結局人生50歩100歩 じゃないかもしれない。

安物買いの銭失い。

2005-11-28 Mon 10:24
いま話題(?)の倒壊マンション問題。

なんか【ドラゴン桜】の名台詞を思い出してしまった。

頭が悪いと搾取される側にしかなれない
だから死ぬほど勉強しろ、勉強して頭をよくしろ
で搾取される側ではなく、搾取する側になれ
ルールを作る側になれ
ってのがあの漫画の軸な話だったと思うんだけど。
(うろ覚え)

今回の問題、なんかドラゴン桜で言われる
社会の実態の実は応用編みたいな話だなって
思ったんだよね、

例のヒューザーのマンションのチラシが
前にうちのポストにはいっていたことがある。
「当社は広いマンションを安く提供する事をモットーとしてる」
みたいなうたい文句が書いてあったように記憶してる
(記憶違いだったらスマん)

このチラシを見て私と相方は
すぐ壊れるマンションだったりして?
墓の上に建っててお化けが出るとか?
とすぐ突っ込んだ覚えがあるのだ。

んな都内23区内で100平米を越える広さで
相場より明らかに安いってのは「何かアル」って
思考が思い巡らされるのは普通ではないのか?


マンションだから安くてもそれは経費削減した
企業努力の結果だから大丈夫という根拠なんか
あるはずがない。


わかりやすい例をあげよう。
本当は定価2500万円するフェラーリが
980万円で売ってたら事故車?
ニコイチ?名変出来ない曰く付き?って
思わないか?

思わないからこそ買っちゃう人が居るんだろうな~。
例のマンションもしかりか・・・

でもさ、今回の問題。
なんか100%被害者に同情できません。

これがさ、強度を偽装して倒壊の恐れがあるマンションを
相場の値段、もしくは相場より高い値段で買わされた。
というなら、もうそれはすごいだまされた~って感じだと思うんだけど



安く買ったんだよね?
普通よりなかなか広いマンションを
相場より安くかったんだよね。

コレって単に

安物だったからだめだった って
そういう結構単純話なんじゃないの?
まあ強度の数値を偽装してたみたいな違法行為が
絡んではいるけど、
相場より異常にやすいなのに広いって時点で
なんかある。とか思わなきゃ。

有機栽培の野菜と
出所のわからない
実は農薬漬けで激安の野菜。


有機野菜は農薬も使ってなく安全だけど大根一本500円でした。
農薬漬けの野菜は激安、1本50円

農薬の濃度や汚染度は大根のパッケージにはついてない。
だけど50円と500円の大根の値段設定を見た時点で
それが情報の窓口なわけだ。


はっきりと言おう

世の中のシステム上。
いいものは高いのだよ。

やすくていいものなんてはっきりいって幻想に過ぎない。
そういうものがあったら良いと思うけど。

多くのものは 安かろう悪かろう だ
車だって、パソコンだって、電化製品だって
安いものは使い勝手が悪かったりすぐ壊れたりするけど
高いものはそれなりの満足感を得る仕上がりになってる。


良く世の中は不公平だというけど
私は逆だと思う

世の中は公平なのだ、

安いものは悪いし、いい物は高い。
これは公平なのだ。

レストランに行ってお得意様にはちょっぴりおまけがつくのも
公平だからそうなるのだ。

高級車にエアバックが一杯付いてるのも
安い車よりエアバック代金が上乗せされてるからだ
公平ではないか。

デジカメもそうだし、DVDプレーヤーだってそう。
機能が一杯付いてて品質が良ければ高いし
機能を削ってあれば安いのだ。


欠陥住宅を高い値段で買わされたのであれば
それは詐欺だとおもうけど
広いのに安かった・・・・
と言う時点でなんかどっちもどっち感が
ぬぐえないんだよね。


で、私が思うこと、

馬鹿を救う為に税金使うなよ!
公的資金の投入は絶対反対

それこそ不公平だよ。

あんまり頭がよくないから
とんでもないマンション買っちゃっただけじゃんか

それこそ自己責任
高い買い物だったと今後の人生の教訓にすれば良い
そうすれば注意書きとかすこしは気をつけて読むように
なるレベルの人間になれるのではないか?


まあ、この時代に資産価値のないマンションを
20年ローンを組んで買うような決断をする時点で
既に話にならんと言うか、人生ダメだと思うんだけどね。(爆)
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Digital divide(デジタルディバイド)

2005-11-16 Wed 17:34
デジタルディバイド【digital divide】
という言葉をご存知だろうか?

長々くどくどといろんなコミュニケーション論を説いてきたが
あきゃんさまがくっきりはっきりと答えをお出しになったので
私としてはこの「デジタルディバイド
という話がとてもしやすくなった。
すべてはここにつながってたんだわさ。

ですので
まず、この日記を読む前に
あきゃんさまの導き出した
コミュニケーションとリレーションシップ
っていう論文(笑)を読んでからこちらに戻ってきてください。

あきゃんさまのHPの該当部分はここをクリック


デジタルディバイドとはズバリ、
パソコンやインターネットなどの情報技術(IT)を使いこなせる者と
使いこなせない者の間に生じる格差のこと。
待遇や貧富、機会の格差。個人間の格差の他に、国家間、地域間の格差を指す場合もある。(外務省のHPより)

富裕層がデジタル機器を利用し情報を得てさらに経済力を高めるため,
貧困層との経済格差が広がるとされる。デジタル格差。
〔アメリカ商務省が 1999 年に発表した報告書での造語〕(gooの辞書より)


例えば簡単な話をしよう、

私が人材派遣会社に登録して自分のパソコンスキルを
正直に申告したとする。
私のITリテラシーはネットの世界ではかなり低いのだが
リアルの世界で比べるとかなり高い。
HTMLが書けるというようなネット界ではイロハのイのような
能力をリアルの世界では持ってない人がいっぱいいる。
つーかきちんと動くウィルスに犯されてない正常動作するような
最新式のパソコン持ってないみたいな状態の人もいるわけで。

そういう世の中の一般的な状態から計る能力の位置から言うと
個人の能力で派遣の時給が変動する世界では
私はある程度高い時給の仕事がやってくるわけだ。

これが簡単に説明しうる「デジタルディバイド」である。
ITリテラシーの高い私はITリテラシーの低い人より
稼ぐ能力があるってわけだ。

実際、ダミーで頼まれて登録したある大手人材派遣会社から
今でもメールが送られてくるのだが(登録抹消してないの)
時給はかなりいいものが送られてきている(いかないけど)
要は、ITリテラシーが高ければ高いほどつぶしが利くってことだ。

これがITリテラシーの低い方だと私の時給の半額もいかない
オファーが送られてきてるらしい。
稼ぐ場を得るチャンスも平等でなくなるわけ。
世の中の人材に対する評価なんてそんなものだ。

っていうのがすごくわかりやすいデジタルディバイドの
表面的なお話。

で、あきゃんさまのおっしゃった
「コミュニケーションとリレーションシップ」
っていう側面から「デジタルディバイド」を考えるとですね、


効率化したネットのコミュニケーションで選んだ人だけと
リレーションシップを結ぶ


という人間関係を効率化する手段としてネットを利用することが
出来るのである。
そして私はそれを実践してる。

あきゃんさま流に言うと

ネットで上質なコミュニケーションを
「人格」という本質だけにフォーカスしてスタートさせたあとに
「人間関係」にスイッチするという手順を踏むと
「人格」を見極めたうえで、生身の人間と
リレーションシップを結ぼうと
『人間関係の世界』に踏み出すわけだから
失敗する確率が非常にさがるわけだ。


ここまで読んであまりにも血も涙も無い話なんで
ひいちゃう人もいるでしょうけど、
私の考えかたと生き方の問題なんで
誰にも文句は言わせません(笑)

アナログな人はこういうんだろうな。
 いんや、アタシはどんなに無駄な遠回りをしても
 人間関係を効率化なんかしたくないの
 意地悪な人や理不尽なひとに惑わされても
 その泥臭い人間関係の中で生きていくのよ!


って人ももちろんいると思います。
それは、もう勝手にやってくださいの世界なんで

忌憚無く言わせてもらえば、
100万年ぐらい生きられる命と、時間と、財産があれば
そういう回り道な泥臭い生き方もありだと私は思うけど、
個人的な現実を鑑みると先の命も永遠ではないし、
元気で楽しく遊べる時間も限りがあるし、
一番の問題は一生に出会える人たちの数も限界がある。

となると物事の効率化を考えるのは自然な流れであり
私のように、すべての物事を効率化しなければ
気がすまない「効率化至上主義」な人間としては
デジタルツールを駆使して上質なコミュニケーションを行い
そのうえで生身のリレーションシップを築くステップに
移行するというのは
人生の上の無駄を最大限に省く行為に他ならないわけです。


頭の悪い人とか、価値観の違う人とか
わけわかんないやつや、失礼なやつとか
そういう「私から見たら価値の低い人」
付き合ってるほど暇ではないし、時間もお金も
そして精神的なキャパシティも無いんで

人生における無駄と判断されるような人と
コミュニケーションをしリレーションシップを築くという
ステップを踏む時間を費やすという事を私はしたくないのだ。
(これは私の価値観)

そういった意味で私はネットの世界のコミュニケーションを
最大限に活用している。
ネットを使って情報を収集し、
作業工程を最大限効率化しているわけだ。


で、ここで偏見が生まれるのである。
ネットでリレーションシップを結ぶ相手を
効率化の名の下に探すと
冷酷非情だと言われて
とんでもない人間だという誹りを受けることとなるのであろうことは
想像に難しくない。


ではまた簡単な例をあげようか


乾燥機つき洗濯機を買おうと思いついたとする


ケース1
暇で、時間もあって、一日中だらだらしてる朝子さんは
どうせやることも仕事も無いので
自分で電車でもバスでも車でも乗って
電気量販店をひたすらまわり
店員さんに各社の特徴の違いを聞いたりして選んだ


ただし、量販店の店員さんの言うことなんて
自分の売りたいメーカーのものをいかに売りつけるか
でしかないので
その情報に信憑性があるかどうかは疑問であるが




ケース2
子供が居て友達も多い昼子さん
子供のママ仲間のランチに行った時に「乾燥機つき洗濯機」を
使ってる人に聞いてみる。

ただし、ママ友の家族構成や、生活体系などで
情報の有効性は変化するので
時間を費やして聞いた割には得られる情報量は
少なくなる。 




ケース3
仕事が忙しくプライベートな時間のあまり無い夜子さんは
とりあえずネットを使って欲しいメーカーの物品を
ググッって特徴等を分析してみる。
ついでに某巨大掲示板の該当スレッドを目をチカチカさせながら
端から端まで読み、実際に使ってる人のコメントを拾う。

ただし5000ほどのコメントから得られる情報は
ある程度少なくはなるが、
上記のケース1、2のように偏った情報や
あまりにも少ないサンプル数という情報としての有効性を
失ったものと比べたら、得た情報量は大きい。




で、この朝子、昼子、夜子さん三名のデジタルディバイド
は明らかである、ネットを駆使して情報を得る行動をした
夜子さんが一番労力を使うことも無く、通信費のみの経費で
該当物品を手に入れるという目的を達成する過程を効率化し
最低限の労力で最大限の効果をあげている。


この場合、無駄な労力やお金を使った朝子さんや昼子さんが
踏んだ過程が正しくて
夜子さんが踏んだ過程が間違ってると
誰も言わないとおもうんだが


ここの部分「洗濯機つき乾燥機を手に入れる」
「素敵なお友達と仲良くする」と置き換わった場合に
偏見がうまれるんだろうなあと簡単に予測できるんだよね。

見つけ方(ツールの有効活用の仕方)によって
友達(もしくは配偶者)の価値は
変わるんだろうか?

私はそうやって情報を駆使してネットと言うツールを
使いこなして見つけたものは
リアルで見つけたものより価値が逆に上がってるすら
思うのだよ。

時間と言う本来買えないものを手に入れるには
効率化が必要だと言う現実的な話を引き合いに出しても
時間と言うものを得たという側面だけでも
価値が上がっているはずだ、

マダ価値のこといってんの~?と思わないでいただきたい。

すでにあきゃんさまの日記で目から鱗だった方々は
次のステップで考えていただきたいのです。
まだ言ってるか?って話ではないんだよ。
次はデジタルディバイド
という視点なわけ。

私はだからこそあえてあきゃんさまのすばらしい気づきが
詰め込まれた日記にトラバしてステップ2として
これを書いているのだ


アナログとデジタルという安易な差ではすでに
なくなってるのだ。
ネットに抵抗があるんだよ~なんていってる間に
その格差は貧富の差にまでなって
われわれの間に横たわってるのだ。

上記に引用したように貧富の格差だけでなくチャンスの格差
情報量の格差、それによる効率化で手に入れた新たな時間で
さらなる情報を手に入れ格差の幅は広がる一方なのである。

ものひとつ手に入れるのも、そして極端な話だが人間関係すら
デジタルディバイドが存在する。



車を持ってない人が
車でしかいけない場所を訪れられない。

車が無い人が不公平だから車でしかいけない場所は
とんでもない!って言う人が
ほとんど存在しないように



ネットへの偏見も大勢にかき消される日が来るんだろうか?



で、いろいろごちゃごちゃ書いて
頭がこんがらがってきたので
とりあえず、寝ます。おやすみ。
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コミュニケーションの価値

2005-11-14 Mon 07:28
11/15にあきゃんさまがすばらしいご意見を
ご自身の日記に書いてくださいました。
私はものすごく納得したのでぜひ皆さんも
読みに行って頂けますか?
私はあきゃんさまの思ったことに対して
感服いたしやしたよ。
やっぱり私のような未熟者が考える浅はかな
話とは全然違います。



====
あきゃんさまとほとんど交換書簡のようになってるこの話題。

まあ簡単に言ってしまえば

『人間間のコミュニケーションに於いてリアル関係とネット関係の価値は違うのか?』


この話題、乱入、参入大歓迎ですので
是非とも皆さんの意見も聞かせてね。
コメント欄は次数制限があって長文が書けないので
ブログ持ってる方はトラバ送ってくれるほうが
見やすいかも。
長文ご意見書ききれない方はメールください。


この話に正解ってないとおもうのね、
だから最初に言っておく
これは私の意見であって
誰か特定の個人を攻撃する目的ではなく

私がどう思ってるかってただそれだけの話。

だから誰かを説得しようとか
同調する人同士で固まろうと
違う意見を排除しようとか
そういう気はさらさらないっす。

多様性を認めることもコミュニケーションの本質ですからね。

こういう考え方の奴もいるんだ
ぐらいにアナログな人たちはおもっとってください。



さて本題。

どうもいろんなところで気になる発言を聞くことが多い。
あきゃんさまだけでなく、周りにいるアナログな人たちは
ネットに対して偏見を持ってる人たちが圧倒的に多い。

あきゃんさまのように「私はアナログな人間なんで
ネットに偏見があります」
とスカッと言ってくださる方は
なかなか居ない。
皆、陰でこそこそネットはオタクのすることだと
偏見を持ってるのだ。

具体的にどういうことかというと
ネットで知り合った人間関係がリアルで知り合う人間関係より
価値が低いという「偏見」だ。

私はこの意識に対してとっても違和感を覚える。


なんか世間一般で多く言われてるその物差しって
私はデジタルな進化を受け入れられないアナログな人たちに
当たられてるのか?としか聞こえないんだよね、


何か物事を行う上でそれに価値の上下なんて本来ないと思うのね。
それから
そういうアナログな方々の自慢する交友関係を眺めても
うらやましいと思えるような関係の友達を持ってるとは
申し訳ないが到底思えない。

生活の狭い範囲のコミニティの中で選んだだけの
友達とつるんでる人たちの多いこと多いこと。
子供の学校のママ仲間。近所の人。会社の同僚。

生活を一にするコミュニティが一緒だから
仲良くしてる人に過ぎないような関係が
価値が高い。なんていわれると
マジですか?正気で言ってますか?と思いたくなる。

そんなある範囲の中からとりあえず選らんだ仲良しなんて
無茶苦茶儚いんじゃねーの?

仲良くなる前に、自分の考えを旗幟を鮮明に掲げ。宗教観を語り
支持する政党を明確にし、思想を明らかにしそのうえで
ある程度理解を得た上で、仲良くなったのなら
儚い関係に終わる確率はきわめて低くなると思うが
(ある程度その思想を承知した上でのはなしなので)

実際に会っただけみたいな理由で友だちになれる鈍感さのほうが
私には恐ろしい。


まあだからリアル関係の仲良しさんたちは
陰で悪口をいったりして、すぐに関係が壊れたりするわけだな。



じゃ、わかりやすくする為にたとえ話をしようか
ネットの関係を偏見を持ってみるってことは
じゃ、このケースに関してもそう思うってことですよね
って事例じゃ。


お見合いで結婚する夫婦は価値が高く
ネットで知り合って結婚する人が価値が低い



私はちゃんちゃらおかしいと思うよ。

お見合いなんていう意味不明な儀式
人となりよりも前に学歴や職業、見た目で先に判断するような
「その人のことがなーんにもわからないうちから
結婚を前提に会う」
なんて気持ち悪い行為のほうが
私にはわけわかんない
理解不能。
偏見で見るならお見合いで結婚できるような
鈍感なカップルって人生何が目的なのかと思う
とりあえず、自力でパートナーを探す能力のない
無能同士の詰まんないカップルであることに間違いはないな。

私から見てもっとも価値が低い結婚はお見合い結婚だったり
相手のことも良くわからないのに動物的なんだか野性的なんだかしらんが
(保健体育の授業に出ずに避妊することを習わなかったのか)
とりあえずやっちゃって、出来ちゃったので。
中絶する勇気も無いんでとりあえずケッコンしちゃうか~みたいな
脳みそが犬並みに未熟なカップル(=あ、犬のほうがまだ頭いいかも)

こういうアホな夫婦が私はネットで知り合って結婚するカップルより
リアルだからと言って価値が高いとは思えない。
っていうか価値が高いどころか
ものすごく低レベルだと思う。

ケッコンという人生の一大事を粗末に扱いすぎ。

特にお見合いってさ、只、結婚したいという目的が
一致した人が、この人ならセッ◎スするのに許容範囲って事で結婚するわけでしょ。
ありえないね、人生のパートナーをそんなもんで見つけるなんて
私の偏見で行けば
ネットで知り合ってお互いを分かり合ってる夫婦のほうが
パートナーとしての価値だったら絶対圧倒的に高いと思うぞ。



もうひとつ例を挙げよう
これはネットと言うとアレルギー反応を起こす
方々がいるのでわざと媒体をネットでなく新幹線にしました。



東京駅から京都まで行くとする。
新幹線で京都行く人が価値が低くて
歩いて京都にいく人が価値が高い。

アナログな行為とデジタルな行為の
価値くらべという視点で言ったら
新幹線 Or 歩く
っていうのが

ネット Or リアル
に置き換わるんではなかろうか?



上記の二つの価値の比べに何の意味もない事に
気がつかないだろうか?


ネットの友達のほうが価値が低くて
リアルの友達のほうが価値が高い。



って言う見方って結局こうやって事例をあげてみると
すごくナンセンスな話なんじゃないかっておもうんだよね。

なぜならもっとちゃんと私の偏見とかをとっぱらって
考えるとだね。

お見合いで結婚しようが
出来ちゃった結婚で結婚しようが
ネットで知り合って結婚しようが
道端であって結婚しようが
コンビニでナンパして結婚しようが
大学のゼミが一緒で結婚しようが
小学校の同窓会で再会して結婚しようが
水商売のホステスと客でであって結婚しようが
風俗嬢と常連さんで結婚しようが
職場で上司と不倫して略奪結婚しようが
主婦が音楽家と不倫の末結婚しようが

どれがだめな結婚で、どれがいい結婚かなんて
個人の物差しで計ったら全部違うわけで。

要するに本質が重要だと思うわけ。

立派な家柄で見合いして結婚しても
口も利かない仮面夫婦より
風俗嬢と常連さんの結婚でもお互いが愛し合って
理解して幸せな家庭のほうが
本質的な価値は高いんじゃないの?


私が言いたいのはだね、
リアルが価値が上で、ネットが価値が下だなんて
いう偏見は本質を見てない証拠なんじゃないかって思うわけさ。

重要なのは関係の濃さや理解度なんではないのか?
リアルだって薄い人たちはいっぱいいるよ。
私から見たら
リアルな人間関係のほうが偽善的だと思うんだよね。

電車男の話の中で
「ネットの掲示板上の友達しか見つけられないってことは
リアルに適応できないってことじゃないのか?」って
意見があったけど。

リアルで偽善的な付き合いしかやってない人なんかよりも
電車男のほうが立派に本質的なコミュニケーションは
取れているではないかと思う。


昔からずっと言っている
「リアルで礼儀正しい人はネットでも礼儀正しいし
リアルで失礼な人はネットでも失礼だ」


要するにリアルもネットも
結局人間のコミュニケーションなんて
何を媒体にしたってスタンスは変わらんのだよ。


ネットで熱い思いを持ってる人は
リアルでだって熱く語ってるし。

ネットでぼけっとしてるひとは、リアルでもボケッとしてんだよ。

ネットでやさしい人はリアルでもやさしいし

ネットで意地悪な奴はリアルだって意地悪だ

リアルで人の悪口ばっかり言ってるアホは
ネットでも人の悪口ばっかり言ってるし。

ネットであたまいいなって思う人は、リアルであっても
やっぱりすごく頭いい。


ただ、ネットのほうがより人間味が増すんだよ。
その人の本質が現れやすい。

例えばわかりやすくするために血液型を出すけど
実際に会ってると世間一般で言われてるような種別のB型じゃないよね~
って思う人
世の中のB型への認識って「マイペース、自分勝手、自己中心的」とかあるでしょ
そういう人が実際リアルではすごくA型?とか思うくらい気遣いの人で
ってあるんだけどさ
メールやり取りすると面白いくらいにB型気質が出たりする。

そういうネットと言う媒体を通すことによって
見えてくるものも多いわけ

だからネットのコミュニケーションを馬鹿にすると
多分これから良くないことがおきるような気がする。
っていうかその格差は
コミュニケーションだけでなく
デジタルディバイドという形ですでに現れてるんだよね。

デジタルディバイドに関するお話はまた明日にでも・・・・



追記です。
「~と言ってみるテスト」の正しい使い方。

状況的にこのタイミングで言うのは勇気が居る場合に
「~といってみるテスト」といって
本番ではなく、テストだということで
意見の重要性を軽くする効果をもたらすために
使う用法。


例えば
皆がどこか行くというところで盛り上がって
すでに参加者も決まり、出欠も取り終わってしまっているような
状況下で
いまさら参加表明したら幹事さんの手を煩わせて顰蹙かな?状態の時

「私も参加させてください」と言うより

「私も参加したいと言ってみるテスト」と
言うことによって
遠慮しがちな状況を演出する効果がある。


実際の場面で使うかは別として
友達のみ車でのお迎えがあった場合
「私も車に乗せて」というより
「私も車に乗せてといってみるテスト」
なんて使うとずーずーしさを消す
魔法の言葉になりますね。

(ならねーっつーの)

あとはやっぱり
皆が寿司たべる、焼肉がいい、中華にすると意見が分かれてる時に
ぼそっと
「焼き鳥が食べたいと言ってみるテスト」などと使って
自分の意見をソフトに述べるときに使います。

なので、最初から意見を求められてるシチュエーションでは
使用しません
誰からも相手にされず意見も求められてないときなどに
ぼそっと言いたいことを言うときに使うのが
正しい使い方です。

なので重要な会議中にしたっぱの平社員が
「タバコが吸いたいと言ってみるテスト」っていうのは
用法としてあっていますが

その会議に出てる一番偉い人が
「タバコを吸いたいと言ってみるテスト」というのは間違いです。

タバコをすう決定権を持っている人が
決める場合は使いません。
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