の本質を見抜けるような賢い人は
記事をうまく使いこなし
何らかの糧にすれば良いのだ。

クオリティは自信を持って書いているので
無料で読めて得した!
とおもってくれればいい。

誰が書いたかでもなく
どんな風に書いてあるかでもなく
重要なのは何が書いてあるかだけなので

こんなこと言わなくても
賢い人は意味が解るでしょうが
時たま、付随した色々なものの
目くらましやトラップに引っかかって
誤読して殴り掛かってくるようなのもいるので

そういう奴には
「もっと日本語勉強しなさいね」
とか
「お前って奴は小っせえなあ」
というSUZUサイン入りステッカーでも
ペタンとおでこに貼ってやろうかと思うが
ステッカー作成は外注なので有料です。



さて、ファンという記述が出たので
脱線気味ではあるが、ついでに
一言ここに書いておきたい事がある。

ブログを書いてて超ウゼえと思うのは
「SUZUファンなんです。」
「ブログ記事の毒舌が好きです。」
「痛快です!」
といきなりやってきてだな、
親しげにコメントなんかを打ち込んできて
やたらまとわりついてくる癖に、
自分にちょっとでも矛先がかすっただけで
突然ぶち切れる愚かな奴らである。

そうやって
「ファンです!」とすり寄ってくる奴は
面白さだけを享受したがる癖に
自分が言われるかも知れない事は
全く想定してないのって
あたまわるいんか?とおもうよ。

これだけ細かく突っ込み、本人が無意識でいる
深層心理を読み解くのが大好きな性格な私が
あなたの事だけスルー出来ると思いますか?
と逆に聞きたい。

いままでで一番面白かったのは
「仲良くしてると思ってたのに」という
捨て台詞を投げつけられた時である

別に個人を攻撃した訳でもなく
所属団体におけるおかしなところを
指摘した記事を書いただけですが

具体的に名指しでターゲットにされたわけでもないのに
キレられましたね。

仲良しにしてる事が私に書かれない担保になるとでも
思っていたのか愚か者めがと思ったけど。

別に誰かに気を使って好きな事書けなくなるくらいなら
友達とか要らないんで、
お引き取りいただきました。

こちとら腹くくって書いてんだ!

私、波風立てることが全く苦にならんというか
みんな仲良く幸せにとか思った事無いし
嫌われ上等なんで

私自身が友達を選定する際に
その場では、やたら空気を読んで、
周りの人に心地いい事だけ言って
嫌われないように涙ぐましいぐらいの
好かれたいオーラびんびんの態度を取る人って
なんか知らんが裏で必ず悪口言ったりするんで
まあそういう奴に興味が無いというのもある。

そもそも
衝突を恐れて都合のいい事しか言わん奴なんか
つまんないし、
信用できるかボケっておもってるんだよね。

なので苦情は受け付けませんし
書きたい事を自由に書かせろ
と思ってます。
誰にも遠慮しないし気を使わないから
面白いんじゃないか。

私がクソ馴れ合いのブログ記事書き始めたら
最近丸くなってつまんないと
どうせ思うんだからさ。

というわけで
書きたい事を自由に書きたいと思ってる
とても面倒臭い私ですが、

読みにきても後悔させないものを書くんで
そこから何かしら考えを巡らせて
自分はどう思うのかとか
考える習慣をつけていただきたく。

ブログを復活させた三つ目の思いはそれ。

私の考えと全部同じな筈無いし
全部同じだったらそっちのほうが気持ち悪いんだけど

私の考えに乗っかるんじゃなくて
あなたはあなたの立場でどう考えたのか
モノの見え方なんて十人十色
正しいか正しくないかも
前提条件で180°変わってしまう
とても儚いもの。

大事なのは私が引きずり出した視点から
その話題で自分は何を考えてどう思ったか。

漠然と考えさせられましたなんて
何度も言うが最低だからね。

私のブログをうまく利用して
考える習慣でもつけておくれ
とおもうわけだ。

考える訓練を一切受けてこなかった人に
考えろとだけいってもワカランだろうし
そして考えろという癖に
自分の考えに乗っかれという
悪い大人みたいなのも散見される。

そうじゃないんだよ、

自分は何が好きで何が嫌いで
何に高揚して、何が許せないか
最低でもそれくらいは自分で考えて
世の中に参加してほしいと
切に願うのだよ。

それには
優しい言葉で、こころに刺がひっかかるわけでもない
心地いい、万人受けするブログなんて
書いてても意味が無いのだ。

いままで自分で考える事をことあるごとに
禁止されてそのまま大人になった人たちが

いろんな人たちにコロッと騙されてるのをみるにつけ
こりゃ、最低限自分で考える事が出来るように
きっかけになるヒントを少しでも公開したい。

でもって古くからの読者さん達は
私が10年前から「かんがえろかんがえろ」だけ
ブログで耳にタコ(というか目にタコか)
が出来るくらい繰り返し言ってきたけど
どうも皆さん鈍いんで

もうちょっと踏み込んで親切に
書いてやろうかと思ったんだわ
(やっぱり私も年取って丸くなったんだね)


というわけで
ブログを復活させた理由三つ。

1:自分が書きたい事をまとまった文章で
  ちゃんと書きたい。

2:10年後の自分(一番のファン)へ
  2014年の思考記録を残したい

3:読んでくれる人に自分で考えることの意味を
  じっくり考えてほしい。


面倒臭い人だと言われ続けて早数十年。
面倒臭い私の面倒臭い思考のプロセスの公開

ツイッターだと正直消化不良だった。
140文字でとてもじゃなけど言い切れない
小分けにすると一番言いたいところではなく
枝葉が一人歩きする。

結局考えた事には瞬発力はあっても
きちんとまとめてないので
ちゃんとひとつのことに向き合って考えてない
状態が続いてた。

ここらで、一度自分のポリシーを含め
書いて自分に読ませる事で
自分はどう考えてるか確認作業が出来る。

これとても大事。
だから瞬発力のある
ぱっと浮かんだ考えはツイッター
それをちゃんとまとめて思考に注釈を入れる行為が
ブログを書く行為と

うまくわけて連動させたいと思ってるのです。


というわけで
今後とも

書きたい事を書きたいように書いてやる
もともと
私のブログの副題は
「ホントの事言う日記」だったのだ。

空気読めとか
ホントの事なんか言うな、
大人とはそういうもんだなんて

ずるい大人の言う事こそが
嘘なんだからね。

自分たちに都合の悪い事を
気づかれたり、
指摘されるのが嫌なだけでしょ。

現実と向き合う事でこそしか
進歩は無いのに。

私はこれからも叫び続けるよ
「王様は裸だ」

もちろんそれだけじゃない
「そのまま裸でいたほうがいいのか?
それともどんな服を着せたらもっと良くなるのか」
まで考える

「裸だってみんな知ってるわよ、
見て見ぬ振りするのが大人でしょ」

なんてカッコつけて言って
ほかのやり方を探すとか
最善の方法はまだあるんじゃないか?と
考えない、脳みそ劣化したクソ大人になんか
なりたくないんだよ。

全て解ったふりして
「大人とはそういうもの」なんて考え方に
これ以上の前進は無い。

そんな大人ならなる必要ない。

止まっててどうする。

老人になるまで結構な時間はあるんだ。
超高齢化社会において相対的にみれば
自分なんか若い部類だ。

そのうえなんとすばらしい事に
もう力の無い子供じゃないんだ。

小さい頃思ってた
「知ったかぶりのくだらない大人になりたくない」

まだまだいろんなことやりたいし、
違う事は違うって大声で言いたいし、
もっともっと考えたいんだよ。


私の「書きたい事を好きなように書きたい」
という思いには
そんな気持ちがぎっしり詰まってるのであった。


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過去記事ピックアップ サービスって何だろう?編

2014-02-05 Wed 19:30
過去記事ピックアップです。

サービスに関して人よりも多分1億倍くらい
言いたい事がある私。(←あたりまえ)

過去にこんな記事も書いてました。

今読んでも面白いし、
そして終始一貫ぶれない考えなので
2006年の記事なんだけど
昨日書いたブログといっても不思議じゃないほどの内容。

(所々に2006年に流行ってたものが挟み込まれてて
これはこれで、何年も後に読むと時代が感じられて面白い)

いやーそんな枝葉はどうでもよくて
内容に関しては自分でも、「ほんとブレないわ〜私」と
読んで感心したエントリー。

わかってない大前研一 サービスって何だ?
http://kyuinkyuim.blog71.fc2.com/blog-entry-591.html

「サービスって何だろう」って
2014年バージョンで書き直すべきテーマですな。
書かねば。
言いたい事は沢山あるんだよ。

そういえば大前研一って今何してるんでしょうね。
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過去記事紹介 | top▲
「本当の金持ちって言うのはね」や「本当に支援されるべき弱者」に内包された実際の意味に私たちは気がついているか?「自分に取って都合のいい○○」

2014-02-03 Mon 18:00
よく聞く言説に「本当の金持ちっていうのはね」ってのがある。

「本当の金持ちって言うのは、お金持ってることをひけらかさない」
からはじまって

「本当の金持ちって言うのは、服もびっくりするくらい地味で」
「本当の金持ちって言うのは、庭の手入れも家電の修理も
 家のペンキ塗りも自分で全部やって」

最終的には
「本当の金持ちって言うのは、床屋にも行かないで自分で髪の毛
 切るんだって!」
と言ってる人まで居て椅子から落ちそうになった。


同じような現象はお金持ちの人じゃない貧困層であったり、
派生したものとして支援を受けている人の場合もよく見る。

支援されるべき「本当の弱者」という言説だ。
「本当に困ってる人たちこそ援助を受けるべき」って奴だ

災害の被災者しかり、母子家庭しかり、貧困に障害、
助けてもらうべき正しい弱者の定義を

「本当の」と言って縛る。

本当の金持ち、本当の貧乏人、本当の障害者、本当の病人

ここで言われる「本当の」って一体何なんだろう

あるときふと疑問に思った。

私自身も、まだまだ未熟で視野が狭かった頃
この「本当の」という言い方をよく使っている
自覚があったからだ。

そもそも
人の状況に本当だの間違ったのだの真贋判定なんておかしいのだ
別にルイヴィトンやエルメスじゃないんだから。
ブランドの真贋や、物の真贋とは訳が違う、
その人の置かれている状況
人の人生、人の生活に本物も偽物も
あったもんじゃない。

金持ってるなら、金持ちだし
身体的に普通とは違い本人が不便を感じて
何かしら助けてほしいと思ってる人が障害者だし
お金がなくて生活に困って援助や支援を受けたいと
思ってる人が弱者なのだ。

なのに我々はついジャッジをしてしまう。
そんな権限なんか持ってないのに

あの人はお金持ちなのにひけらかさないから
本当の金持ちなんだ
あの人は貧乏だけど明るく前向きに生きようとしてるから
支援すべき本当の貧乏人なんだ。

とやりがちなのである。

何故なのか?

今回の件は
19年前の阪神淡路大震災で避難所の学校で
酒盛りをする被災者のバッシングがあった時
なぜあの人たちを不快に感じるんだろうと
考えた事がそもそもの始まりであった、

正直に言おう
実際私も、これだけ世界中が被災者を支援してるのに
なんであの場で酒なんか飲んでるんだよと
いい印象は持たなかったのは事実だ。
でももし自分だったらと考えたら
すーっと足下の感覚が揺らいだのだ。

何もかも失った時、酒くらい飲ませてほしいとおもう気持ちって
そんなに悪か?いけない事なのか道徳に反するのか?
もし家の家族も友達も失って、自分だけは立ち止まる事すら許されず
無理矢理歩き出さなきゃいけないときに、
張りつめた一日の終わりにささいな楽しみがひとつあったって
それをとやかく言われる筋合いは無いよねと考え
己の最初の気持ちを自分でなじった程であった。

正しさだけが正解じゃないんだと。

そして被災者が避難先で酒飲んだって
遊んだって、別に何も悪い事じゃないんじゃないかと思って

ホントに必要な震災対策グッズを考えてみる。『災害時用の簡易トイレを自宅に準備するのが一番大事なんじゃないのかね?』
http://kyuinkyuim.blog71.fc2.com/blog-entry-891.html

のブログ記事の中で

☆トランプや双六

気を紛らわせるために必要
震災体験者の方々の証言で、あそべるものがあったほうが
気がまぎれますとのお言葉。
被災者はあそんだりしてはいけないという事は無いので
積極的にこういう遊びグッズはもってたほうがいいと
口をそろえて言われたんで。



☆小瓶の酒

気分転換用と体があったまるので
おいしいバーボンの小瓶など。
被災者が酒飲んじゃいけないちゅーこともないし
飲んでまぎらわしたいこともあるかと、
やけ酒用みたいなものか


これらの娯楽性のあるものを
リストしたのだ。

多分日本中探しても、サバイバル用の準備の中に
ゲームや酒を入れろと指南してるものは
ほとんど無いんじゃないか?


さて、話を戻そう
「本当の金持ち」「本当に支援されるべき人」に
我々がことさら条件をつけてしまう傾向に関して
さっきの【被災者が酒を飲む事】をきっかけに
よく考えてみたら自分にとって都合のいい状態にある事を
「本当の」と定義してるに過ぎないんじゃないか?
という事実に気がついてしまったのだ。

なんて恐ろしいことを思ってたんだろう

例えば国から支援を受けるべき弱者というのは
可哀想でなければならない。
実際に可哀想かとかは実はどうでも良くて
イメージとして可哀想な雰囲気を
醸し出してて欲しいと願ってしまう気持ち。

一時も自分が援助した金で遊んで楽しそうにしてる姿は見たくないし
兎に角常に哀れでかわいそうに思えるようにしていてほしいと望んでしまう。

その可哀想こそが主観やイメージであることに気がつかない。
自分の好みで援助されるべき弱者を選定するという
恐ろしい行為なのだが、
それにどれだけの人が気がついているのか

日本にだって支援されるべき子供達や弱者は沢山居るのに
自国の困ってる人に向かってまったく支援する気が起きないのに
例えばアフリカや紛争地域、途上国の子供達を支援するのには
むしろ積極的でためらわず支援したくなるこの気持ちは
なんなんだ?

突き詰めて考えたら、まさにさっき書いた
可哀想に思いたい願望を満たす相手であることが大事であるという
根本的なイメージに左右された心理に気がついたのだ。

自国の弱者支援は、いろいろ目につきやすい
だってそばに居るから簡単に見える
粗も見える。
自分の気に入らん弱者に金が渡るのがどうも好かん

でも物理的に遠い国の子供達は
都合良く可哀想な部分しか目に入らないのだ

行き渡った金は子供に渡ってるのではなく
支援団体の人たちの交遊費に消えてるかも知れないし、
運良く子供にわたったとしても、食料や薬になってないかも
悪い親が搾取して酒代になってるかも、
もしかしたら親が悪い奴で武器や麻薬を買ってるかもしれない。

でも見えてこないものは無いということにしてしまえば
苦しむ子供に向かって金を渡したという
自分がしてやったよい行いの事実だけが残る。

だからこそ支援する相手は都合が良くないと行けないのだ。

最近はもうちょっと訳が分かってる人が増えてきて
弱者を選り好みしてはいかん
自分に取って都合のいい人が弱者だというのは
考えが浅いんですよという事は
ある程度のインテリ層には浸透してきた感はあるけど、

こういう人も金持ちに関しては
自分の都合のいい金持ちであることを不思議と望むんだよね。

お金を湯水のようにつかっちゃうような派手なことする奴は
本当の金持ちじゃない。

本当の金持ちは金を持ってる事をひけらかさないものだ、

地味な服を着て、微塵も金持ちだと感じさせないのが
本当の金持ちなのだ。


ちょっと待て、

それは自分が羨ましくならないように
ジェラシーを感じずに済むように気を使ってくれる金持ちが
自分にとって都合のいい金持ちであって、
別にに本当の金持ちって話じゃなくないか?

「本当の金持ち」ではなく「あなたの都合のいい金持ち」でしょそれ。


で、思ったのだ。
(ここからが本題ですよ)

そう、理研でSTAP細胞を発見したあの研究者の
ヴィヴィアンウェストウッドの指輪の話や
服装の話や、割烹着の話をするんじゃない!と
怒り狂った人が何故あんなに多かったのか。

なんか異常なくらいヒステリックに
研究の事だけ紹介すれば良いのだ
とワイワイ騒いで怒った人たち。

先の記事にも
「くだらんことに怒ってないで、
情報は自分で取りにいけよ、
まずは理研のホームページ読んだらよかろうに」
私はちゃんと書いたけど、

世の空気をよく見てみると、何か異常なほど怒ってる人たちに
たいした事してないおばちゃん研究員とか
無名の報われないリケジョのハシリみたいな
人たちが何故か多かった事が気になったのだ。

そんでもって
新聞記事に人となりを伝える文脈で書かれた
ヴィヴィアンウェストウッドの指輪や
ピンクの壁、ムーミン好き、割烹着着用に対して
拒否反応を起こした人たちのお気持ちについて
思いを馳せてみたんですね。

彼らは一見研究者の味方に見える言説で
報道の仕方がけしからん、もっと研究の事を説明しろと
さも解った風なふりをして批判してたけど。
なんかおかしい。
違和感ありまくり

私の透視能力は欺けませんよ。
見える見える本音が見えーる。

で、思い至ったのは


もしや
彼らが怒ってるのはゲスな報道のせいじゃ無いんじゃね?
ってこと


女子力が高くってかわいらしい
(何も女である事を犠牲にしてないように見える)
若い研究者が
実は優秀で世界中あっと驚くような発見をし
結果を出すなんて

【都合が悪い】

人たちが沢山居たんじゃないかないかってこと。

そう考えると
服装やら周辺情報を出すなという
異常な明後日の方向のヒステリーにも説明がつくじゃないか。

なるほどー。
腑に落ちちゃった!


要するにだ
何か結果を出す為に多くの人は修行僧のような生活をしてるわけだ。
そうすることは科学的根拠の無い精神論なんだけど

おしゃれしたり、髪型気にしたり、
ファッションに興味を持つ暇があったら
その時間に本を読んで、実験して、論文書けよと。

ほら、日本に古くからある願掛け文化ですよ。
何か叶えたい大層な事があると
好きな物を断って願をかけるあの精神世界です、

願掛け文化は男女関係なくあるけど

理系の研究分野では
殊更、女性研究者が大成しようと思ったら
女子力を断って、おしゃれなんかにかまけてないで、
兎に角、女を捨てて研究に一生捧げて、
男と対等に渡り合っていかないと
女の研究なんかうまく行くはずが無いのだっていうアレ。

マスコミの報道アプローチバッシングをした人たちは
意識してないのかも知れないけど

女子力&おしゃれ断ちをしてないのに結果だけ出しやがって
ムッキー!

っていう感情が
一切無かったと言えるのだろうか。

そもそも
リケジョでなくったって女でなくたって
この国の教育は、年頃の子が年齢相応に色気づき始めると
勉強がおろそかになるからといって、
髪型なんか気にしないように
男の子は丸坊主、女の子はおさげに結べ
出来るだけ色気のでないような地味な制服を
ダサさを全面に押し出して着ろ、

子供は子供らしく居ろ
性的な匂いなんかさせるな
勉強できなくなる!
中学生や高校生に恋人が出来るなんて
不純で汚らわしくて、犯罪だ!

という生物学を否定した思想に基づいて
世の中が運営されてるじゃないか。

人間が動物として年齢相応に芽生える
性的な自覚に関しては、
鈍感であればあるほど評価されてきてるもんだから
男っ気が無い、女っ気が無いことを
大の大人になってからもアピールしまくる異常な状態

その癖、少子化は嘆かわしいけしからん
女は子供産まない、男は女を押し倒す事も出来ない
草食系男子とか言って否定され。

いや、育てたように子供が育っただけじゃないか
とツッコむ人はいないんかい。

そんなこんな2014年の世の中に
あんなに女子力満開で色気づき、カワイイ満載の
女の子女の子した雰囲気のおしゃれに自由な感じの人が
世界が揺らぐような発見しちゃったら

「おしゃれにかまけてたらなんか勉強なんか出来ない」と
大人になっても中学校の洗脳教育が解けてない人たちが
目の前に起こってる現実が消化できなくて
集団ヒステリーを起こしちゃった感じが
まさに、

女っぽいとか、ヴィヴィアンウェストウッドが好きとか
報道してくれるな!という
異常な叫びだったんじゃないか

そら、いままで信じてきた精神論根性論が
大事な根幹の願掛け教を真っ向否定されたら
ああなるわな。


「女性って言うな、割烹着って言うな、
壁がピンクって言うな、
ムーミンのステッカー貼ってるって言うな、
ソファ運び込んだって言うな
亀飼ってるっていうな、
ヴィヴィアンウェストウッドの指輪持ってるって言うな!
研究の事だけ言えば良いのだ。
本当の報道をしてください」

と、ぎゃーぎゃー過剰に拒否して騒いだ人たちのいう
「本当の報道」って

「私たちに都合の悪い報道はしないで、
私たちの都合のいい報道をしてください」

というのが
まさか本音だったんじゃあるまいな。






===
その後、リアルゴシップ誌や女性週刊誌やワイドショーという
新聞社とは違う種類のマスコミが、後追いで下品な周辺記事を
載せ始めた話と、この発見が報道機関にむけて
正式に発表された時の報道の仕方の話とは全く別の事なので
そこら辺ごっちゃにしないように、いちを言っておきます。

(これを読んでる皆さんは賢い筈なんで
いちいち言わなくても当然解ってると思いますが念のため)
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