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結局人生50歩100歩 じゃないかもしれない。

後編:憧れは色あせる:20年ぶりに森瑤子の『情事』を読んでみた。

2012-02-28 Tue 21:30
前編 中編からお読みください

ロビー


作者ともう一度きちんと向き合う環境を整えて
まさに挑んだ森瑤子のデビュー作『情事』

実は最初に読んだ時、途中で挫折したのを思い出した。
あまりに突飛なストーリーに、まだ若かった私は
理解も共感も出来ず不快感だけが先行してしまい
途中で読み進めるのを諦めたのだった。

そして、何年か後に読み返して
やっぱり相性が悪いというか読み進まなくて挫折

よく思い返すと、結局一度も
『情事』を最後まできちんとは読んでないような気がする。

というかストーリーの記憶が最初の三ページくらいで
ぷつっと途切れているのだ。

今回やっと最後まで我慢して読んだのだった。
内容は高校生に読めないような難しい話でも
なかったのだが、
私はなんで挫折したんだろうという理由を
ずっと考えていた。


ざっくりあらすじを書くと

 夫に興味を持ってもらえなくなって
 焦燥感を抱くアラフォー子持ち人妻が
 自分の女としての魅力を確かめる為に
 男を引っ掛けて不倫する

というお話だ(ざっくりしすぎ?)


何のことは無い、こうやってそぎ落とした
あらすじ説明だけ聞くと
21世紀では使い古された設定に思える。

しかしこれが書かれたのは1978年(昭和53年)
いまから34年も前の話で、なんと為替相場は
1GBP(英国ポンド)470円の時代なのである。

要するに一般庶民にとってまだまだ諸外国は遠く
外国人(特に西洋人)と交流があるなんてのは
ごく一部の特殊なカテゴリーに属する人たちの
マイナーなコミュニティであったろう。

そんな時代に森瑤子が書いた内容は
それはそれはセンセーショナルだったはずだ。


さっきのあらすじに森瑤子がかけた魔法は

英国人の 夫に興味を持ってもらえなくなって
焦燥感を抱くアラフォー子持ち人妻が
自分の女としての魅力を確かめる為に
六本木の外人が溜まってるバーで
夫と同じ英国人の男を引っ掛けて不倫する


そう、夫も英国人、不倫相手も英国人
出てくる舞台は六本木、軽井沢の別荘や、
三浦半島の秋谷の別宅

そしてトドメは1978年当時
どれだけの人が食べたことがあったのか
と思うような本格的な英国料理の数々。


ラム1

ラムのローストにミントソース、


そしてお茶の時間には紅茶に
スコーンにジャムである。

スコーン


この設定がもし

夫が九州男児
不倫相手は関西人
出てくる舞台は主人公が住む場所が通天閣で
別荘なんか無く夏休みは海水浴日帰り
料理は冷汁とチキン南蛮
三時のおやつは緑茶に文明堂のカステラだったら
一体どーなっていたんだろうか?

(それはそれで面白そうではあるが・・・)

森瑤子が当時人々の嫉妬を通り越して
手放しの羨望をもって迎えられたのは
実態がどうだったとしてもやはり
ごく普通の生活をしている人々が
一生触れることが出来ないような特殊な世界を
小説の舞台に持ってきたことに尽きると思う。

21世紀、世界の枠組みが変わり
ネットがこれだけ発達し
距離という概念が根底から覆されてる時代の
国際結婚が下敷きになった不倫物語ではないのだ

いまの時代で言うと極端だけど
宇宙人と結婚してる地球人の妻くらいの
驚きと憧れを引っさげて、世の中に森瑤子は
デビューしたと表現しても過言では無いかもしれない。


物語の核の部分は古典にでも出てきそうな
かなり使い古された
「夫に不満を持つ人妻が不倫する話」
であるが
そこにかけられた魔法は
今読んでも決して色褪せる事の無いもので

この単純なストーリーにこの舞台設定か
と唸らされる結果になった。

物語のプロットに目新しさは皆無だが
その設定の目新しさのみで読者を魅了したとも言える。

私としては酸いも甘いもかみ分けちゃって
挙句主人公が女として私まだ価値があるの?って
悩んでた年齢もかるく飛び越えてから
ようやく再読かつ完読したわけであるが、

いつもの斜に構えたポジショントークを捨てて
素直な目線で書いてみると

主人公の生き方にも物語のプロットにも
なんの共感も感動も、理解も出来ない事は
20数年前に読んだ時と全く変わらないが

執筆されたのが1978年で時代背景などを
加味して見ると
それはそれは彼女のデビュー作は
センセーショナルだったんだろうなと
納得できるし

文体の美しさ、洗練され具合は
処女作が彼女の最高傑作だったと確認するには
充分なものであった。

でも、
私が憧れた森瑤子という人は
初期の作品を書いていた
満たされない雅代さんではなく。

客観的に世の中から認められ、評価され
好かれ、代替のきかない自分を見つけることが
出来た後の森瑤子さんなのだ。

勿論「己」というものに自信をなくして
自分の存在価値を確かめる事も出来ず
暗闇の中にいた時代があったからこそ
森瑤子として世に出て、
私達をあのバブル期にぴったりのセンスと
ゴージャスさで楽しませてくれたわけなのだが、

私は世に認知された後の毒々しいまでに
インパクトをもった森瑤子というキャラクターが
好きだったのだと
再認識できたような気がする。


森瑤子の作品というのは
きっと二つに分けられるのだ

雅代ブラッキンと言う普通の女性が書いた作品と
そして女流作家森瑤子を演じる彼女が書いた作品と。

私は森瑤子を演じるようになってから書いた作品のほうが
多作で雑になったと揶揄されても
やっぱり好きなのである。


さて、憧れが色あせたかどうかは
番外編でじっくりと

つづく
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中編:憧れは色あせる:20年ぶりに森瑤子の『情事』を読んでみた。

2012-02-20 Mon 18:30
前編からお読みください。

1978年に書かれた森瑤子のデビュー作
『情事』を読み直そうとした私だが
電子書籍ではエッセイ1種類しか見つける事が出来ず
駅構内の小さな本屋には取り扱いが無く
BOOK OFFの105円コーナーで
やっと目的の『情事』を発見。


情事 (集英社文庫 143-A)情事 (集英社文庫 143-A)
(1982/04/20)
森 瑤子

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BOOK OFFの森瑤子の棚には
想像以上に沢山のタイトルが並んでいて
彼女がデビューしてから亡くなるまで
たった15年程の作家人生だったにもかかわらず
びっくりするぐらい短編と言えども作品を
世に送り出していたことに改めて思い出した。

背表紙のタイトルを見ただけで
あーこれ!!!と思い出せるものが
いくつかあった。



『東京発千夜一夜』

ああ、これって朝日新聞の連載小説で
毎日楽しみに母と今日の森瑤子の出来を
評価しながら読んだなぁとか

「夜のチョコレート」

「非常識の美学」

非常識の美学 (角川文庫)非常識の美学 (角川文庫)
(1995/02)
森 瑤子

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「終わりの美学」

終りの美学 (角川文庫)終りの美学 (角川文庫)
(1998/11)
森 瑤子

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この辺のエッセイは雑誌に連載されていて
リアルタイムに読んでいて
それらをまとめたもの。

彼女の全盛期、沢山雑誌に連載を抱え
内容がかぶりまくっていたことを鮮明に思い出した。

そして、無理をして書いているな と
読者が感じてしまうくらい
悲壮感が文章から漂ってきていたことも
フラッシュバックのように思い出した。

最も印象に残っているのは
バブル絶頂期にイタリアンが流行った時の
ティラミスの話である。

斜に構えてポジショントークし
「解ってる作家の私」を必死に演出していたのか

ティラミスをこき下ろすその連載を読んだ時
なんとなく彼女の限界を見てしまったような気が
実はしていたのだ。

流行ってるものをとにかくなんでも批判すると
わかってる風が装えてカッコイイ。

超売れっ子女流作家で
ハンサムウーマンと持て囃されて
勘違いをしているんだろうなと、
1992年の私はその雑誌を母に見せながら
リアルタイムで批判した事も思い出した。

母はどこかから漏れ聞いたのか
実は英国紳士実業家の奥様の肩書きも
実際はずいぶん違うらしいわよと教えてくれた。
(実際、この辺のリアルストーリーは
彼女の死後暴かれいまや誰でも知っているのであるが)


よく考えると最後に森瑤子をちゃんと読んだのは
一体いつだったのか?

その後私は親元を離れ東海岸で生活するようになり
いつしか森瑤子のことを忘れ
そして時たま思い出して
日本に帰国する際に買い求めたり
そして他の国へ行く為に蔵書を処分したりと
時間が経過した。

いま手元にたった一冊残る
「デザートはあなた」

デザートはあなた (朝日文芸文庫)デザートはあなた (朝日文芸文庫)
(1995/02)
森 瑤子

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読み返したのは10年も前のことだ。
アメリカに戻る飛行機で読もうと
再度購入したものなのだ。

何故この本なのか?
ドラマ化されてとても印象に残ってた
ただそれだけなんだけど。
いまでも主人公の大西俊介:岩城滉一が
料理をする姿が鮮明に焼きついている。
忌野清志郎もでてたね。

とおもったらすごい!ようつべに落ちてたので
実はブログを書くのをやめてずっと見てました。
岩城滉一が若くてびっくりしたし
料理にあわせる酒がワインではなくビールなのも
食事中に登場人物が煙草を吸う場面があったりと
時代を感じるわ。

『デザートはあなた』で紹介された
オイルサーディン丼なんて
私の周りでは一時ブームになったほど。

懐かしい題名を前に
いちいちいろんなことが思い出された。


自分の中では20年前の1992年くらいに
タイムスリップした感覚で
すさまじい数の彼女の作品たちを
題名とともに感慨を持って
一つ一つ思い出していた。


いつしか彼女より多く旅をして
多くの経験を積み
いろんな事を知る自分になった。

初めて森瑤子の作品と出会ってから
四半世紀

作家 森瑤子 に憧れ、
彼女のように旅したいと願っていた
あの頃の夢が叶ってしまった後は
すっかり忘れて彼女の作品から
まったくと言って良いほど遠ざかっていた。


その後のアポイントで移動する事を無視して
私はその棚にある森瑤子の文庫本を
すべて家に連れて帰ろうかとおもった。
だって1冊105円だし、
本は大人買いするのが子供時代からの慣例だし。
(本好き一家だったので本を好きなだけ買う事は
我が家では合法だったのだ)

なので、棚全部買いを目論んで
店内の買い物籠を探そうとしてふと思いとどまった。

果たして全部買って全部読んで
もう一度「うわっやっぱり森瑤子ってカッコイイ!」と
感動できるのか?自問自答してしまったのだ。


既に過去のどこかの時点で
もしかしたら越えてしまっているかもと
感付いていたのかもしれない。


今日は『情事』ともう一冊だけ買って読み返し
もう一度「うわあ!」って思えたら大人買いしよう。


迷いに迷って目的のデビュー作『情事』のほかに一冊
に決まったのは

『ホテルストーリー』

ホテル・ストーリー (中公文庫)ホテル・ストーリー (中公文庫)
(1999/09)
森 瑤子

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いつもの私なら
文章を読むのがめちゃくちゃ早いので
もって帰るのが重いとか
今すぐ読みたい衝動に勝てないとかだと
ちゃっちゃと立ち読みで一冊読んでしまう程なのだが

この二冊に関しては
移動中もページを開かないで望んだ。


だって、
きちんと作家 森瑤子と向き合うには
読むという環境を整えるのが
礼儀だと思ったからだ。



またまた続く。




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前編:憧れは色あせる:20年ぶりに森瑤子の『情事』を読んでみた。

2012-02-18 Sat 02:00
HKG001


香港で目覚める朝、必ず思い出すのが、
作家 森瑤子のエッセイである。
10代の頃読んだそれには
確かこう書かれていた。

香港の朝食はホテルで摂らず
街中のお粥屋に行く。




当時、作家 森瑤子が書く旅に関するエッセイは
それはそれは洗練されているように見えて
その時代まだ他の誰もやってないような
自由に旅することの面白さや
旅先での遊び方が記されていて
ほんとにときめいた。

大人になったらこういう風に旅して遊びたい。

そして今、実際そういう生活をしている。

思いついたときに1人でふらっと香港に行き
混沌とした佐敦あたりのなんでもないお粥屋で
おかゆ

ふーふーいいながら皮蛋痩肉粥を食べている時
あの頃憧れた私になっているのかなと
なんとも言えない感慨を覚えたりして。

作家 森瑤子が無くなって来年で20年だそうだ。
彼女の没後数年は色んな方面から賛美だったり
中傷だったり暴露話だったりと
本当に色んな話が漏れ聞こえていたが
ここ10年はすっかり名前を目にする機会も減った。


最初に作家森瑤子に触れたのはいつだったか。


10代の頃、私はヨーロッパ好きの両親に連れられて
頻繁に旅をしていた。

バブルが始まるずっと前だったし、
海外旅行も今ほどメジャーな娯楽ではなく、
休みのたびにヨーロッパに行く生活なんて
軽々しく友に話すものでもなく

なんとなく自慢げになるのが怖くて
夏休みは何処に行くの?と言う会話に
無難に「熱海に行く」と答えたりしていた。
(熱海も実際に行くので嘘をついてるわけではないが
そのほかにもドイツに行くとかはわざわざ言わない)

今と違ってネットも無い時代、海外旅行に関する情報は
家に送られてくるAMEXやダイナースのカード会社の冊子や
母が定期的に読むハイエンドな雑誌だけ

そこに掲載されている
グルメ評論家が連載していた世界のホテルの朝食とか
雑誌の欧州特集なんかを読んで
子供ながらにこんな旅をしたいとおもっていた。

実際、母と私が雑誌に載っていた古城ホテルに目をつけ
ここに泊まってみたーいと言い出し
当時FAXも無い時代に母がエアメールを書いて
予約を取った事もある。

お手本もなくガイドブックも充実しておらず
文字通り我が家は手探りで欧州を旅していた。

要するに私以上に回数を重ねて海外に旅する人も
まわりにはおらず、
憧れられる存在の無い状態で旅をしていたわけだ。


そこに突然、出てきたのが彼女である。
旅やホテルをテーマにした軽いタッチの小説を書き
エッセイで実際の旅日記を綴る作家 森瑤子は
本当に本当に10代の私の心を射抜いたのだ。

彼女の遊びのテリトリーは我が母校の近くで
住んでいる場所も比較的近かった為
私にとっては雲の上の存在でも遠い憧れでもなく
簡単に言えば真似したい、真似できる憧れだった。
私にとって森瑤子とは手の届かない存在ではなく
すぐそばにいて道標になりそうな存在だったのだ。

彼女のように粋に生きて
世界中を旅したい。

それから1993年に森瑤子が癌で急逝するまで
私は彼女のエッセイやら短編小説やらと一緒に時代を生きた。
1991年~朝日新聞に連載されている小説を読むためだけに
朝日と契約し毎朝連載の出来を母と評価しあったのも
いい思い出である。

彼女の全盛期日本はバブル景気に沸き
日本の未来は本当に本当に前途洋々で明るく思えた。

時代が彼女のセンスにぴったりあって当時の東京で
めちゃくちゃに狂ったようにきらめいていたのだ。

実は彼女のデビュー作すばる文学賞をとった
『情事』を私は彼女が亡くなってから読んだ。

光が消えてしまう前にちょっとの間輝きを増すような
一番輝いていた期間、森瑤子が一番ステキだった時代を
見てきた割には
私は彼女がメジャーになってから初期の
一連の作品に触れたことがなかった。

なんとなく本能的に、
彼女の陰の部分を見るのを避けていたのかもしれない。

20代になったばかりのねんねの私には
デビュー作の『情事』は全く理解不能であり、
消化する事が出来なかった。


正直、大好きな作品「デザートはあなた」を書いてる作家が
「情事」を書いた人と同一人物とは思えなかったほどだ。


今で言うアラフォーの女の焦燥感なんて
二十歳そこそこの小娘に解るはずも無かった。

理解も出来ないし共感も出来なかった。
ただ理解できない違和感が残った。
その違和感の意味が若い私には
全くわからなかった、

そして何度か
自分の人生の節目にコレクションしていた彼女の作品を
整理しないといけない外的要因が私には訪れ
手元に残った文庫本はたった一冊
「デザートはあなた」だけになった。
(これも正確に言うと10年前に買いなおしたものだが)

そんなある日。
ツイッターのタイムラインで森瑤子という名前を
ほんとうに久しぶりに見かけた。
その友のツイートを読んでいろんな事が思い出された。

そういえば最後に情事を読んで20年くらいたった。
要するに森瑤子が亡くなって
約20年の月日が流れたということだ、

何度読んでも共感することが出来なかった
鬼門とも言うべきあの作品を
この年になっていまの私が読んだらどうおもうのだろう。

電子書籍でてっとり早くダウンロードして読もうと
試みたものの『情事』のタイトルをうまく見つけることは出来ず。
駅前の本屋には在庫が無く
ここならあるかもと向かった先はBOOKOFF
森瑤子作品は105円のコーナーに
忘れられたようにそれはそれは沢山並んでいた。

続く
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