結局人生50歩100歩 じゃないかもしれない。

後編:憧れは色あせる:20年ぶりに森瑤子の『情事』を読んでみた。

2012-02-28 Tue 21:30
前編 中編からお読みください

ロビー


作者ともう一度きちんと向き合う環境を整えて
まさに挑んだ森瑤子のデビュー作『情事』

実は最初に読んだ時、途中で挫折したのを思い出した。
あまりに突飛なストーリーに、まだ若かった私は
理解も共感も出来ず不快感だけが先行してしまい
途中で読み進めるのを諦めたのだった。

そして、何年か後に読み返して
やっぱり相性が悪いというか読み進まなくて挫折

よく思い返すと、結局一度も
『情事』を最後まできちんとは読んでないような気がする。

というかストーリーの記憶が最初の三ページくらいで
ぷつっと途切れているのだ。

今回やっと最後まで我慢して読んだのだった。
内容は高校生に読めないような難しい話でも
なかったのだが、
私はなんで挫折したんだろうという理由を
ずっと考えていた。


ざっくりあらすじを書くと

 夫に興味を持ってもらえなくなって
 焦燥感を抱くアラフォー子持ち人妻が
 自分の女としての魅力を確かめる為に
 男を引っ掛けて不倫する

というお話だ(ざっくりしすぎ?)


何のことは無い、こうやってそぎ落とした
あらすじ説明だけ聞くと
21世紀では使い古された設定に思える。

しかしこれが書かれたのは1978年(昭和53年)
いまから34年も前の話で、なんと為替相場は
1GBP(英国ポンド)470円の時代なのである。

要するに一般庶民にとってまだまだ諸外国は遠く
外国人(特に西洋人)と交流があるなんてのは
ごく一部の特殊なカテゴリーに属する人たちの
マイナーなコミュニティであったろう。

そんな時代に森瑤子が書いた内容は
それはそれはセンセーショナルだったはずだ。


さっきのあらすじに森瑤子がかけた魔法は

英国人の 夫に興味を持ってもらえなくなって
焦燥感を抱くアラフォー子持ち人妻が
自分の女としての魅力を確かめる為に
六本木の外人が溜まってるバーで
夫と同じ英国人の男を引っ掛けて不倫する


そう、夫も英国人、不倫相手も英国人
出てくる舞台は六本木、軽井沢の別荘や、
三浦半島の秋谷の別宅

そしてトドメは1978年当時
どれだけの人が食べたことがあったのか
と思うような本格的な英国料理の数々。


ラム1

ラムのローストにミントソース、


そしてお茶の時間には紅茶に
スコーンにジャムである。

スコーン


この設定がもし

夫が九州男児
不倫相手は関西人
出てくる舞台は主人公が住む場所が通天閣で
別荘なんか無く夏休みは海水浴日帰り
料理は冷汁とチキン南蛮
三時のおやつは緑茶に文明堂のカステラだったら
一体どーなっていたんだろうか?

(それはそれで面白そうではあるが・・・)

森瑤子が当時人々の嫉妬を通り越して
手放しの羨望をもって迎えられたのは
実態がどうだったとしてもやはり
ごく普通の生活をしている人々が
一生触れることが出来ないような特殊な世界を
小説の舞台に持ってきたことに尽きると思う。

21世紀、世界の枠組みが変わり
ネットがこれだけ発達し
距離という概念が根底から覆されてる時代の
国際結婚が下敷きになった不倫物語ではないのだ

いまの時代で言うと極端だけど
宇宙人と結婚してる地球人の妻くらいの
驚きと憧れを引っさげて、世の中に森瑤子は
デビューしたと表現しても過言では無いかもしれない。


物語の核の部分は古典にでも出てきそうな
かなり使い古された
「夫に不満を持つ人妻が不倫する話」
であるが
そこにかけられた魔法は
今読んでも決して色褪せる事の無いもので

この単純なストーリーにこの舞台設定か
と唸らされる結果になった。

物語のプロットに目新しさは皆無だが
その設定の目新しさのみで読者を魅了したとも言える。

私としては酸いも甘いもかみ分けちゃって
挙句主人公が女として私まだ価値があるの?って
悩んでた年齢もかるく飛び越えてから
ようやく再読かつ完読したわけであるが、

いつもの斜に構えたポジショントークを捨てて
素直な目線で書いてみると

主人公の生き方にも物語のプロットにも
なんの共感も感動も、理解も出来ない事は
20数年前に読んだ時と全く変わらないが

執筆されたのが1978年で時代背景などを
加味して見ると
それはそれは彼女のデビュー作は
センセーショナルだったんだろうなと
納得できるし

文体の美しさ、洗練され具合は
処女作が彼女の最高傑作だったと確認するには
充分なものであった。

でも、
私が憧れた森瑤子という人は
初期の作品を書いていた
満たされない雅代さんではなく。

客観的に世の中から認められ、評価され
好かれ、代替のきかない自分を見つけることが
出来た後の森瑤子さんなのだ。

勿論「己」というものに自信をなくして
自分の存在価値を確かめる事も出来ず
暗闇の中にいた時代があったからこそ
森瑤子として世に出て、
私達をあのバブル期にぴったりのセンスと
ゴージャスさで楽しませてくれたわけなのだが、

私は世に認知された後の毒々しいまでに
インパクトをもった森瑤子というキャラクターが
好きだったのだと
再認識できたような気がする。


森瑤子の作品というのは
きっと二つに分けられるのだ

雅代ブラッキンと言う普通の女性が書いた作品と
そして女流作家森瑤子を演じる彼女が書いた作品と。

私は森瑤子を演じるようになってから書いた作品のほうが
多作で雑になったと揶揄されても
やっぱり好きなのである。


さて、憧れが色あせたかどうかは
番外編でじっくりと

つづく
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中編:憧れは色あせる:20年ぶりに森瑤子の『情事』を読んでみた。

2012-02-20 Mon 18:30
前編からお読みください。

1978年に書かれた森瑤子のデビュー作
『情事』を読み直そうとした私だが
電子書籍ではエッセイ1種類しか見つける事が出来ず
駅構内の小さな本屋には取り扱いが無く
BOOK OFFの105円コーナーで
やっと目的の『情事』を発見。


情事 (集英社文庫 143-A)情事 (集英社文庫 143-A)
(1982/04/20)
森 瑤子

商品詳細を見る


BOOK OFFの森瑤子の棚には
想像以上に沢山のタイトルが並んでいて
彼女がデビューしてから亡くなるまで
たった15年程の作家人生だったにもかかわらず
びっくりするぐらい短編と言えども作品を
世に送り出していたことに改めて思い出した。

背表紙のタイトルを見ただけで
あーこれ!!!と思い出せるものが
いくつかあった。



『東京発千夜一夜』

ああ、これって朝日新聞の連載小説で
毎日楽しみに母と今日の森瑤子の出来を
評価しながら読んだなぁとか

「夜のチョコレート」

「非常識の美学」

非常識の美学 (角川文庫)非常識の美学 (角川文庫)
(1995/02)
森 瑤子

商品詳細を見る


「終わりの美学」

終りの美学 (角川文庫)終りの美学 (角川文庫)
(1998/11)
森 瑤子

商品詳細を見る


この辺のエッセイは雑誌に連載されていて
リアルタイムに読んでいて
それらをまとめたもの。

彼女の全盛期、沢山雑誌に連載を抱え
内容がかぶりまくっていたことを鮮明に思い出した。

そして、無理をして書いているな と
読者が感じてしまうくらい
悲壮感が文章から漂ってきていたことも
フラッシュバックのように思い出した。

最も印象に残っているのは
バブル絶頂期にイタリアンが流行った時の
ティラミスの話である。

斜に構えてポジショントークし
「解ってる作家の私」を必死に演出していたのか

ティラミスをこき下ろすその連載を読んだ時
なんとなく彼女の限界を見てしまったような気が
実はしていたのだ。

流行ってるものをとにかくなんでも批判すると
わかってる風が装えてカッコイイ。

超売れっ子女流作家で
ハンサムウーマンと持て囃されて
勘違いをしているんだろうなと、
1992年の私はその雑誌を母に見せながら
リアルタイムで批判した事も思い出した。

母はどこかから漏れ聞いたのか
実は英国紳士実業家の奥様の肩書きも
実際はずいぶん違うらしいわよと教えてくれた。
(実際、この辺のリアルストーリーは
彼女の死後暴かれいまや誰でも知っているのであるが)


よく考えると最後に森瑤子をちゃんと読んだのは
一体いつだったのか?

その後私は親元を離れ東海岸で生活するようになり
いつしか森瑤子のことを忘れ
そして時たま思い出して
日本に帰国する際に買い求めたり
そして他の国へ行く為に蔵書を処分したりと
時間が経過した。

いま手元にたった一冊残る
「デザートはあなた」

デザートはあなた (朝日文芸文庫)デザートはあなた (朝日文芸文庫)
(1995/02)
森 瑤子

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読み返したのは10年も前のことだ。
アメリカに戻る飛行機で読もうと
再度購入したものなのだ。

何故この本なのか?
ドラマ化されてとても印象に残ってた
ただそれだけなんだけど。
いまでも主人公の大西俊介:岩城滉一が
料理をする姿が鮮明に焼きついている。
忌野清志郎もでてたね。

とおもったらすごい!ようつべに落ちてたので
実はブログを書くのをやめてずっと見てました。
岩城滉一が若くてびっくりしたし
料理にあわせる酒がワインではなくビールなのも
食事中に登場人物が煙草を吸う場面があったりと
時代を感じるわ。

『デザートはあなた』で紹介された
オイルサーディン丼なんて
私の周りでは一時ブームになったほど。

懐かしい題名を前に
いちいちいろんなことが思い出された。


自分の中では20年前の1992年くらいに
タイムスリップした感覚で
すさまじい数の彼女の作品たちを
題名とともに感慨を持って
一つ一つ思い出していた。


いつしか彼女より多く旅をして
多くの経験を積み
いろんな事を知る自分になった。

初めて森瑤子の作品と出会ってから
四半世紀

作家 森瑤子 に憧れ、
彼女のように旅したいと願っていた
あの頃の夢が叶ってしまった後は
すっかり忘れて彼女の作品から
まったくと言って良いほど遠ざかっていた。


その後のアポイントで移動する事を無視して
私はその棚にある森瑤子の文庫本を
すべて家に連れて帰ろうかとおもった。
だって1冊105円だし、
本は大人買いするのが子供時代からの慣例だし。
(本好き一家だったので本を好きなだけ買う事は
我が家では合法だったのだ)

なので、棚全部買いを目論んで
店内の買い物籠を探そうとしてふと思いとどまった。

果たして全部買って全部読んで
もう一度「うわっやっぱり森瑤子ってカッコイイ!」と
感動できるのか?自問自答してしまったのだ。


既に過去のどこかの時点で
もしかしたら越えてしまっているかもと
感付いていたのかもしれない。


今日は『情事』ともう一冊だけ買って読み返し
もう一度「うわあ!」って思えたら大人買いしよう。


迷いに迷って目的のデビュー作『情事』のほかに一冊
に決まったのは

『ホテルストーリー』

ホテル・ストーリー (中公文庫)ホテル・ストーリー (中公文庫)
(1999/09)
森 瑤子

商品詳細を見る


いつもの私なら
文章を読むのがめちゃくちゃ早いので
もって帰るのが重いとか
今すぐ読みたい衝動に勝てないとかだと
ちゃっちゃと立ち読みで一冊読んでしまう程なのだが

この二冊に関しては
移動中もページを開かないで望んだ。


だって、
きちんと作家 森瑤子と向き合うには
読むという環境を整えるのが
礼儀だと思ったからだ。



またまた続く。




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前編:憧れは色あせる:20年ぶりに森瑤子の『情事』を読んでみた。

2012-02-18 Sat 02:00
HKG001


香港で目覚める朝、必ず思い出すのが、
作家 森瑤子のエッセイである。
10代の頃読んだそれには
確かこう書かれていた。

香港の朝食はホテルで摂らず
街中のお粥屋に行く。




当時、作家 森瑤子が書く旅に関するエッセイは
それはそれは洗練されているように見えて
その時代まだ他の誰もやってないような
自由に旅することの面白さや
旅先での遊び方が記されていて
ほんとにときめいた。

大人になったらこういう風に旅して遊びたい。

そして今、実際そういう生活をしている。

思いついたときに1人でふらっと香港に行き
混沌とした佐敦あたりのなんでもないお粥屋で
おかゆ

ふーふーいいながら皮蛋痩肉粥を食べている時
あの頃憧れた私になっているのかなと
なんとも言えない感慨を覚えたりして。

作家 森瑤子が無くなって来年で20年だそうだ。
彼女の没後数年は色んな方面から賛美だったり
中傷だったり暴露話だったりと
本当に色んな話が漏れ聞こえていたが
ここ10年はすっかり名前を目にする機会も減った。


最初に作家森瑤子に触れたのはいつだったか。


10代の頃、私はヨーロッパ好きの両親に連れられて
頻繁に旅をしていた。

バブルが始まるずっと前だったし、
海外旅行も今ほどメジャーな娯楽ではなく、
休みのたびにヨーロッパに行く生活なんて
軽々しく友に話すものでもなく

なんとなく自慢げになるのが怖くて
夏休みは何処に行くの?と言う会話に
無難に「熱海に行く」と答えたりしていた。
(熱海も実際に行くので嘘をついてるわけではないが
そのほかにもドイツに行くとかはわざわざ言わない)

今と違ってネットも無い時代、海外旅行に関する情報は
家に送られてくるAMEXやダイナースのカード会社の冊子や
母が定期的に読むハイエンドな雑誌だけ

そこに掲載されている
グルメ評論家が連載していた世界のホテルの朝食とか
雑誌の欧州特集なんかを読んで
子供ながらにこんな旅をしたいとおもっていた。

実際、母と私が雑誌に載っていた古城ホテルに目をつけ
ここに泊まってみたーいと言い出し
当時FAXも無い時代に母がエアメールを書いて
予約を取った事もある。

お手本もなくガイドブックも充実しておらず
文字通り我が家は手探りで欧州を旅していた。

要するに私以上に回数を重ねて海外に旅する人も
まわりにはおらず、
憧れられる存在の無い状態で旅をしていたわけだ。


そこに突然、出てきたのが彼女である。
旅やホテルをテーマにした軽いタッチの小説を書き
エッセイで実際の旅日記を綴る作家 森瑤子は
本当に本当に10代の私の心を射抜いたのだ。

彼女の遊びのテリトリーは我が母校の近くで
住んでいる場所も比較的近かった為
私にとっては雲の上の存在でも遠い憧れでもなく
簡単に言えば真似したい、真似できる憧れだった。
私にとって森瑤子とは手の届かない存在ではなく
すぐそばにいて道標になりそうな存在だったのだ。

彼女のように粋に生きて
世界中を旅したい。

それから1993年に森瑤子が癌で急逝するまで
私は彼女のエッセイやら短編小説やらと一緒に時代を生きた。
1991年~朝日新聞に連載されている小説を読むためだけに
朝日と契約し毎朝連載の出来を母と評価しあったのも
いい思い出である。

彼女の全盛期日本はバブル景気に沸き
日本の未来は本当に本当に前途洋々で明るく思えた。

時代が彼女のセンスにぴったりあって当時の東京で
めちゃくちゃに狂ったようにきらめいていたのだ。

実は彼女のデビュー作すばる文学賞をとった
『情事』を私は彼女が亡くなってから読んだ。

光が消えてしまう前にちょっとの間輝きを増すような
一番輝いていた期間、森瑤子が一番ステキだった時代を
見てきた割には
私は彼女がメジャーになってから初期の
一連の作品に触れたことがなかった。

なんとなく本能的に、
彼女の陰の部分を見るのを避けていたのかもしれない。

20代になったばかりのねんねの私には
デビュー作の『情事』は全く理解不能であり、
消化する事が出来なかった。


正直、大好きな作品「デザートはあなた」を書いてる作家が
「情事」を書いた人と同一人物とは思えなかったほどだ。


今で言うアラフォーの女の焦燥感なんて
二十歳そこそこの小娘に解るはずも無かった。

理解も出来ないし共感も出来なかった。
ただ理解できない違和感が残った。
その違和感の意味が若い私には
全くわからなかった、

そして何度か
自分の人生の節目にコレクションしていた彼女の作品を
整理しないといけない外的要因が私には訪れ
手元に残った文庫本はたった一冊
「デザートはあなた」だけになった。
(これも正確に言うと10年前に買いなおしたものだが)

そんなある日。
ツイッターのタイムラインで森瑤子という名前を
ほんとうに久しぶりに見かけた。
その友のツイートを読んでいろんな事が思い出された。

そういえば最後に情事を読んで20年くらいたった。
要するに森瑤子が亡くなって
約20年の月日が流れたということだ、

何度読んでも共感することが出来なかった
鬼門とも言うべきあの作品を
この年になっていまの私が読んだらどうおもうのだろう。

電子書籍でてっとり早くダウンロードして読もうと
試みたものの『情事』のタイトルをうまく見つけることは出来ず。
駅前の本屋には在庫が無く
ここならあるかもと向かった先はBOOKOFF
森瑤子作品は105円のコーナーに
忘れられたようにそれはそれは沢山並んでいた。

続く
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あなたの隣人を愛せよ

2012-02-07 Tue 02:24
長らく放置しすぎて
ブログの書き方が解らなくなってしまいましたが
ついったーに細切れでつぶやいてることを
ちゃんとまとめたらブログ記事にできるじゃないか!
って事で実験としてまとめて記事にしてみました。

どっかの手抜きブログのように
ついったーの完全コピペってわけではなく
ツイートで言いたかったことを
文字数制限無く書きなおすって感じですが

飽きなければ
ツイートまとめシリーズとして
きっと気まぐれに更新されるでしょう。

それにしても、FC2ったら記事毎に有料記事にするか否か
その値段をいくらに設定するかまでできるようになってて
びっくりしたわ。
会員制度はやめて有料記事書いて売ってみるかー



===

あなたの隣人を愛せよ
有名な聖書の言葉だが、
どうも私は隣人に愛されすぎる傾向があるようだ。


私がここでいう隣人とは
機内で隣に座ることになった
見ず知らずのガイジンのオジサンのことを指す。


独りで飛行機に乗る機会の多い私、

最近のビジネスクラスは大抵ソロシートと呼ばれる
画像参照:CXビジネスクラス
CXSOLOC01

1人がけのシートが並んでるものが多くはなってはきたが、

ビジネスクラスごときではまだまだソロじゃない
普通の2人がけシートも沢山運行しているのだ。

画像参照:ANAビジネスクラス
ANAC01

で、ツイン型シートの場合隣が彼氏、旦那、友人、ならハッピーなんだけど
一人旅だと見ず知らずの人が横に座ることになる。

そりゃ空いていれば自由に席を移動したり
隣が空席ということもあるけど
そううまくはいかない。
キュイン体質なのかなんなのか
そのコンパートメント私以外全員隣が空席なのに
私の隣にだけ人が来るとかってのはもう日常茶飯事。

昔は隣席ブロックという技も使えたけど
最近皆がやるようになってリクエストを受けてくれない
会社も多くなった。

その上、ありがたいんだか迷惑なんだか
ビジネスクラスのシートはライフラット、もしくはフルフラットも多く
ベッドに限りなく近くになるんで

画像参照:UAビジネスクラス
UAC01

パーテーションがあるとはいえ
見ず知らずのガイジンのオジサンと一晩を共にしてしまった感じになる。

見ず知らずの男女が一夜を共にして、翌朝連絡先を交換したり
食事の約束をしたりするのは間違っているとは思わんのだが
機内となると事情が違うのだ。

別に愛し合ったわけでも無いし、恋に落ちたわけでもない。
なのに連絡先を聞かれたり、このあと乗り継ぎなのか?
この町に泊まるのか?
泊まるのなら何処なのか

ガイジンのオジサン達は畳み掛けるように質問してくる。

あんまり毎度毎度このループが繰り返されるので
実は大多数の女性が社交辞令としてこのループを繰り返してると
信じて疑わなかったくらいだ。

あ、
ちなみに私、日本人及び日本の街角で
ナンパされたことは一度もございませんのよ。
日本人には人気ゼロなんだろうか?


その証拠にかつて在籍していた会社で
商品として売りに出す為に
旅に特化した英会話の例文を作成した時のことだ

あたしったら
「旅で隣に座った人との会話」ってのを書いて
上司にこっぴどく怒られたことがあるのだ。

私が書いた原稿は

1:搭乗の際の隣席の人との挨拶
2:雑談で多く出そうな話題
3:詳しい旅程
4:別れ際のアドレスの交換
5:食事の約束

で構成されており

それを読んだ米人の上司(女)が

「あなたねえ、アメリカ人は他愛の無い話はするけど、
それで終わりよ、たかが隣に座ったくらいで滞在予定教えたり
連絡先なんか交換しないし食事の約束なんか絶対しないわよ。
日本人ってそんなに軽々しく隣の人を食事に誘うの?」

と怒られたのである。


あらま。

毎度毎度連絡先を教えてくれといわれたり
食事に誘われたり
今後の予定を聞かれたりするもんだから

外人の社交辞令というものは女は誘っとけだと思ってました。
ごめんなさい。

友人にその話をして誘われるわよね?と同意を求めたが
「それってラテン男の習性で外人の習性じゃないわよ」
と言われたんだけど

あたしの場合スペイン男にはいきなりプロポーズをされたのと
フランス男にストーカーのように追い掛け回された過去があるので
「ラテン男はそんな食事に誘うとか、連絡先聞くとか
回りくどくないのよ、いきなり結婚してくれって言うのよ」
と力説してみたんだがどうも皆さんそんな経験が無いらしく
同意を得られなかった。

なんで私だけ・・・

さて、押しが強いといえば
過去にはごっつい押しの強いおじさん(中華系米人)が
なんとトランジットの空港ホテルにまでついてきた事もある。

女ひとり旅の基本「自分の身は自分で守る」っていう事もあって
『どうやったら見ず知らずの男に好かれないで済ますか』という
大変めんどくさい研究をしなければならん羽目になった私。

だって、基本女がひとり旅してなんか被害にあったら
「隙を見せた」だの「脇が甘い」だの「女が誘った」だの
女性が被害者であるにもかかわらず被害者の落ち度ってのを
必ず責められるのが世の常だからだ。

極端な話、男に誘われない為には嫌われるのが得策である。
あまりに頻繁に飛行機に乗り
乗るたびになんだかいろんな国の人たちから
食事のお誘いを受けるので
私は機内では非常に機嫌の悪いふりをして搭乗することにしたり。
結構対策を練ってはいるのだが。
油断するとすぐに親しげに話しかけられるので、非常に
困っているのである。

 ちなみに日本人の男性が隣になった場合。

 彼らはナンパしないんだけど
 自分より若い女が同じビジネスクラスに
 座ってるってだけで
 あんまりご機嫌がよろしくありません。

 日本ってこんなに男尊女卑だっけ?って程
 自分の優先順位が高いことだけにこだわります。

 レディーファーストなんてガン無視して
 ドリンク等を私より先に貰う事に命かけます。
 笑えます。

 ですので外資系エアラインでよくあるフリークエント
 ステータスの高い順から機内食チョイスのリクエストを
 聞いていくという儀式があるんですが、
 乗務員は私に聞いてるのに、
 日本人のおやじさんたちは私を押しのけて
 先に希望のメニューを言ったりします。
 


さて、この際なので具体的に私の身に起こる
機内ナンパの流れを折角なので書き記しておこうと思う。

日本人同士で隣に座ったからと見ず知らずのひとと挨拶をする
ってのは習慣としてほとんど無いと思うんだけど
海外で飛行機に乗る場合、隣席のひとには挨拶はするのが礼儀だ
「ハーイ」で終わるのが理想だが
何でかしら無いけど私の場合隣に座ったオジサン(ガイジン)が
必ず色んな話をしてくるのだ、

自分がこの席に座れてとてもラッキーだとか
(あたしにとっちゃアンラッキー、隣に人が来ないほうが快適)

この席になった経緯の解説
(聞いちゃいないし興味も無いよ)

私のピギーを上の棚に載せてあげるから
必ず言ってねとウィンク付き

ウェルカムドリンクが来たら
君は何にする?と余計なお世話をやいてくれて
レディファーストを尊重してるのか
私とタイミングを合わせて乾杯までしてくれる
やさしいガイジンのオジサン達

こんな流れになるのでサービスしてるCAは
あたしたちが夫婦もしくはカップルだと勘違いする有様


で、通常私は周りに気を使う性格なので
相手をわざわざ不快にしたいと思っていないから
つい、こういうガイジンのオジサンに合わせて
しまうのだが、これがどうもいかんらしい。

拒否しない態度=受け入れ可能と勘違いされるみたいなのだ

その場の雰囲気を悪くしたくない一心で
相手に合わせていることが好意と受け止められるらしい。

そりゃニコニコして相手にあわせていれば
「脈あり」とみなされても仕方ない。

で、最後に必ず流れが出来る。

これからどうするんだ?
夕飯は?
何処に泊まるの?

誘っとかないと損とばかりの有様だ。

あーめんどくさい。

私も場数を踏んで来て

「家族とホテルで合流する。」

「主人が迎えに来ます。」

「友達と待ち合わせてる」

等と言ってやんわり断るんだが

じゃあメールアドレスをとなる
大体ガイジンのオジサンが
私にむかって殴り書いたきったねーメモを渡しながら
「なんか困ったことがあったら電話してね!」と言うのである。
そうそう困ったことになんかならんし、
旅先で困ったらあなたではなく年会費払ってる
アメックスに電話するってば!

で、最後にメモに電話番号みたいなものを渡されることが
多いので、こういうのって社交辞令っていうか女性に対して
とりあえず渡すのが礼儀だと思ってんのか?ガイジンと
考えてたんだが

「挨拶ぐらいはするけど、そんな話になったこと無い」

って友にもあっさり言われて
あたしのいつものお約束の流れは
私にしか起こらないキュインだということに気が付いた。

それ以来

 とにかく気に入られないこと
 好かれない事
 興味を抱かれないこと

をモットーに
機内ではとんでもなく嫌な女になることにした。

「ハーイ」と言われても

誰に言ってんの?状態で無視が基本。

ああ心が痛い~
(ええ、私とってもいい人wなので
こういう不機嫌な女ってのに罪悪感ありまくり)

話しかけるなオーラを全開でだしまくり、

これから旅行で楽しい気分でニッコニコしたいのを我慢
出来るだけ不機嫌そうな態度を心がけ

とっつきにくそうな雰囲気をかもし出す。

ああ、ほんと
ほっといて欲しいという願いをかなえるのも一苦労だ。

MDH!


世の中の女性ひとり旅をしてる人が全員この手の
迷惑好意(!)にほとほと疲れ果てていて
その悩みを共有できたらどんなにいいかと思うんだけど。

どうもそうでもないらしい。

私に隙がありすぎるのか。
物欲しそうな女に見えるのか
非常に厄介である。

10代で怖いものなしの頃は
機内で知り合った現地のおぼっちゃま君と
やたら意気投合して仲良くなり
米国滞在中に全日程彼のお世話になって
いろんなところに連れてってもらったり
超楽しかったこともあるんだけど。

もうそんな元気も無いっすよ。

そもそも出会いとか求めてないし
超人見知りだし、
ひとり旅がすきなのは
人に合わせて旅行したくない、
きままな時間を過ごしたいっていう事なんで、


で、色々実験した結果
一番テキメンに話しかけられなかった方法
それは、ぬいぐるみを抱っこして搭乗し
常にぬいぐるみに向かってはなしかけ
ぬいぐるみに機内食をたべさせたりする
電波な女を演じる法

気味悪がられて一切話しかけられなかったぜ。

でもこれ12時間もやるとかなりこっちが疲労するし
普段やりなれない事なのでぬいぐるみの存在を忘れたり
急に普通に戻ってしまったりと
継続が非常に困難だし、
客室乗務員の人たちからちょっとおかしな人認定をされ
警戒されたりするんで損失でかいのだ。

いっそ男装で乗るかとか、
いろいろ考えてみたんだけど

なんか良い方法ありますかね?
なんかあったらアイデアを募集します!


それにしても雑誌には
「どうやったらモテるか」とか「男に告白させる方法」の
特集は組まれるのに
「どうやったら好かれないで済むか」とか
「男に言い寄られない方法」って特集ってないのよね。

みんな困ってないのかしら?
あたしなんかちょっともう勘弁してほしいし
怖いし、ノイローゼになりそうとか
本気で悩んでるんだが

ホテルのレストランでボーっと朝ごはん食べてる時に
話しかけるタイミングを狙って凝視してる
ガイジンのオジサンとかに遭遇すると
もう、ほんと楽しい旅も台無しですからね。

ウザイって言うより身の危険を感じるレベルですから。

それとも皆さんご自身で自慢してらっしゃるよりも
実際は全くモテてないとかなのか?
声かけられちゃってうれしい!って喜べる
単位だとか
声かけられる私ってすごいわ~と自分ラブなのか?

自分ラブってもしや・・・


題名にもした聖書の言葉
『あなたの隣人を愛せよ』

は前後の正式な文はこうだ。

『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』

なるほど!

誰よりも自分ラ~ブになれたら
あたしってやっぱ可愛いからモッテモテ~とか
思えるようになって
自分を愛し、隣席のウザイガイジンのオジサンも愛せるように
心が広くなるんだろうか?


というわけで
暦の上でも春になったことだし
今年の目標は

何はさておきとにかくまず自分ラブ!だな





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