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結局人生50歩100歩 じゃないかもしれない。

カテゴリー  [kyuin信者はこれを読めSUZUブログ十選 ]

UTHM PKG 017 〈ポストイットとマスキングテープ〉旅のお供に文房具「助さん格さん」

2018-11-16 Fri 19:20



今回の旅に持っていく便利なものは
〈ポストイット〉と〈マスキングテープ〉です。
このふたつはまさに旅のお供「助さん格さん」
旅するわたしを毎回助けてくれます。

旅でポストイットの使用は
上手くつかいこなせば
エラーチェーンが切れますので
最強のフールプルーフになりますし
マスキングテープは旅でさまざまな
不便を解消してくれます。

まさに旅の優秀なお供である
助さん格さん大活躍なのです。

今回の記事では飛行機の中で、ホテルで
ポストイットとマスキングテープをわたしが
どう使っているのかを書いておきます。

ほら、「旅でこれ持って行ったらいいよ」
みたいなリストは世の中に散見されるけど
実際それを使う具体的なシチュエーション
まで画像入りで微に入り細に入り
懇切丁寧に書いてる親切な記事って
なかなか見かけないですよね。

なので誰も書かないならSUZUが自分で…
というポリシーに基づき、このポストイットと
マスキングテープを旅の最中にどうやって
役立てているか書いておこうと思います。

記事では実際のシチュエーションに沿って
機内とホテルで撮影した画像付きで
出来る限りわかりやすく説明しておりますので
「こんな使い方もあるのか!」と
是非驚いて、そして真似してみてください。





はじめての方へ
このUTHMPKGシリーズは
旅に持っていくアイテムを軸にした
たびエッセイ&SUZUの私物大公開
企画です。

わたしが旅でどんなものを
実際使ってるのか?私物を画像付きで
全部見せちゃう大盤振る舞いと
ついでににわたしがもってる
旅のエピソードをアイテムごとに
語り尽くすといういままでになかった
旅の記事

SUZUと仲良くなって予定を合わせて
旅に一緒に行かずとも、これ買って
読みさえすれば旅に何を持って行って
どう使えばいいのかわかるうえに、
わたしの旅話も聞けちゃうってのは
めちゃくちゃリーズナブルですので
是非お買い求めくださいませ。



今日のお題は
「旅でエラーチェーンを切ってくれるポストイット&飛行機の修理も出来ちゃうマスキングテープ」
今回も飛行機の中でおこった
ありえないキュインに
わたしのお供の助さん(ポストイット)
格さん(マスキングテープ)が
立ち向かって助けてくれた
超面白エピソード付きです。

いやーほんとこのふたり
助さん格さんの活躍はすごいです。

それではここから先は有料です。
======



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10月31日(水)23:59に価格改定します。

2018-10-30 Tue 19:45

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第2回cakesクリエイターコンテスト受賞のお知らせ

2018-07-02 Mon 20:00
第2回cakesクリエイターコンテスト受賞のお知らせ

この度、第2回cakesクリエイターコンテストで佳作を受賞いたしました。ありがとうございます。

くわしくはこちら↓

 

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SUZUの世界旅案内 《 香港 》 編

2018-05-26 Sat 08:25




「SUZUの世界旅案内」シリーズ
が今日からはじまります。

企画一発目の渡航地として選ばれた場所は



香港


今回は3泊4日香港滞在での
SUZUの実際の過ごし方を
すべて見せます。

普段ならわたしがネットで絶対に
明かさないはなし。
たとえばお気に入りのレストランで
SUZUがいつも何を食べているのか

最近めっきり英語が通じない香港なので
中国語世界でどうやって目的の皿に
到達しているのか?

ほかにも言葉の通じない店員さんたちと
どうやって意思疎通してるか?などなど
有料版だから公開できるSUZUの
旅のポリシーが詰まった読み物です。
SUZUと一緒に旅をしてみたい方
自分の旅の答え合わせがしたい方
SUZUが書く旅のエッセイが読みたい方
使い方、楽しみ方は読者の皆様次第です。

是非お買い求めくださいませ。

5月27日(日)23時59分まで期間限定価格で発売中です。
ここから先は有料です。














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【2018最新版】 海外でクレジットカードを使う際に注意すべきこと。「日本円か現地通貨どっちにするか」と聞かれたら…

2018-05-19 Sat 08:30

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1周年

2018-05-10 Thu 11:00

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おかげさまで

2018-05-08 Tue 04:00
おかげさまでフォロワー数ランキング20位になりました。

20180508040447648.jpg

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2017年ネットの旅

2017-12-29 Fri 20:30




今年最後の記事となりました。

この記事は
SUZUマニアの方が
ニヤリとするための記事です。

ですから内容の説明もなし、
無料部分はここまで、

この先は有料です。
2017年ネットの旅の続きを読む

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チップは旅のお賽銭 「海外でのチップはどうしてる?」に答えます。

2017-12-04 Mon 19:30




今回の記事のテーマはチップ。

チップは旅のお賽銭 「海外でのチップはどうしてる?」に答えます。の続きを読む

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2015年の私のジェンダー感覚 

2015-10-27 Tue 14:00
食欲の秋、読書の秋ですが
私はどうもブログの秋らしい。
短文がもてはやされ、LINEのせいで
なんとメールすら絶滅すると言われる
今日この頃
ブログという文化も廃れきった
2015年に、こんな長文書いてたんだって
思い出すのもいいかと思って。

世の流れは無視して長文ブログの方針は変えないで生きます。

さて今日のお題は2015年の私のジェンダー感覚。
10/28から渋谷区で
日本初の同性パートナーシップ証明書の受付が始まる。
(交付は11/5から)

2005年頃
そう、たった10年前は意識すらしてなかった事に
ジェンダーの感覚というものがある。

2015年現在、同性婚を認める国も州も出てきて
日本では上記に書いた小さいけど
いろいろ問題はあるけど、
それでもやっと一歩踏み出される日が来るのだ。


こうやって事実上の
同性婚のようなものが日本ではじめて認められたり
ドラマでゲイが主人公だったり
明らかにジェンダーに対する感覚が
変わってきている。

ちょうど今放映されているドラマでも
「偽装の夫婦」というのがあって
ゲイがかつての恋人に頼んで
偽装結婚する話なんだよね。

この10年でほんと世の中変わったわ。

男は女を愛し、
女は男を愛する
という世の中の常識は
時代の常識で、自然の摂理ではなかったのだ

男が男を愛したり、
女が女を愛したり
それもいいんじゃない?
という事をなんとなく、
あーそうなんだ。と徐々に受け入れた感じ。

そうなってくると性別ってもう
なんかどうでもいいような気もするんだよな。

いいじゃんどっちだって。
男か女かどうでもいいよ。



そこで最近私が気になってるのが
ネットで何か登録する際に
性別を書かせる欄の意味のなさ

それ聞いてどうする?的な設問ではないかと
なんとなく嫌な気持ちになるのだ。

私が女だという情報を先に手にいれて
どうするつもりなんだ?と
不信感まで湧く。

それもこれも、
世界中いろいろな場所に一人で出かけて行き
女一人、渡り合ってると呆れるほど
いろいろな事が起こるんだけど
私が女だと見るや否や、舐めてかかってくる相手も
少なくないからなのだ。

女だし、一人だし(連れが居ない場合)
このくらいでいいだろう的な
「あしらい」を感じたことは
一度や二度ではないのだ。


世界中で性別による差別はある。
はっきり言う、女性を男性より下に見るという
差別は結構ナチュラルに横行してる。
それは別に男性によるものだけではないところが
また話を複雑にしている。

人種差別だって
白人からもたらされることよりも
同じ有色人種からやられるのが現実だ。

同様に女性差別は女から行われることも
あったりする訳だ。

女性による女性の差別で一番顕著なのは
同じ場所に行くとくっきりとわかる。
だって私一人で行く時と
夫連れて行く時に態度が変わること
結構多いのよね。

男の連れがいるだけで、
接遇態度が無意識に
変わるんだと思う。
なんか嫌な感じ。
そしてこれは夫婦といえども
夫とは共有できない不快感。

何故なら私だけがされてる差別だから。
夫は男であるがゆえこの女性差別を
一生経験しないのである。
(完璧な女装で一度一人で旅行すれば実感として
わかるかもしれない)



例えばいっつも接遇関連でやられて不快なのが
飛行機の搭乗時挨拶の時ね。

フリークエントトラベラーにむかって
客室乗務員が挨拶するんだけど、
夫と乗ってるとだな、
もう100パーセントの確率で
夫に挨拶するのよね。

あのさー。
私がその貴方が挨拶すべき相手なのですが。

会員本人は女の私です。
横の夫は私に連れらて来てるだけで
特にあなたの会社に夫はお金も払ってないんで
挨拶しないで結構です。
(そもそもなんで挨拶されるかすらも
理解してないほど飛行機興味ないんで)

って思うんだけど
不機嫌な顔して夫にしてる挨拶を見てると
なんか「ご主人様がしょっちゅう乗ってくださって」
みたいなその場を取り繕うような会話まであって
超不満。

注:挨拶してくれって話じゃない。
なぜ男をメインで挨拶するのかって話よ。
↑念のため

日系エアラインって夫婦で乗った時に
「年末年始に長期間旅行に連れっててもらえて
奥様羨ましいです〜」とか本当によく
よくチーフパーサーに言われるんだよね。

子供じゃないんで
あはははとテキトーに相槌打ちますが

だけど
航空券代だしたのも私、すべての計画と予約をし
夫を連れってってるの私なんだけど!
ってなんかもやもや。

夫婦で旅すると夫が妻を連れて行くって
思い込むのも立派な性差別だよ。

こういうのが無意識的な女性からされる
女性への差別ね。

それを差別と言って腹立てるなんて
心が狭いと思われる人もいるとおもうけど
そういう事に「?」って思わん人は
無意識に性差別を自分が撒き散らす危険性があるから
すこし考えたほうがいい。

今年は2015年なのだ。
いろんな状況は動いているのだ。


あとは、日本ではなくアメリカでもよくあるあるシチュエーション

なぜか夫にでかいステーキを置く店員。
あのさ、君さっき注文とった時ひとりひとり
注文をとって、付け合せ聞いて
私がそのでかい肉の焼き加減を指示したよね。
そのでかいほうの肉は私の肉じゃ
チップ貰うんだからそれくらい覚えてろ
ったく。
と腹立たしいわけですよ

これもナチュラルカジュアル差別ですんで。
男の方が大きな肉を食べるはずだという
決めつけによる性差別です。

女の方が小さい肉を食べるという
固定観念こそがナチュラル無意識差別なの。

男は青、女はピンクってのとおなじ。
何故そう決まってるの?
おかしでしょ?
男がiPhone6Splusのローズゴールド持ったって
いいんです。
ピンクは女の色って誰が決めた。


もう一つナチュラル決めつけ差別
酒を頼んでもそう、
私がビール、夫がノンアルカクテルとか
頼むと、必ず私にノンアルカクテル。
夫にビールが置かれる。

これもムカつく。
勝手に決めるな。

夫はたまたまノンアルカクテル頼んだだけだ
男が酒を飲み、女がソフトドリンクって
思い込みこそが性差別だ馬鹿野郎って
しょっちゅう思ってる訳です。

そして自分もまた、刷り込まれたジェンダー感覚で
無意識にナチュラルに女性差別、
性差別をやらかしてるかもしれないって
意識することは大事かもって思ったり。
自分もそういう感覚に敏感でいないと
いけない時代になったなと思うのだ。

ポリティカルコレクトネス 
political correctness
に気を配れるということは
現代には大事だと思うのよね。

こんな感じでナチュラル差別に気づき
無意識な差別に自分自身も日々晒されて
非常に腹立たしいことも多いからこそ
political correctnessについて
ちゃんと考えるようになったので。




===
ナチュラルな無意識差別に
じわじわと傷つけられてるって
自分のダメージを実感したきっかけは


ラスベガスで見た
シルクドソレイユのズマニティを
見てた時だ。

シルクドソレイユは子供も楽しめる出し物が多いなかで
異色の人間の性をテーマにした
いろいろな形の性愛を描いた
ファミリー向けショーの多いシルクドソレイユにしては珍しい
大人のショーだ。

私はこのステージを見て
男か女なんてどうでもいい
人種も性別もない
人間であることで
みんな同じなんだ
存在してていいんだと
メッセージのショーを見て
泣けて泣けてしょうがなかった。

女性+アジア人というダブルマイノリティーであることで
いろいろな国に行き、
いろんな国に住み
いい事ばかりではなく
いろいろ辛い思いをしてきた
自分の人生を照らし合わせて
私はこのショーを見ながら
込み上げてくるものが抑えられなかった。


ショーは
ダブルマイノリティ差別されてきた私を癒してくれるほどに
凄まじく深い内容だった。


私は席でワインをがぶ飲みしながら
泣いたので、
赤ワインの味が涙味になってしまったが
でも本当にいいショーだった。

ラスベガスで酒を飲みながら
性をテーマにしたショーを見ながら
いろいろ考えるって
大人になってよかったなと思える瞬間だった。

今まで見ないふりをして
悲しみをやり過ごしてきたけど。
自分がすごく女であることに
傷ついて生きてきた事を
突きつけられたのもこの時だった。

何らかのマイノリティーとして苦しんでる人
是非このズーマニティってショーを一度見に行って欲しい
いろいろなメッセージが込められてて
自分にすごく勇気が持てるから。

10年前にこれを見ていたら
特になんとも思わなかったと思う。
平均寿命で考えると
人生後半戦に入ってきたからこそ
このショーに感じるものがあったのだ。



だから余計思うのである。
明らかに10年前よりは
世の中はよくなってる。

だからこそ10年後は
もっとよくなっていて欲しいと。
性差別も人種差別も
もうちょっとでいいからマイルドになってくれてると
ありがたいなと。

女だから男だからこうっていう感覚
あと10年後笑い飛ばせるようになってるといいなと思う。

まずはとにかく
話を蒸し返すようだけど
あの聞く必要のない
性別チェックをするフォームの形式は
一刻も早くどこも改めて欲しい。

ホテルに泊まるのにも
飛行機に乗るのにも
買い物するのにも
女性か男性か企業が性別を把握する必要はない筈。

むしろ性別を知ってどうするのだ?
何かに使うならその理由を明記せよ。

フォーム作成者は
いままで書かせてたからという
頭の悪い鈍感さを最大にして作るんではなく
性別を聞く事が本当に必要なのかを
ちゃんと考えてから
性別欄をつくるべし。


残念だけど
男か女かどっちでもいい事のほうが
多いはずなのに、
わざわざ性別を聞くのは何か裏があって
女だということを先にバラすと
悲しい事に不利益しか起こらないことを
経験則で知ってしまうくらいには
私は大人になったということなのである。

まずは
10年後、敬称とかが男女区別なく
統一されてるといいなとおもう。
MissとかMrs.とかは余りにも論外なので
いまや全く見かけないどころか
誰からも支持されない敬称となったいま
Mr.Msとかではなく
日本の「様」や「さん」って
どっちにも使えるから
これが世界に普及したらいいのにと思うのであった。



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『謝罪の王様』理研はいっそ東京謝罪センターを頼った方がよかろうに。

2014-04-02 Wed 19:30
さて、DVDが3月28日に発売になった
『謝罪の王様』の話を書こうと思うんだけど、

たまたま絶好のタイミングでやってきた
まずはこの記者会見の話からにしよう。


4月1日に行われた理化学研究所の
STAP細胞の論文に捏造があった件の
会見を見てたんだけど。

理研の広報って、あの割烹着の仕切りから
とにかく、こういう俗なマスコミ対応に慣れてないというか
ほんとにピントがずれてるんだよね。
ここの広報が下手を打つのはもう何度目なんだよと。

『謝罪の王様』を見たばっかりだったのと
私もこの手の指導してる立場から
ダメだししまくりたい会見であった。

まず、
野依理事長をはじめとした偉い人たちったら
謝罪で頭を下げる秒数がたった2秒ほどで
あまりの短さに、えーっと思ったんだけど。
せめてあと1秒余分に頭を下げる事は出来なかったのか?
って思うんだよね。

参考動画

2分50秒くらいから

こりゃ人には頭を下げられまくるけど、
自分で下げた事が無い人なんだろうな
とちょっと思ったりして。

特に野依理事長とかノーベル賞学者だしね。
一生の中でこんなに責められ頭を下げることに
なるなんて思ってもみなかっただろう。
人生何が起こるか解んないよね。
運が悪いというかなんと言うか。

ちなみに神戸の竹市雅俊センター長は
一番長く頭を下げていたけどそれでも
4秒いってないという。

天下の理研の偉い人たちがたった数秒でも
頭を下げなければならない事態ってのは
大変な事なんだと思うよ。
おもうんだけど、

今更くだらんプライドなんかこじらせてないで
素直に謝った方がいろいろ得なんだけどな。
その辺の機微がやっぱりこの人達には
全く理解出来てないのねと思ったり。




===
で、本題。
朝ドラ『あまちゃん』のクドカン脚本で
阿部 サダヲ主演の『謝罪の王様』を見た。

実はこの映画、機内の個人用テレビで見たんだけど
エンターテイメントシステムトラブルで
途中までしかみられないキュインに見舞われたのだ。

いや、壊れていたのは私の個人用テレビではないのよ
そこがキュインたる私の面目躍如、

壊れたのはエコノミークラス。
ビジネスクラスの我々はみんな普通に映画を見られる状況だったわけ
でもエコノミーのシステムが直らずに
ビジネスクラスもまとめて強制終了させられたんだよね。

実際機内では大謝罪大会が繰り広げられ
どうやってまずは映画を見てる途中のビジネスクラスの
うるさそうな乗客達に謝るのかなんて観察してみたりして。

そこに『リアル謝罪師』みたいなベテランチーフパーサーがやってきて
ぐちぐちぐちぐちしつこく文句を言うおじさん達一人一人に
リアル謝罪をするさまを目の当たりにして、
いちいち土下座する阿部サダヲを思い浮かべて
笑いをかみ殺すしか無かった。


さて、2−3時間後、
強制終了後リセットかけたのち何が起こったか?

エコノミークラスの皆さんと、
私以外のビジネスクラスの皆さんは
ちゃんと直ったらしく快適に個人用テレビをみてた。

私の席だけ二度と映画も映らなければ
呼び出しボタンも使えなくなり、
あげくライトもつかなかったんだわよ。

ときどき映像がなんとなくみれるような兆候があったけど、
見ようとすると画面はちらつき安定せず、音も聞こえず。
ライトも点かないんで、ふて寝したよ。

誰ですか?「さすが」って言ってる人。

仕方ない、帰りに『謝罪の王様』の続き見ようと
思ったら帰りの飛行機では月がまたがってしまい
同一プログラムはやっておらずという二重キュイン。

結局最後はどうなったの?と
気になる気になる気になる。
DVDの発売を待ちくたびれてたわけだけど。
やっと続きを見る事が出来た。

で、ざっくりとした感想は、
クドカンワールドなので、あのクドカンの笑いが
許容出来ない人には面白くないだろうなってこと。

でも私にはとても面白かった。

キョンキョンが主演の低視聴率だった
あの『マンハッタンラブストーリー』的な
細かい笑いと伏線が大好きな私にはたまらん面白さだったし、

今回はとにかくテーマがツボだった。

『謝罪』なんていう
究極の人のイメージコントロール法がテーマの映画なんて、
人の感情分析が趣味の私にとって面白くない訳が無いのだ。

いやー、最後まで見る事が出来てよかった。
楽しみにしてた甲斐があったよ。

くだらないとかバカらしいと思ってみたら
何の参考にもならんけど、視点を変えてみたら
人心掌握術のノウハウがびっしり詰まってて、
クドカンただモンじゃないなと。

特に中盤、阿部サダヲ演じる謝罪師の黒島譲が
何故謝罪師になったのかあたりのエピソードは
接客指導経験のある私としては胸に来る物があった。

特にこの台詞
謝罪師の黒島譲が
「ただ謝って欲しいだけの人間が、
 世の中には一杯居るんじゃないかって」
 裁判とか、慰謝料とか、示談とか 
 勝った負けたじゃなくてさ、
 ただ=ごめんなさい=が聞きたいだけの人が」

という場面をみて
これは本当にズバリ言葉にされると
フライパンで頭をぶん殴られるほど衝撃があった。


そうなんだよね。
なんで人はその場で自分の否を素直に謝れないんだろうか。
謝る事そのものには何も無い筈なのに
謝らなくていい理由を常に探してはいないだろうか?


===
一度ものすごく心がスッキリする対応をされたことがある。

友人に誘われた集まりでちょっとした出し物があった。
その開始時間が間違っていて
楽しみにしていた私は見る事が出来なかった。
着いたら終わっていたのだ。
わざわざ出かけた私は勿論不機嫌になる。

むっとしてるのは顔に出てたと思う。

その時友人は、なんと私にちゃんとむきあって
頭を下げたのだ
「すずちゃん、ごめんなさい」

笑いながらの軽い「ごめんね」でもなく、
ごまかすでもなく。
真っ正面から私に向き合って
「時間を間違ってごめんなさい」と
彼女はきちんと私に謝ったのだ。

私は面食らった。

そしていままで自分は間違えた時に
こんなにちゃんと誰かに謝れていたかと不安になった。

仲良しだから、ちゃんと謝らなくていいことなんて無いのに、
きっと許してもらえると舐めていた自分が相当幼稚だったんだと、
めちゃくちゃ反省した。

その友人のおかげで、謝る事って何だろうと
考えるきっかけになったのでものすごい学びになった。

そして何より
「時間間違えたくせに」とかそういう
ムカムカが一切無く
謝られた私もすっきりした気分で
次の予定に切り替えられた。

『謝罪の王様』をみて
この数年前の友人の謝罪の場面が
急に思い出されたのであった。

謝って欲しい「だけ」の人がいっぱい居る

ほんと人間関係って
それにつきるんだろうと思う。



===
そもそも、謝るって一体なんなのか?って
じっくり考えてみた。

そして私は友に謝られてすっきりした経験を元に
ひとつ明確にわかったことがある。


相手に謝って欲しいと思う気持ちって、

「ちゃんと自分に向き合って欲しい」

って意味なんだよね。

笑ってはぐらかされたり
そんなに怒らなくてもって言われたり
まあまあまあとなだめられたり、
自分でもよくやらかしてるんで
自戒しないといかんことなのよ。

はぐらかす、誤摩化す、なだめる。
これ全部真正面から謝るべき相手に向き合ってないって
事なんだよね。

はぐらかされたり、誤魔化されたり、なだめられたりすると
腹が立つ。これを

「非を認めてほしい」

という感情だとつい錯覚しがちだけど
よく考えたらそれって

「ちゃんと向き合えよ」

という怒りであることがわかる。

要は相手を怒らせてしまったら、
気持ちを逸らして済ませようとしたり
誤摩化す手法は最悪だって事。

最近流行のクレーマー対応だって
客がモンスター化して困ってるんですって
話をよくよく聞いてると
客に水をやり肥料までやってご丁寧に
モンスター化するように育ててる
マヌケ対応って結構あるんだよ。

それ最初の段階でスッと謝っておけば
こんなこじれなかったんじゃない?ってケース。

要は最初のクレーム内容はすっ飛んじゃって
「ちゃんと向き合え」
っていうクレームになってるケースを
客のモンスター化と言ってる場合が多いのよ。


で、思い出すのが業界では二大ダメダメ会見

もう説明する必要ないくらい未だに笑いのネタになるほど
有名な船場吉兆のささやき女将が忘れられない謝罪会見

そして、社長が意味不明に最初の会見でやたら強気で
素直さが無かった為に話をややこしくし、
「誤表示」っていう言い逃れをするんだ。と
ある意味ここまで愚かなのかと感心しちゃった
2013年の食品偽装問題での阪急阪神ホテルズの会見


両方とも、あまりにダメ対応だったので
見事に勝手に自爆しちゃった例だよね。

悪い例で教科書に載せたいくらいなこの二つ。
これらのバッシングの原因って凄く明確でしょ。

カメラの向こうにいる大衆と真面目に向き合わなかった事につきる。

いろいろやらかした政治家や、
不祥事の対応で出てきた企業の重役たちの謝罪会見を見てて
いつも思うのは、
成功する謝罪と失敗する謝罪ってどこが違うのか?ってこと。

映画の中でいろいろ詳しいレクチャーが
出てくるんだけど

頭を下げる秒数や角度もテクニックとしては大事だ
どう見えるかが全てなんだからこれは無視出来ない。

で、お辞儀がちゃんと出来ないと普通は
お辞儀の仕方すらまともに躾けられてないんかい?
親の顔が見たい!とおもうわけですよ。

そしてこんな地位に就いてる偉い人なのに
頭すらまともに下げられないんか?と
最初のイメージがマイナスになってしまう。
(野依理事長あなたの事ですよ。)

だけどもっと重要なポイントは
大衆にどれだけちゃんと向き合ったか
にかかってるんだよね。

ちゃんと向き合ったら
お辞儀もテキトーに頭さげておわり、
とかそういう舐め腐った態度には
絶対ならんはずなのよ。

公人の謝罪というのは
「申し訳ありませんでした。」
とペコリと頭を下げることではないんだよ

とにかくとことん大衆の怒りに向き合うことが大事なのだ。
ちゃんと向き合ったら自然とどうすればいいか
わかるはずなの。難しい事じゃない。

スルーしたり、逃げたり、隠れたり、
あわよくば公の場に出ないで済まそうとしたり、
ってのは最悪な印象になってしまうってこと。

その辺は自分たちが賢くて大衆なんかバカだって
バカが怒ってるから頭下げときゃいいだろって
思ってるならお手並み拝見したいところです。

バカだと思ってるその大衆も御せないなんて
そっちのほうが愚かしいだろうが。

と言う訳で
理研も一刻も早く東京謝罪センター主宰
謝罪師の黒島譲さんにコンサルをお願いした方がいい。

ここまでこじれた以上
なりふり構わず謝り倒したほうが
後々得だと思うよ。

悪いけど今の状態じゃ
理研を応援する気にはならん人は多いと思う。
どっちかっていうと
「小保方さん頑張れ、負けるな」
みたいな流れになっちゃってるじゃないか。

普通叩かれるのは小保方さんで
理研は騙された被害者でした。
ってことになっておかしくないのに
結果がすべてを物語っている。

何故大衆イメージが
「理研は災難だったね」とならないのか
何故
「おぼちゃん頑張れ」になってるのか

自分たちが初期対応をしくじったことは
きっちり考えた方がいいよ。
このままの理研イメージで放置することは
得策ではない。

イメージ戦略って凄く重要なのよ。
割烹着のリケジョとか出来たんだから
謝罪のプロデュースをしっかりしろ。

遺憾の意を表す為に
理研の壁を全部黒に塗ってみましたとか。
理研の舐め腐った態度を葬る気持ちを表し
生まれ変わるつもりなのでといって
全員が喪服で出てくるとか、
日本中に元気を与えたいとかいって
女性研究者にミニスカートの白衣を着せるとか

是非とも割烹着プロデュースで見せた
底力を見せつけて欲しい。

冗談はさておき、
あんだけのペテンみたいなことを
理研主導でやらかした事は事実だし
そこはちゃんと謝らんといけないと思うのよ。

何事に置いても
謝るべきところは謝る。
話はそれからなのだよ。

でも今回の理化学研究所の会見をみて思った。
この人らは人に感情があることを忘れていないか?と

誰に向かって何の為に謝るのか、
謝る事って一体なんなのか、

彼らにはそこからレクチャーした方が良さそうだと思ったよ。

もしそのあたり学び直す気があるなら
私が東京謝罪センターの黒島譲主宰の変わりに
指導役を受けてあげてもいいけど
移動の飛行機はファーストクラスにしてくれないと嫌。
コンサル料金は野依理事長の年俸の10倍と言いたいけど
今回だけは特別に大幅ディスカウントで5倍でいいよ。
(このネタわかるひとにはわかる)

『謝罪の王様』理研はいっそ東京謝罪センターを頼った方がよかろうに。の続きを読む

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「お姫様の監禁と解放」 自分で決められない女医タレントと塔の上のラプンツェル

2014-03-24 Mon 15:00
さて今回は
「塔の上のラプンツェル」と有名女医タレントの母娘関係
のおはなし、丁度タイムラインで話題になってた
「塔の上のラプンツェル」
よりにもよって子供のアニメ?
なにコレ?
とおもうなかれ、
色んな事がこの映画の内容にリンクしてるから
あえて選んでるのである。



テレビで「塔の上のラプンツェル」が放映されたからか
タイムラインの中で結構興味深い感想が
かなりの数流れてきたので
ちょっと面白そうという軽い気持ちで見てみたんだけど!


いや、これちょっと
ストレートすぎてびっくりしたよ。
示唆に富むというか、
親離れとは何かみたいな
人生の選択の際のキモみたいなのを
これでもかと見せつけられ
へとへとに疲れてしまった。

物語の構成はいつものディズニーアニメと
そう大きく変わる事は無いんだが
とにかく、これ比喩じゃないよね
そのまんまじゃないか!と
ひっくり返りそうになった。

今まではディズニーアニメの定番ジャンル
「プリンセス監禁もの」
もうちょっと台詞などはオブラートに包んでなかったか?
余りに表現がストレートすぎてひっくり返りそうになった。

これは今話題の毒親と娘の監禁と解放の物語ではないか。

このラプンツェルに出てくる
お城で産まれたばかりのお姫様を
自分の私利私欲で誘拐し監禁した偽母の
マザーゴーテルを見て

最近離婚ネタで売ってる女医の西川史子の話を思い出した。
そしてこの記事を書いてるタイミングでこんな記事が流れてきた。

西川史子、離婚はマネージャーが決断していた テレビで衝撃告白
-BIGLOBEニュース


なんでも、ざっくりまとめると

 いままで進路も職業も全部親が決めていた、
 そして、産まれて初めて自分で決めたのが結婚。
 しかし、初めての決断を失敗してしまったので
 もう何も自分で決められない。
 結果的に離婚することもマネージャーに決めて貰い
 今じゃ家電を選ぶのもマネージャーに決めてもらってる

というような話。


実は私は2014年1月15日のツイート
こんなことをこの女医タレントの離婚がらみで
以下の事を呟いていたんだけど

 職業も親に決めてもらったなら
 配偶者も決めてもらった方がいいと思う。
 配偶者だけ自分で選ぶからおかしなことになるんだよ。
 親のコントロール下で従うことを刷り込まれてきたなら、
 中途半端な親離れは破綻する。

コレだけ読んだひとから
石とか投げられそうなのであるが、
今回のブログ記事で言いたいのは
親の言う通りに生きろって話ではないんで
言いたいのはむしろ真逆のこと。

このタレント女医さんのように、
今までの人生を親の指示通り生きてきて、
親にコントローラーを握られて
親の人生ゲームの中のコマとして
自分の人生を生きてる事が嫌になったら、
何か一部だけ突然親離れした気分になって
大人になったと錯覚して自分で選んじゃだめなのだ。
失敗するに決まってる。

何故ならその選択は、親の【思い】をベースにしたものだから。
自分で自由に決断したり選んだ気になれることはなれる。
だけど、残念ながらそれは錯覚なのだ。

その選択は自分の選択じゃない。
自分に乗り移ってるお母さんの分身のチョイスだ。
気持ち悪いかも知れないが、
支配をメインとした育てられ方をした場合
意識は親の分身になってしまう。

だってそもそも親に学校も職業も選んでもらってる
(=親の指図に従って生きてきた)時点で、
本人の意思なんて何一つ教育されてない。

【思い】の教育を一切されず、親の支配下に置かれた状態、
そのうえ自分で考えるようにも日々習慣付けて無いのに
いきなり出来るようになるか?

ならんよね。

よく考えたら
一度もやった事無いのに突然出来るようにはならんと言う
ごくごくシンプルな話なのだ。

だって、身に付く身に付かないとかではなく
よく考えたら、最初から自分の意思は
全くの無の状態で大人になったという事じゃないか

こんな状態で自分で決断したら
そりゃ大やけどするに決まってる。
だって自分で選んだ気分になったものは
本来自分が求めてるものとは全然違うんだから。

そして失敗すると必ず親が絶好のタイミングで登場するのだ

「ほらごらんなさい、お母様の言った通りでしょ」

とね。

だから尚更親のコントロール下を離れられなくなる。
自分で選んだのが悪かったんだ、親の言った通りだったと
後悔する。

子供が選んだ場合は必ず悲惨な結果になるように
最初から意図的にコントロールされているにも関わらず。
子供は親に従わなかった為に失敗したと思い込まされる。

この支配形態はラプンツェルでも描かれているように
とにかく失敗して助けるとこまでが洗脳を完璧にする為に
必要な儀式なのである。

子供が自分で選んだ結果は常に失敗するように
仕組まれ、やはり親って凄いと認識させる経過を
実際に辿って本人がやらかしてみることは
親のコントロールの重要なポイントだからね。


さて子供はこういう親にどう対抗すればいいのか?

まず自分の状態を知る事だ。

自分が今持ってる【思い】が実際は自分の物ではないと
全く気付かず、知らないまま何かを選ぶ事くらい
恐ろしい状態はないのだ

自分は何が好きなのか?何に感動するのかまで
親にコントローラーを握られてて
支配のもと生きていた事にまず気がつかないと
大変な事になる。
自覚が無いまま進んだらかなり不幸だ。


コントロールされてる自覚が無い人は
自分は親とは別人格で、意思や感情があることすら
本人の想定外なのだから。

だから大事なのは
まず自分が実は無だったと気付く事なのだ。

どういう状態が親に洗脳されきった状態なのか

例えば
親に完全にコントロールされた人生を送ってくると、
いちいちふりかかる物事すべての決断を

「こっちを選んだら、果たして親が合格って
言ってくれるだろうか?」

ってのを常に気にし始める。

判断基準がもう善悪でも自分の好みでもなく
とにかく

「親がどう思うか」
「親がどういう顔をするか」

になっているのだ。

これが
【自分の意思を親の支配下に置かれている状態】
だと認識出来るかが重要である。

これは意識するしないとか、
もうそんな次元の話ではないので
凄く難しいんだと思うけど、
自分の好みとかは自分で無視どころか
自身の意思の存在すらスルーして
生きてる人は少なくないんだよね。


人生の全ての時間を親の顔色を伺うことで
過ごしてきたこの手の思考の人たちは
親がオッケーって言ってくれると
「自分の判断は正しかった!良かった!」
とやたら安心するわけ。

もっと怖いホラーみたいな話をするけど、
従順な性格の人にありがちなのはこれ。
 ↓ ↓ ↓
異性に持つ自身の好みのタイプとかも、
本人の意思が一切無視された状態、
すなわち母親の意思そのものだったりすることがよくある

自分が好きになると思ってる男性は
実は自分ではなく母親の好みのタイプだったりする事は
この手の母娘関係ならば別に珍しい事例でもなんでもない、

常に幼き頃から母親が

「ウチの娘にはこんな人と結婚してほしいわ」

なんて言ってると、親を喜ばせたい一心で
母親が常日頃から言っていたような
母親の理想の男の人を結婚相手に探すようになる。

自分自身の理想の男性ではなく
無意識で母親の理想を叶えようとしてしまったり。


本来であれば、何処かの時点で親からコントローラーを奪還し、
自分の人生のコントローラーは
自分で握るようにしないといかんのだが、
親のコントロールが心地よく機能して
具体的になにかもめ事が起きなければ
親の意思が見直されるきっかけもないから
ついつい安穏と過ごし、

親の思いを受けて配偶者も選び
親の思いを受けて子供も産み

そして最終的には親から受け継いだ「思い」を
自分が産んだ子供に連鎖させる。

自分の「おもい」ですらないものを、
今度は自分の子供に強制し始める。


そのコントローラーは有線から遠隔操作へと
バージョンアップするのだよ。
恐ろしい事にこれは親が死んでも機能するという・・・

赤ん坊の頃から繰り返し繰り返し長期洗脳されてるので
例え親元を離れたとしても、親が死んでも
バージョンアップ後はいくらでもコントロール可能。
この時点ではコントローラーすらもう要らないのだ。

あのタレント女医さんを見ても解る通り
親から完全なコントロール下に置かれるような
極端な育てられ方で育ってしまうと
結局は一生ずっと

親に受け入れてもらいたい
親に褒められたい
親に認められたい
親を喜ばせたい

そのモチベーションだけで生きてしまいがち。

いま書いてても怖いのは
そこに「自分」というものが一つもない事だ。

「塔の上のラプンツェル」でも
誘拐犯の偽母マザーゴーテルから
ラプンツェルに投げかけられるお決まりの台詞は
「外は危険が一杯で、あなたは無力で何も出来ないんだから
お母さまの言う通りにしていればいいのよ」
であった。

言葉と言う見えない鎖で娘を縛り
自分の元から離れられないようにコントロールする
この物語では恐ろしい魔女として偽母ゴーテルは描かれているが
こういう身勝手な実の母親って意外に現実社会で散見されるよね。

一見優しそうで、何よりも誰よりも娘のことを考えてるポーズを
取るし、実際献身的に可愛がったりするから
とても優しくいい親だみたいに惑わされがちだけど
ほんとこういう親は害にしかならんので
とっとと気がついて塔の窓からポイッと捨てないといけない。
(マザーゴーテルは空き缶ではないので窓から捨ててOK)

さて、最初に書いた
中途半端に一部分だけ親から解放されても
それを自身の決断と錯覚てしてはならぬ

の真意は
ここまで丁寧に説明したら
賢い皆さんはもう解りましたね。

そうです、
沢山の枝葉の一部だけを自分の決断で
選んではダメなのだよ。
だって他の部分は全部腐ってるんだから。
根から引っこ抜いて
枝葉を一度全部落とし丸坊主にして
植え替えないともうどうにもならんのよ。

腐った他の部分と死なば諸共か、
根っこから抜いて一旦丸裸にするか
どっちかしかないんだよ。

要するに
一度自分を初期化して、まっさらな自分に
戻らないと何も始まらないってこと。
自分を初期化してまず自分が自分である事を
自身で確認するしかないのだ。

親の人生を代理で生きてやってどうするのだ?
それは自分の人生ではない。
自分の人生を生き直さなきゃ。

まっさらな状態に戻して、
イチから積み上げないと
自分にはならない。なれない。
いつまでたってもそれは誰かの意思で生きる人生だ。

だって、作られた自分は自分の意思すら持つ事を
いままで許されてなかったんだから。

自分が何が好きで、何に心が踊り、
どんなものに興味を引かれるのか。
自分じゃない人たちの好みではなく
もっと自分と向き合うべきなのだ。

それからじゃないと、
本当の自分は一体どんな人が好きなのか
誰と一緒に居たいのか、
何が好きで、何が嫌いで、どんな事に
心震えて、何に涙を流すのか
自分を知らないまま人生を過ごしてしまうことになる
そんな勿体ない事するくらいだったら
勇気を持ってコントローラーを引きちぎり
それを叩き返してやればいい。

ラプンツェルのように髪の毛と一緒に
マザーゴーテルを塔から突き落としてしまえばいいのだ。

自分の人生を生きたいと強く願い
子供が自ら冷酷になって親離れを敢行し、
親の息の根を、力で止め黙らせるしか
これは方法がないんだと思うんだよね。

親を完全に絶望させないと
この鎖で繋がれた関係は解けない。

野生の動物ですら子離れ親離れの儀式をするのだ
人間だってやっぱり動物なのだから
きちんと区切る事が大事なんじゃなかろうか?

野生動物は例えば親が子を巣からたたき出したり
谷底に突き落として強制的に親離れさせるというが、
人間は子が親を塔の窓から突き落として子離れさせて
やらなきゃいかんのだ。

だから遠慮せず、
とっとと親の思考構造なんか踏み潰して、
その屍を胸を張って乗り越えて、
自分の人生をキッチリ生きればいいと私は思ってる。

自分以外の誰かのことばかり優先する人生を見直そう
親にはその人自身の人生を自分で生きてもらえばいいのだ。
自分の人生を親に奪われることはないのだ。
素直に差し出し明け渡す事も無いのである。

もっと自分の人生を取り戻す事に貪欲になったほうがいい。

最後に
「塔の上のラプンツェル」の最後のオチは
非常に危険だと思うよ。

グリム童話がベースだし、この映画も既に古い話なので、
最後どうなるかを隠す価値もないと思うんで触れるけど、
ディズニープリンセス監禁ものの定番といえば定番
ステキな王子様と出会って、
王子が魔女から解放してくれるってやつ。

私としては解放してくれたのは王子(男)でってのが
もう凄く気に入らん。
結局誰かに依存することでしか
幸せになれないみたいな話
ハッピーエンドでも何でも無いんじゃないの?

監禁先の変更ってだけで解放じゃ無いじゃん
みたいな事が非常にけしからん!と思うのだ。

ディズニーは本当にプリンセス監禁が
好きなのですな。

これはまた別の話だから、
長くなった事だし、別記事として
長編を書かねばならんと思ってる。

なので今回は
毒親を駆逐する話でございました。
はあ、それにしてもこの記事まとめるのに
三日もかかったよ



kyuin信者はこれを読めSUZUブログ十選 | top▲
嫌いだったり許せない事が共有出来るって大事だよね。「モラルの価値観について」

2014-03-03 Mon 23:30
今でも忘れられない出来事がある。
私が小学生のときの話だ、
友達ファミリーと別荘に一緒に出かけた。
私はその友人の父親が運転する車に乗り込み
我が両親はその車の後をウチの車で走っていた。

高速道路に入る手前で、友人の父親が
ごく当たり前のように車内にあったゴミの空き缶を
窓から草むらにぽーんと放り投げたのだ。
あまりのこのとに絶句していると
今度は友人の母親が自分の飲み終わった空き缶を
窓の外に投げ捨てた。
私は後部座席で固まっていたのだが

「あなた達も飲み終わってるなら窓から捨てなさい」

いけない事とはわかっていたけど
保護者の許可を貰ってやる
不道徳な行為、それはそれは
なんともいえない後ろめたさの残る
恐ろしい行為だった。

勿論この後私は、
後ろを走っていた自分の親に家に帰って
こっぴどく怒られる羽目になったのだが・・・

母は帰宅後、怒髪天を突く勢いで私を叱り飛ばした。

「○ちゃんママに捨てろと言われたから、
私は嫌だったけど仕方なく捨てた」

と言うとそれはそれは怒られた。

「なんとなく捨てちゃった。」

と言ってた方がまだ怒られなかっただろう。

母が怒ったのは、
「他人に指示されたら、あなたは
それが悪い事でも拒否せず従うのか?」
その一点だったように、今でも記憶している。

母は怒るよりもそんな私が情けないと言っていた。

もともとわたしの家は道徳教育に関して特に厳しいとか
思った事は無かったし
自分で窮屈だと感じた事は全く無かった。

「道にゴミを捨てない」とかは
わざわざ言い含められる類いの厳しいルールではなく、
むしろ人として最低限守るべきルールなので
あたりまえのことだと思ってたし、

やたら口うるさくモラルに関して躾けられたという
思い出は一切無いんだけど、

親をこんなに落胆させてしまう程のことだったのかと思って
私もとても悲しくなって恥じ入った。

そして、もし次回そういうモラルに反したことを
誰かにやれと言われたら、必ず自分は嫌だとちゃんと言おう
と思ったのであった。

勿論それ以来その友人ともその家族とも
疎遠になった。

この出来事はいまでもそのシーンが鮮明に
脳内スクリーンにカラーの動画で再生できる程
印象深い出来事だった。



それからずいぶん年月がたった。
そう、かなり大人になってから
また似たような出来事があった。
時はネット黎明期、

ネットで知り合った人々と初めて会ったときの話である。
オフ会なるものが各地で催されはじめた頃の話。
共通の趣味で仲良くなった人と会う為に
私は飛行機でとある場所に向かった。

待ち合わせた空港で車を車椅子マークの所に
停めていた人がいたのだ。

彼女は次の目的地の駐車場でも
「あいてるし、入り口にも近いのでここが便利でいいよね」と
一切の迷い無くごく普通に車椅子マークの場所に
車を止めたのだった。

申し訳ないけど、
飛行機のって会いにきたけど
好きな事が一緒の
巡り会えちゃった系の新しいお友達だと
思ってたけど、
ちょっとこれってどうなのよ

私はこういう時、嫌われ上等と思ってるんで
はっきり言いましたわよ。

「ここは我々が停めていい場所ではない。フェアにやろうよ。
いますぐ普通の駐車場スペースに停め直すべきだ」

と。

もちろん彼女達はいきなり私に何を言われたのか
理解不能という顔をしたし、
「真面目ね」みたいな嫌みをやんわりと言われたし
相当微妙な雰囲気になったよ。

でも別にほんとこんなチンケなズルをするような
交友関係なんか自分から望むこともないし
そもそもずるい人は私には必要ない
常々合わない人は私を嫌ってくれて結構
と思ってるんで
その後連絡はお約束通り途絶えたけど、

あんなにしれーっとモラルの無いことが
後ろめたさのハードルすら無く、軽々と出来る人が
知り合いに居るだけでも自分の価値が下がるんで
居なくなってくれて良かったって思ってる。

この二つの出来事を通して私が実感した事は
自分のモラルの価値観に反することを許容すると
自己の尊厳が毀損されてしまうってこと。
逆にきちんと拒否出来る事の大事さだった。

そして、
人と交流する際に大切な条件は
「好きな事が同じ」よりも
「許せない事が何なのか」が共有できないと
難しいということが判ったのも
この時なのである。


でもほんと冗談抜きにモラルの価値観って
非常に難しいけど大事なことだと思う。

交流する友人達や、配偶者、家族のモラル価値観が
合致してる事って、結構重要なポイントなのだ。
好きな事が同じだと仲良くなれそうな気がするけど
好きな事の共有なんて実は特に重要じゃない。

モラルの価値観が共有出来ないと
長く一緒に居られない

特に夫婦なんかはそれが顕著だと思う。
付き合ってる時にどんな態度を取る人のなのかは
充分わかるから、
ポイ捨てしない人かどうかとか
モラルの価値観が共有出来るかどうか
きちんと見極めた方がいい。

何故ならモラルの無い行為を黙って見過ごす事で、
自分が知らぬ間に汚れて行き、段々と侵食される。
ジワジワと侵されていく道徳心って
非常にストレスになるはずなのだ。
人は変わらないし変えられないから尚更。


そのような些細な空き缶捨てや
身障者スペースの占有程度の
モラルが守れないような価値観の輩は、
「一事が万事」なのだよ。

モラルを欠く事に躊躇が無い
良心が傷まないということは

犯罪行為だって許容するようなルーズな状態まで、
そんなに開きは無いと思う。

私のように嫌われ上等と思ってないなら
波風立てるがごとく
わざわざ注意する必要はないけど、

最低限「自分はそれは嫌だ」ということは
表明しておく必要はある。
黙っている事は、それを受け入れたということに
他ならないからだ。

例えそれでうざがられて、
その後疎遠になったらそこまでで結構なのだ。

わざわざそんな心根の汚い人達と
交流したいと思わない。
自分も汚れそうで嫌だ。


さて、じゃあどうするべきなのか?

「私はこれを受け入れられない」
とビシッと白黒ハッキリすることで、
自分が侵害されない生き方になると
私は思ってる。

ただし、その線引きがゆるいと
たちまち侵食され、奪われ、踏みにじられ、
最終的には粗末に扱われるようになる。

自分の気持ちに背いて
へらへらしてるということは
すなわち自分で自分を粗末にしてる事だから
結局他人からも粗末に扱われる事なのだ。

自分のモラルの価値観に合わなかったら

「私はこれが嫌」
「私はそういうの嫌いだ」
「私はそこは譲れない」

って、どんどん表明した方がいい。
そのほうが自分を守れる。

「私が嫌なこと」

をもっとちゃんと言うべきなのだ。

自分の思想を明確に示しておく事は
悪意を持った何かから自分を守る事でもある。

そんなことで壊れる関係ならもともと価値もなかったし、
必要なかったんだということ。
そんな汚れた人と付き合う価値は無いからね。

世の中にその他のまともでモラルの価値観が合うひとは
他にも沢山いるんだから。
「わたし」を侵食するような奴は要らないのだ。


人の価値観で生きる必要はない。
捨てられることばかり怖れてないで、
必要の無いものは自分から捨てればいい。

自分のモラルの価値観を守ることの方が大事だし、
モラルに対してルーズな人たちは
自分のモラルの価値観を譲歩してまで
交流する価値がある人々だとは到底思えない。
要らないものはとっとと捨てたほうがいいのだ。

嫌われる事を恐れて自分の中の大事なものを
搾取されない様にしないといけない。

自分を守れるのは自分だけ。
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Nカバンで有名なあの塾で学んだ、出された課題を投げ出さずに最後までやりとげるということ、ーAKBの干されは何故干されなのかー

2014-01-30 Thu 19:30
2月1日といえば、都内の私立中学校の入学試験日である。
この時期になると、受験したあの冬の日を思い出したりして、

ええ、私ったらその当時から舐めた小学生だったので
受験する学校まで徒歩で行けそうな有名ホテルに泊まってだね、
そこから受験にいった小学生です。
午前午後ぶっとうしの試験と面接だったんで
なんとホテルに弁当を作らせて持っていきました。
もちろん歩いて行く訳も無く、タクシーで乗り付けたのである。

まあこんなんでも第一志望に受かるんで
受験生の皆さん、試験なんて舐めたもん勝ちです。

と、本題は違うのだよ。

話はAKB48のとある番組をみた事から始まります。
なんでAKBが中学受験?
とおもってるひとは最後まで読んで伏線が回収されるのを待ちましょう。
全く関係ないのですが関係あるのだ。

話を戻す。
私が見たそのAKB番組の内容はざっと搔い摘むと
「AKBの干されメンがNYのブロードウェイにいって
現地の本物のミュージカルスクールに入ってレッスンを受ける」
というものだった

 すみません、
 わたしのブログの読者はAKBなんか興味ない人が
 多いと思うんで意味が分からんと思いますが
 しばらく辛抱してつきあってください。
 最後ちゃんとオチますし。
 適宜注釈は入れますんで。


で、ここで重要となってくるのが「干されメン」というキーワード
直訳すると
「干されてるメンバー」ってことですが

今更だけど
ご存知の通りAKBって凄いいっぱいメンバーがいるのよ。
そんでもってテレビに出られてるとかセンターになれるメンバーは
超選抜と言われる一握りってことくらいは
皆様もご存知の事と思います。

具体的に言うと紅白で卒業を発表した大島優子とか、
総監督とよばれてるたかみなとか、
総選挙一位の指原なんかが超選抜メンですね。
プロデューサーの秋元康のお気に入りが
超選抜とも言われております。

しかし、この番組に出てたのは所謂「干され」でした。
テレビ番組に引っ張りだこの大忙しの超選抜を
NYなんぞで合宿させるわけにもいかんでしょうし
超選抜では無いメンバー、
いわゆる総選挙選抜圏外な暇な干されメンが
5−6人?NYに集結しておりました、

そして、この干されメンたちはざっくり言うと
一つ屋根の下合宿しながらブロードウェイのミュージカルに
出たい人たちのレッスンに参加させられる訳です。

英語の課題曲が事前に全員に渡されてる訳ですが
ここで、私にとってはありえなーいと思う事が
起きるんですわ。
そう、干されメン達って課題曲を完全に覚えてきてないんだわ。

その後も芸事でやらねばならぬ課題というものが
いろいろ降ってくるんですが
彼女たちはなんだか見事に一人としてそれが完遂できないんだな。

課題をやらずに寝ちゃったりするんだよ。

英語が不得意とか解らないってのはハンディとして認めよう
でも、やれって言われてるのは歌を覚える事とかって
君たちが毎日秋葉の劇場でやってる歌や踊りだぜ。

その後もたった二日間のレッスン参加なのに
電車が遅れて大幅遅刻とか、
もう何もかもこの人たちやる気無いの?的な
場面が続くのだ。

なんかね
これ見て思わず画面に向かって
だからお前らは干されなんだよ
突っ込んじまったわ。

こういっちゃ身も蓋もないか

でもなんかこれ見てすごい腑に落ちたんだわ、
区切られた時間の中で帳尻を合わせられる能力って
実はスタートラインに立つ為の最低要件なんだろうな
ってこと。

錯覚しやすいけど
ゴールじゃないんだ
スタートラインに立たせてもらえる許可証みたいなもんなのよ。

ゲームの入場券と参加権という言い方を私はよくするけど、
干されの子達って入場券は持ってるけど
参加権を手に入れてないんだよな。


で、いろいろ考えた。
私の生きてきた人生で課題をこなさず寝てしまうような人は
自分も含めて周りにいないんだよね。
というより、
例えば同じようなシチュエーションに放り込まれたとき
間違いなく全員が翌朝までに歌詞もメロディーも
それが英語じゃなくドイツ語であろうがイタリア語であろうが
完璧に覚えてくるような中で生きてきた。

そして、遅刻するなんてあり得なくて
多分誰よりも早くレッスン場に入って
自主練するような、
それが当たり前でしょみたいな環境だったんだよ
そして今も実際まわりは全員そういう人々。

課題は出されたら
やり遂げる事なんか当たり前だし
やるからには、ちゃんとやる

そもそもめちゃくちゃ子供が多い年代に育ったので
兎に角何をするのも競争だった学生時代
ゲームの入場券を得る為にがむしゃらにがんばり
そして、入場するだけでなく
自分がゲームプレーヤーになる権利を勝ち取り
そのスタートラインに立たせてもらう為に
どんな無理ゲーでもやり遂げて当然だった。

だからこの干されメンたちの能天気っぷりが
非常に興味深かったのだ。

今でも忘れられない事がある。
小学生の時、一時期だけ中学受験で有名なNという塾に入った。
あの毎週の試験で成績順にクラスと席が決まるあそこである。
たまたま入塾試験の成績が良く、最初に入れられたのは
一番出来る子ばかりのクラスだった。
前の席の子はなんと毎週のテストで全国で名前が載ってる有名人
(塾テスト上位常連有名人ってのがいたんですよその頃)
で、その一番優秀クラスって恐ろしい事に最初の週の算数の宿題が
なんと問題集一冊全部だったのだ。
習ってもいない部分も沢山ある算数の問題集
どう考えても寝ないでやっても来週までに間に合わない
小学生だった私は絶望感でいっぱいになり
家に帰ってその量の多さに恐れをなして
ついにはわーん!と泣き出したんだけど、
泣いてたって誰も問題を解いてくれる訳じゃないから
ほんとに文字通り歯を食いしばって
ガリガリ問題を解き始めた。

なんとか死ぬ気でやり遂げて、塾でこれを全部終わらせたのは
私しかいないはず!と嬉々として塾に行ったら
クラス全員華麗にさらっと涼しい顔で宿題を出しやがったのだ。

そんとき思ったね。
マジで超選抜すげえって。

なんだろう、頭良いとか
才能とかそういうのはあって当然。
前提条件な訳。
後は大人が出してきた課題をとにかく最後まで
投げ出さないでやり遂げる意思力なんじゃないかと
勝ち上がるにはとにかく、どんなに無理だと思っても
やりとげることなんじゃないかと。


その後、社会人になってずいぶん経ってとある会社に転職したときも
入社五日くらい前にいきなりすごい量のマニュアル渡されて
入社日にこのマニュアルのテストするから覚えてきて
と言われ、

気が遠くなりながら死ぬ気で覚えましたが
こんな無理ゲー、やらせる方がおかしい、だれがこんなの
全部覚えられるの?そんな人いるの?と
家族はその覚える量に困惑するほどだったんだけど

やはり、当日試験のときには
皆さん涼しい顔してさらさらと満点な方々が
多かったのでした。
(もちろん私も満点だが。)

やはり選ばれし人々とは
選ばれる能力はあって当たり前、その上
投げ出さないで完璧にやり遂げる能力が
備わってないとダメなんだよね。


そしてAKBの話に戻るけど。
ひとつ思い出した事

もう卒業したけど
主要メンバーとして一般の人にも
認識される数少ない超選抜メンバーだった篠田麻里子の
有名なエピソード。

博多から出てきてAKBのオーディションを受けたものの
秋元康に落とされて、アキバの劇場のカフェで働いてたそうな
そこで客による人気投票でカフェの店員さんなのに
人気が1位になったと、

で、ここで秋元康がカフェにやってきて篠田麻里子に言うんですね
「12曲の歌と振り付けを覚えろ、時間は次の公演までの4日間」

篠田麻里子は死ぬ気で全部覚えて
正規メンバーに途中から入れてもらったという
有名なエピソードがあるんだけど


これが全てを象徴してる気がするんだよね。
なんでこの子達が選抜に入れない干されなのかとか
なんか全ての答えがここにあるような。

総監督のたかみなの
「努力は必ず報われる」的な言説で
努力の意味って何だろうという議論が喧しいけど

人の能力なんてのはそうそう違いがくっきりとしてるものでもなく
そんな中で何をアピールしていくのかって言うと
ざっくりいって
上から与えられた課題を投げ出さないでやり遂げる
これが最初のスタートラインに立つ為の
切符を手に入れる方法なんじゃないかと。

その能力を持っているということよりも
その事実(現実)を知ってるかどうかで
いろんな事が変わるんだろう。

人間ってすごく弱いから易きに流れる。
ほっといたら誰でもさぼるんだよ。
自己を律して常に上に上にと向上心があるほうが
気持ち悪いわ。

だけど、投げ出したり途中でやめたりしないで
最後までやり遂げる事によって
そこから先のドアが開いて
いろんな可能性が広がるんだろうなと。


私がその事を漠然とだけど肌感覚で知ったのは
中学受験勉強の塾で出されたありえない量の宿題という
課題をやりとげた時。
そこでそれになんとなく気がついたわけ。

10歳くらいの子供には
なんでこんなに死ぬ気で勉強しないといかんのか
あんまりよくわからなかった。
勉強なんかしないで一日中好きな本を読んでいたかったし
独りきままに考え事をしていたかった。
そっちのほうが楽しそうだったんだもん。

だけどなんか偶然超選抜クラスに放り込まれたおかげで
与えられた課題は死ぬ気でやり遂げておけ
とにかく話はそこからなんだと身にしみて解ったわけだ。

みんな当たり前にさらっとやるなかで、
その上での競争なんだから、
無茶苦茶厳しいんだってことを
私は確実に10歳位で知ったんだよね。

いい悪いは置いといて
何かしら結果を出したいと思ってるなら
それが厳しい現実だったのだ。

そしていまAKBの番組を見て思った事。

どんなに才能に恵まれていたとしても
出された課題をやりとげる能力を持ってなかったら
どんなにいいチャンスが来ても掴めない。
ということ。

そういう意味では
中学受験って何の意味や意義があったんだろうと
ふと考えたときに、
結構その後の人生のいろんなことへの
取り組み方の貯蓄になってるじゃないかと





Nカバンで有名なあの塾で学んだ、出された課題を投げ出さずに最後までやりとげるということ、ーAKBの干されは何故干されなのかーの続きを読む

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サービスですらファストサービスを望む人々=バイネームサービスと実名報道=

2013-02-12 Tue 20:00
この前UPしたブログ記事の続きです。


アマンリゾート
ちょっとサービスにうるさい人間なら
一度や二度はそのホテルチェーンの名前を
聞いたことがあるだろう。
そして、泊まったことがあるという人も少なくないはずだ。

いまやアマンリゾートのサービスは
都市伝説のように語り継がれてる。
あ、都市にあるわけではないから
リゾート伝説か。

ここのサービスに感動して
「奇跡のレストラン」をはじめたという
例のオーナーのウンチク語りは有名だけど。

でもねえ、旅の達人カテゴリーの人たちからは
すこぶる評判が悪いんだよね、アマン。

冬になるとおふらんすの超高級リゾートに
数ヶ月こもる友人は

「怖いのよ、もう行かない!気持ち悪い」といってた。

「あそこ部屋に監視カメラついてるんじゃないかしら?」

と友人は本気で暗い顔をして言ってたけど
具体的に聞いた細かいエピソードは
正直背筋の凍るようなものだった。

いままで行ったホテルの中で
滞在していた数週間全く寛げなかったと
言わしめたそのワーストサービス。

具体的に聞いてびっくりした。
申し訳ないけどそれってサービスの域を超えてないか?
犯罪じゃね?
と一歩間違えば危ないエピソードてんこ盛り。

その怖いエピソードは本人の承諾も取れてないし
プライバシーの問題上ここで書くことは出来ないのだが

ホスピタリティと似非ホスピタリティって
紙一重なんだと思ったね。

「人のコートのポッケに
勝手に物入れるな!」


前回のブログ記事で書いたけど

勝手に人の服のポケットにものを入れていい
それがホスピタリティだぜイエーイ!
と考えてるということは

ズバリ、他人のコートのポッケの中に入ってる物を見てもいいと
勘違いな考えをし出すまでそう距離は遠くないって事です。
(あ、いっちゃった)

こっから先は色々書くと問題が起きそうなので
皆さん勝手に想像してください
あなたの想像力をわたしがとやかく言う権利はないので
ご自由にどうぞ。

さて、
アマンのスタンダードサービスに関しては、
ネットでいくらでも具体例が拾えるので
そっちを書き出してみよう。

まず、有名な名前呼びサービス

ちなみにこれ業界用語で
『バイネーム』と言われてるもの。

(はい、そこのドシロウトさんたち、
知ったかぶりして早速使おうとするんじゃないよ。
今日知った言葉を使ってみたいって
それは単なる子供だからね。
エビデンスエビデンスエビデンスって言ってた
民主党のあの不愉快な女を思い出したわ)


話を元に戻して。
アマンが有名になったきっかけのサービスであるといっても過言ではない
従業員全員が名前を覚えて客を名前で呼ぶバイネームサービス。

有名なエピソードとしては

夜チェックインしてそのまま遅かったので
部屋から出ずにいたのに、
翌朝朝食を取りにレストランに行ったら
ダイニングまで部屋から歩く間にスタッフみんなに
名前を呼ばれて挨拶された!


という話だろう。

初めて泊まったホテルで、初対面の色んな部署の従業員が
自分の名前をいきなり呼んでくれる。

本来ならこのような直接名前を呼ぶサービスと言うのは
有名人、財界VIP、他頻度利用顧客へのみ提供されていた
はずである。

アマンはそれを宿泊者全員にむけてやったのである。

「我々はあなたがどなたかを存じ上げておりますよ」

と、その他大勢のタダの客ではなく、
名前のついた大切なお客様と感じてもらう為に。

でもこれ種あかしをするとだね

チェックインの際に預かった宿泊者のパスポートの顔写真を
ちゃっちゃとコピーし、バックオフィスに貼り出して
従業員全員で名前と顔を暗記する
というキワドい作業からなりたってるんだよね。

どうやって名前を覚えてるんだろ?って真顔で聞かれたことあるのだが
サービス経験の無い人でこれはぱっと想像できる人は
あまり多くないのかね。

アマンマジックなんて言われてるけど
マジックと言う割にはなんてアナログで
なんて愛の無いサービスであろうか。

客が感動するホスピタリティってこういうことなの?

最初はお客様に喜んで頂きたいと思って始めたサービスが
マニュアル化されることで迷走することは本当によくあるんだけど

個人的な周辺情報が無く関係性にエピソードを持たない
ただ名前と顔の暗記に心がこもるとも思えず。

似非ホスピタリティだよねえ、これ。

あなたを知っているという
おもてなしのココロを表現する為に
やりはじめたサービスのはずなのに

そこに「ほんとは知らないのに名前だけ強制暗記」という
血の通わない作業が介入することで
一気にもともとそこに存在していた温かみが消えうせる。

それはホスピタリティでもなんでもないんだよ。
似非ホスピタリティ

バナナじゃなくてバナナの匂いの付いた消しゴムみたいだ。

名前と顔の暗記に目的が移行してしまったサービスが
素晴しいサービスになるとは私には思えないんだよ。

でも皆さんそーゆーバナナよりバナナの匂いがついた消しゴムが
お好きなんですね。
アマンのファンはほんと掃いて捨てるほどいるからな。

で、アマンでは滞在中、利用者からは「事情聴取」と揶揄されてる
スタッフとの会話が必須だそうで。
ここで話をした内容を元に色々と凝ったサービスが繰り出されるらしい。

あーうざい。

この似非ホスピタリティって
維持する為に見境なくなって

事情聴取くらいならいいけど、
ガサ入れとか
現場検証とか
いろいろエスカレートしそう。

ていうか
ここまで書いてずっと思ったんだけどさ

本来個々にカスタマイズされるべきである
スペシャルサービスですらファストサービスを望む人々

がいかに多いかってことだよね。

で、上記の「バイネーム」サービスだって

誰も名前で呼ばれてない中、自分だけ名前で呼んでもらっている
ってのがスペシャルサービスなわけであって
周りにいる全員が名前で呼ばれてたらそれは特別サービスではなく
単に周りと同じサービスを受けてるだけってことにならんのか?
それは特別サービスと言えるのか?

いちげんさんでも常連のようにするっていう
もてなしの心からくるはずのホスピタリティを
勘違いするとこういうアプローチになっちゃうのかみたいな。

でもさ、サービスまでもファストサービスを望んで
それを喜んでる人たちが居るから
成り立ってるってことでしょ。

お客側から名前を覚えてもらう働きかけ無しに
VIPとおなじように名前で呼んでもらうことは
ファストサービスと言わずなんと言えばいいのか?

厳密に言ったら特別でも何でもない
みんなと同じサービスなのに
それでも名前を呼ばれることは
普通の人はそんなに嬉しいの?

ファストフード、ファストファッションときたら
今度はファストサービスかよ!

結局は客がファストサービスを望むから
それを提供するホテルやレストランが
繁盛してるだけの話。

消費者が悪いんだよ。
それをヨシとして金払って儲けさせてんだからさ。

ていうか、
名前を呼ばれるってそんなに嬉しいことなのか?
私にはそこがさっぱりわからんのだよ。

世の中の前提条件がなんだか
無名の個人に名前を与えると言うのは名誉なことで
喜ばしいはずである。
だから名前で呼ぶことは特別にもてなしである。

ってなってて
すっごく違和感。

名前呼びサービスがここまで接客業の間で
受けてると捉えられ、廃れないのは

一生無名で終わるしかない詰まらん人生しか送れない
本来ならば何の価値も無い屑な一般人の
『誰かに知られている自分になりたい願望』を
有料で叶えるサービスが
サービスとして成立してるからだよね?


となると
辻褄が合う事象が丁度この間発生していたではないか。

アルジェリアの人質事件の被害者の実名公表を
迫った間マスコミのことが頭に浮かんだよ。

実名公表をする正当性をヒステリックに叫びまくったマスコミの言い草。
あれ凄かったよね。
私の感覚にはひとかけらも無いことなので正直びっくしした。

「犠牲者を数字で表現するのではなく名前を付けてあげたい」
「名前を出すことが弔いになる」

云々って言ってたよね。

あのマスコミの頭おかしいロジックが非常に興味深かったんだけど。

バイネームサービスが喜ばれるに違いないという傲慢な押し付けって
まさにこのマスコミの
「俺らが報道してやらなかったら、お前らのような無名の虫けらどもの名前が
世間に出ることなんか未来永劫ありえないんだぞ」

という態度と似てるよね。

「一般人が名前を知られるチャンスなんか降って沸いてこないだろ。
それを俺らが大サービスして個々の名前で呼んでやることによって
1人の人間としての存在を認めてやるって言ってんだよ。」


これをサービス業界に当てはめると

「『お客様』ではなく『スズキ様』って呼ぶことによって
無名の淵からおまえごときをひっぱり上げてやるんだ感謝しろ。」


って話なのね。

なるほどなるほど。

人質犠牲者の実名報道の際に
「実名出すことで無念が晴れる」と言った記者がいたそうだけど
それって、死ぬまで無名でいることは不幸なことだって話に
しておかないと整合性が取れないよね。

あれは犠牲になったし死んじゃったし
とっても可哀想なので、名誉の戦死は自動的に二階級特進。
みたいな特別サービスとして
実名を全国紙に載せて、日本国中からバイネームサービスを受ける権利を
与えてやる=褒美を与えよう的な感覚だったんだな。


サービス業界における「バイネーム最強伝説」は
このような

「万人は無名の一般人ではなく名の知られた有名人になりたいはず」

という歪んだ前提条件で成り立ってるわけだ。

で、それをホスピタリティ、おもてなしの心を現す近道として
名前を連呼するんだな。

なんて安い、なんて薄っぺらい、なんて陳腐な
サービスだろうか。

暗記した名前なんて記号と同じじゃないか。
血の通った人間のパーソナリティと結びついて
はじめて名前で意味が出るのに。

だから私は知らないスタッフから
上っ面のホスピタリティを振りかざす為の手段として
暗記した名前で呼ばれるのが嫌いです。

幾重かの交流があって
そこで名前が付与されるからこそ
似非が似非でなくなるのに。


長くなったので分けます。
まだまだ続く。

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死ぬ準備2012年バージョン 流通ジャーナリスト金子哲雄さんの告別式のニュースを見て

2012-10-05 Fri 23:30
流通ジャーナリストの金子哲雄さんが41歳の若さで逝った。

私が最も憧れている『人生早期リタイア制度』を活用したらしい。
いつ募集があったんだろうか?
そういうお得情報は独り占めしないでちゃんと教えて欲しかったわ。

私とは違い、とてもいい人だったと言うことなので
特別に神様からお得情報をゲットしたのね。
天国までの交通費はちゃんと値切ったかしら?

早期リタイア制度って マジでいいなぁ。


さて、ネットには余命を知らされてからの
「死ぬ準備」
に関する金子哲雄さんらしいエピソードが溢れている。

数ヶ月前に覚悟を決め、
すでに墓の場所、葬儀の内容、棺の種類、
祭壇の花、遺影、葬儀後の料理のメニューなど
本人が全て準備して、
トドメはなんと会葬挨拶状まで書いてあったと言うではないか!

すごいぞ金子哲雄(いきなり呼び捨て)


金子哲雄さんの急逝を知り、
真っ先に自分の書いたブログ記事を思い出した。

昨年、死を真近に感じ、東日本大震災、原発事故のあと書いたブログ記事
「死ぬ準備2011バージョン」

その前の、2004年頃にも同じように
死ぬ準備の記事を書いてるのだが、
地震後のあまりに過酷な現実を前にして、
2011年バージョンを書いたのだ。

私もいつも言ってるので聞き飽きたかもだが
死ぬ準備ほど緻密に用意周到に、
きちんとしておかないといかん事はないんじゃないのか

『言うは易し、行うは難し』
代表例がこの死ぬ準備なんだとおもう。

大体、人って自分が思ってるより無茶苦茶弱い。
いざとなると死を受け入れ向き合えるかどうかは、
いかに腹を括って生きてきたか、
どんな生き方をしてきたかに尽きるような気がする

遺言状を書いておけば楽なのに、
誰もそれをやらないのは
残すような財産がないからではないのだ。

多くの人に死と向き合う勇気がないからなのだよ


あの「死ぬ準備2011」記事から一年以上経って、
金子哲雄さんの死に様をこんな形で見せられて、
2012年バージョンに書き換えないといかんなと

でもね、私は2004年の1月に書いた記事
「死ぬ準備」
でも言ってるけど
葬儀というのは残された人達の自己満足だから
残された人たちが納得できることが一番だと思ってるので
そこでの主役は私ではないなと。

もちろん迷った時に確固たる何かがあったらよいと思うけど。

だから妥協策として全権委任を選んだのだ。
周りがつべこべ言ってきても、
代理人が全部決めていいよと故人が言ってるという
印籠を渡してやるのが親切だろうと。

だけど、それじゃあやってきたみんなはSUZUスピリットには
触れられないので面白くないよねってことで

会葬礼状まで自分で書いて準備する

このアイデアは金子さんに倣って頂いてしまおうではないか。

大体私のブログの読者の皆さんは
私の文章が好きで読みにきてる訳だからな、

私からの最期のプレゼントは
やはり文章そのものではないだろうかと思う。

ということで妄想してたらいろいろ思いついた!
香典と引き換えに、アクセスパスワードを渡しますんで、
その場でここに繋いで、パスワード記事に書かれた
会葬礼状を読むとかってイベント面白そうだな。

で、
「こんなところでもまだパスワード配布か!」
と全員に突っ込んでもらいたい、

勿論、外はお約束の雨風嵐で寒いと思うので、
喪服は必要ありません、
ドレスコードは雨具や、長靴です。
喪服禁止ね。

だって喪服だと私が柱の影からこっそりファッションチェックして
その服ダサいって突っ込むことが出来ないので、
ちゃんとここぞというカッコをして来るように。



あ、パスワードをいきなりもらえる人は、
香典が多かった人にして、
香典が少なかった人は会員選抜試験を受けて
パスワードを新たに貰うってのはどうだ?

葬儀中だれも焼香しないでスマホやらタブレットPCと
向き合ってる姿が見えるようです。

てか、葬儀はもう寺とかでする必要ないわね。
でかいWIFI完備の会議室とかでいいかもしれない。

そこで皆一心不乱に試験問題解くの。

それよりもUSTで中継して、だれも現地に来なくても
済む様にするとかか。

ヴァーチャル葬儀。

自分の葬儀を面白くするってのはわくわくします。
いかにみんなを笑わせるか。
涙ではなく爆笑葬儀にしたいね。

そもそも私仏教徒ではないので
寺や坊さんに儲けさせる必要は無いし
よく考えたら『キュイン教』教祖なので
キュイン教式でお葬式しないとだわ。

だったら普通の葬儀するような場所に囚われる必要もないし。
お別れ会と称して飲んで食えって思うわ。

でもねえ。
問題は私のところには早期リタイアの募集が来ないことなんです。
憎まれっ子世に憚るとはよくいったもので、
なかなか天国に呼び戻してもらえない。

多分仲間内では一番長生きするであろうと今から
予知しておきます。

そうなったら120歳美婆魔女をめざすのだ。
めっちゃ子供の数が多かった私の年代。
常に競争に巻き込まれて苦汁をなめたので
120歳まで生きてライバルがいなくなったあと
勝負をかけるのです。
人生のピークは115歳にもってくるつもり。
モテキもそこら辺におねがいしたく。

早期リタイア無理ならば、もうそこ狙うしかないでしょう。
なので、皆さんはきっと私の抱腹絶倒会葬礼状を読めないと思います。



残念でした~。
最後に誰よりもユニークだった金子くん、天国でまた会いましょう。
天国で再会したら合言葉は
「きみんちのマンションのエントランスには○○はある?」
で頼む!w 

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考える旅行記

2012-05-14 Mon 22:45
これはツイッターでツイートしたものをベースに
加筆修正してまとめたものです。
けっこう多くの部分は書き下ろしだよ!


kyuinblog010



世の中には面白い旅行記ってのはなぜ存在しないのだろうか?


どの旅行記を見ても
「朝起きて歯を磨いてご飯食べて寝ました。」的な
単純な行動の羅列ばかり。

知り合いがこれを旅行記の金太郎飴現象と名付けてたけど
本当にその通り。

大体の構成は

- 観光地の有名建造物を撮影した下手くそ画像
- ピン呆けホテルの画像
- 有名レストランで高いもん食ったぞ自慢と
  +色の飛んだ不味そうな食べ物画像
 

その場所に行って嬉しかったのかすら書いていない
そう、個人的な思いの無い
それでいて情報量もなく参考にもならない内容で
ほんとにつまらん旅行記ばかりだ。


今、読者のみなさんの声が聞こえました。

「だって、普通の旅行者はあなたの様にキュインしない。」

普通はあり得ないような経験はせず、
旅を穏やかに終えて帰ってくるからね。

というご意見もあるでしょうが、

何事も起こらなかったから
感想も無いのか?
そんなはずは無いと思うのよね。

旅先で何を思ったのかすら書いてないと言う意味で
とことんつまらん旅行記だと思うんですけどね。

その人の視点が欠落した旅行記ってつまらんだろ。
記録としても無価値だ。


旅行記に観光地としての情報が一切無くても、
行った本人のその地に立った思いとか、
感情とかが記されているほうが面白いと思うんだよな。


バックパッカーのバイブルといわれる
沢木耕太郎の
深夜特急〈1〉香港・マカオ (新潮文庫)深夜特急〈1〉香港・マカオ (新潮文庫)
(1994/03)
沢木 耕太郎

商品詳細を見る
深夜特急が未だに面白いのは

この作品の凄いところは旅行記の形態を取りながらも
一人の人間のいきざまを書いた物語だからなんだよ。

旅に出ると必ず起こる
人種は違えど、人間と人間とのふれあい
思いのぶつかり合いなど
旅行記の中に人生のドラマが沢山あった。

インターネットで知らない人たちの
人生の一ページをそっと共有できるようになった今
残念なことに、無限にあるはずの旅行記なのに
ドラマが感じられるものが極端に少ない。

本当に面白い旅行記が読みたい。


そもそもど素人のクソ記憶力で書かれた旅行の記録なんて
資料として価値ゼロだ。
価値ゼロどころか嘘の情報を書いてあることもあるから
何も書いていないほうがマシというレベルのものまである。

だって、旅先の店の営業時間やアクセス方法の正確なデータなんて
今やネットで直接その店のHPに確認する事が容易。
心配なら安い国際電話で営業を問い合わせるかもしくは
メールでことは足りる。

そうなると一般人の旅行記の存在価値って
記録やデータには無いと言うのが私の結論である。

具体的に言おう。

例えばだ、多くの場合乗った飛行機の便名、
目的地のスリーレターコードすら正確に書けないレベルの
恐ろしく老化した残念な記憶力と、
それを書く前に間違ってるか否かの確認をしようともしない人が、
これ以上雑に出しようが無い情報を書いた旅行記録なんて、
邪魔になる事はあっても資料として役に立つ事なんて無い。
私から言わせれば、その程度の覚書が後の自分の参考資料になるなんて
どあつかましいわ!!!である。

そんなクソ記録書く暇あるんだったら
その地に行った自分の感想位書いとけと思うけど
そういう自己満足記録にはそれすらもない。

何の為にネットにUPして全世界の人が
自由にアクセスできる場所においてあるのか

ただ

ニューヨークに行きましたあ!

といいたかっただけちゃうか?

と胸ぐら掴んでど突き倒したい衝動に駆られる。


そういえば、
読書報告と映画鑑賞の報告も面白いのって無いね。

あえてここで報告と書いてるが、

旅行報告も「行きました楽しかったです。」
読書報告も「読みました感動しました。」
映画見た報告も「面白かった考えさせられました。」

としか書いてない。

どう思ったかが一切ないから私にはとてもつまらなく思える。

小学生に作文指導してた時、
どの学年でもこの
「自分の意見を書こう、思いを書こう」
と指導しないといけなかった。

子供達に何も言わずまず文章を書かせると、
見事に全員起こった事象の羅列をする。

自分で考えてそれを文章にする発想が無いのだ。

何かを考えると言う習慣が一切無いのは
気持ち悪い位にある意味見事だったよ。


そして読書感想文書かせたら
書き方のコツを指導する前はほとんど全員が
読んだ本のあらすじ書くんだよね。
これには思わず爆笑した。


次に「これは感想文ですよ」とヒントいうと、

面白かった、考えさせられた、悲しかったとしか書かない。

そこから膨らませると言う発想が無いのだ。


旅行記をかけない人たちもこのバカガキどもと同じだ。

普段から自分で何かを考える習慣が無いから、
楽しかった、面白かった、考えさせられた
以外の言葉が出てこないのである。

何も考えて無いから
クソ役にも立たない嘘情報と
ブスが厚化粧して誤魔化したような
修正アプリでモノクロにした画像なんかを
たらふく詰め込んだ中身空っぽの
金太郎飴旅行記を作ってイッチョ上がりなのだ。

そんなもん書いてたのしいのか?
楽しいんだろうね。
考える力の無い脳みその弱い人たちだもん。

さて、
私もけっこうこのブログでも言ってるけど、
自分の覚書の為にブログとか書いてるんだよって言う人。
だったら何故、不特定多数アクセス出来るネット上に書くのか?
それは誰かに見せる為でしょ。

嘘ついちゃダメです。

カッコつけて「自分の覚書なんです。」とか逃げないように

そんなこという人は嘘つきです。
閻魔様に舌抜かれるよ。

だってもし人に見られることを前提にしてないのなら、
ワードで書いて自分のPCに保存しておけば良いではないか
別にネットで書く必要は無い。
モット言えば小学校この頃鍵付きの日記帳が流行ったけど
あれ買って来てチマチマ書いて家の本棚に隠しておけばよい。

正直にいえよ
なんでネットで誰でもアクセス可能にしてるとこに
その旅行記アップしてんの?って話よ。

ネットに書くということは
無意識でも誰かに見られることを前提に書いてるはずだ。


ここからはあくまで自己分析ですが、
そこにはやはり、自己顕示欲(自慢)だったり、
承認欲求だったり、共感を求めてたりと、
人に見せることを前提とした複雑な思いがある。


自分の覚書と言う目的だけならば、
鍵つき日記帳というアナログはありえないにしろ
ドキュメントにして自分のPC上で管理すりゃいいのだ
わざわざネットワークに載せる必要はない。


で、言いたいのは

自慢結構、承認欲求大いに結構。
だけどそれに付き合った読者に是非一緒に何か考えるという
一時が持てるようなあなたの思いを書いてほしい。

おいしかった。楽しかった。上辺だけの感想ではなく

腹が立ったこと。悲しかったこと。
強く思いをはせたこと。
その国に対して思ったこと

一つだけでいいから
あなたのその年のその日のその時間
感じたことを書いてみてほしいと思う。

自分の覚書、大いに結構。
でもそれは後に全く無駄になるであろう
旅先の生ものである情報ではなくて
自分の心の覚書であるほうが
何十倍も後で読み返したときの自分への価値が
上がると思うんだよね。

人のためではなく自分の為に旅行記を書こうよ。


その時の心の動きや感情がよみがえってきて
十年前の自分の気分や空気が読み取れたら
それは本当に自分の覚書になると思うんだよね。


さて、これを読んだ人たちよ
私に面白い旅行記があったらこっそり教えてください。
楽しみに待ってます。





kyuin信者はこれを読めSUZUブログ十選 | コメント:8 | top▲
あなたの隣人を愛せよ

2012-02-07 Tue 02:24
長らく放置しすぎて
ブログの書き方が解らなくなってしまいましたが
ついったーに細切れでつぶやいてることを
ちゃんとまとめたらブログ記事にできるじゃないか!
って事で実験としてまとめて記事にしてみました。

どっかの手抜きブログのように
ついったーの完全コピペってわけではなく
ツイートで言いたかったことを
文字数制限無く書きなおすって感じですが

飽きなければ
ツイートまとめシリーズとして
きっと気まぐれに更新されるでしょう。

それにしても、FC2ったら記事毎に有料記事にするか否か
その値段をいくらに設定するかまでできるようになってて
びっくりしたわ。
会員制度はやめて有料記事書いて売ってみるかー



===

あなたの隣人を愛せよ
有名な聖書の言葉だが、
どうも私は隣人に愛されすぎる傾向があるようだ。


私がここでいう隣人とは
機内で隣に座ることになった
見ず知らずのガイジンのオジサンのことを指す。


独りで飛行機に乗る機会の多い私、

最近のビジネスクラスは大抵ソロシートと呼ばれる
画像参照:CXビジネスクラス
CXSOLOC01

1人がけのシートが並んでるものが多くはなってはきたが、

ビジネスクラスごときではまだまだソロじゃない
普通の2人がけシートも沢山運行しているのだ。

画像参照:ANAビジネスクラス
ANAC01

で、ツイン型シートの場合隣が彼氏、旦那、友人、ならハッピーなんだけど
一人旅だと見ず知らずの人が横に座ることになる。

そりゃ空いていれば自由に席を移動したり
隣が空席ということもあるけど
そううまくはいかない。
キュイン体質なのかなんなのか
そのコンパートメント私以外全員隣が空席なのに
私の隣にだけ人が来るとかってのはもう日常茶飯事。

昔は隣席ブロックという技も使えたけど
最近皆がやるようになってリクエストを受けてくれない
会社も多くなった。

その上、ありがたいんだか迷惑なんだか
ビジネスクラスのシートはライフラット、もしくはフルフラットも多く
ベッドに限りなく近くになるんで

画像参照:UAビジネスクラス
UAC01

パーテーションがあるとはいえ
見ず知らずのガイジンのオジサンと一晩を共にしてしまった感じになる。

見ず知らずの男女が一夜を共にして、翌朝連絡先を交換したり
食事の約束をしたりするのは間違っているとは思わんのだが
機内となると事情が違うのだ。

別に愛し合ったわけでも無いし、恋に落ちたわけでもない。
なのに連絡先を聞かれたり、このあと乗り継ぎなのか?
この町に泊まるのか?
泊まるのなら何処なのか

ガイジンのオジサン達は畳み掛けるように質問してくる。

あんまり毎度毎度このループが繰り返されるので
実は大多数の女性が社交辞令としてこのループを繰り返してると
信じて疑わなかったくらいだ。

あ、
ちなみに私、日本人及び日本の街角で
ナンパされたことは一度もございませんのよ。
日本人には人気ゼロなんだろうか?


その証拠にかつて在籍していた会社で
商品として売りに出す為に
旅に特化した英会話の例文を作成した時のことだ

あたしったら
「旅で隣に座った人との会話」ってのを書いて
上司にこっぴどく怒られたことがあるのだ。

私が書いた原稿は

1:搭乗の際の隣席の人との挨拶
2:雑談で多く出そうな話題
3:詳しい旅程
4:別れ際のアドレスの交換
5:食事の約束

で構成されており

それを読んだ米人の上司(女)が

「あなたねえ、アメリカ人は他愛の無い話はするけど、
それで終わりよ、たかが隣に座ったくらいで滞在予定教えたり
連絡先なんか交換しないし食事の約束なんか絶対しないわよ。
日本人ってそんなに軽々しく隣の人を食事に誘うの?」

と怒られたのである。


あらま。

毎度毎度連絡先を教えてくれといわれたり
食事に誘われたり
今後の予定を聞かれたりするもんだから

外人の社交辞令というものは女は誘っとけだと思ってました。
ごめんなさい。

友人にその話をして誘われるわよね?と同意を求めたが
「それってラテン男の習性で外人の習性じゃないわよ」
と言われたんだけど

あたしの場合スペイン男にはいきなりプロポーズをされたのと
フランス男にストーカーのように追い掛け回された過去があるので
「ラテン男はそんな食事に誘うとか、連絡先聞くとか
回りくどくないのよ、いきなり結婚してくれって言うのよ」
と力説してみたんだがどうも皆さんそんな経験が無いらしく
同意を得られなかった。

なんで私だけ・・・

さて、押しが強いといえば
過去にはごっつい押しの強いおじさん(中華系米人)が
なんとトランジットの空港ホテルにまでついてきた事もある。

女ひとり旅の基本「自分の身は自分で守る」っていう事もあって
『どうやったら見ず知らずの男に好かれないで済ますか』という
大変めんどくさい研究をしなければならん羽目になった私。

だって、基本女がひとり旅してなんか被害にあったら
「隙を見せた」だの「脇が甘い」だの「女が誘った」だの
女性が被害者であるにもかかわらず被害者の落ち度ってのを
必ず責められるのが世の常だからだ。

極端な話、男に誘われない為には嫌われるのが得策である。
あまりに頻繁に飛行機に乗り
乗るたびになんだかいろんな国の人たちから
食事のお誘いを受けるので
私は機内では非常に機嫌の悪いふりをして搭乗することにしたり。
結構対策を練ってはいるのだが。
油断するとすぐに親しげに話しかけられるので、非常に
困っているのである。

 ちなみに日本人の男性が隣になった場合。

 彼らはナンパしないんだけど
 自分より若い女が同じビジネスクラスに
 座ってるってだけで
 あんまりご機嫌がよろしくありません。

 日本ってこんなに男尊女卑だっけ?って程
 自分の優先順位が高いことだけにこだわります。

 レディーファーストなんてガン無視して
 ドリンク等を私より先に貰う事に命かけます。
 笑えます。

 ですので外資系エアラインでよくあるフリークエント
 ステータスの高い順から機内食チョイスのリクエストを
 聞いていくという儀式があるんですが、
 乗務員は私に聞いてるのに、
 日本人のおやじさんたちは私を押しのけて
 先に希望のメニューを言ったりします。
 


さて、この際なので具体的に私の身に起こる
機内ナンパの流れを折角なので書き記しておこうと思う。

日本人同士で隣に座ったからと見ず知らずのひとと挨拶をする
ってのは習慣としてほとんど無いと思うんだけど
海外で飛行機に乗る場合、隣席のひとには挨拶はするのが礼儀だ
「ハーイ」で終わるのが理想だが
何でかしら無いけど私の場合隣に座ったオジサン(ガイジン)が
必ず色んな話をしてくるのだ、

自分がこの席に座れてとてもラッキーだとか
(あたしにとっちゃアンラッキー、隣に人が来ないほうが快適)

この席になった経緯の解説
(聞いちゃいないし興味も無いよ)

私のピギーを上の棚に載せてあげるから
必ず言ってねとウィンク付き

ウェルカムドリンクが来たら
君は何にする?と余計なお世話をやいてくれて
レディファーストを尊重してるのか
私とタイミングを合わせて乾杯までしてくれる
やさしいガイジンのオジサン達

こんな流れになるのでサービスしてるCAは
あたしたちが夫婦もしくはカップルだと勘違いする有様


で、通常私は周りに気を使う性格なので
相手をわざわざ不快にしたいと思っていないから
つい、こういうガイジンのオジサンに合わせて
しまうのだが、これがどうもいかんらしい。

拒否しない態度=受け入れ可能と勘違いされるみたいなのだ

その場の雰囲気を悪くしたくない一心で
相手に合わせていることが好意と受け止められるらしい。

そりゃニコニコして相手にあわせていれば
「脈あり」とみなされても仕方ない。

で、最後に必ず流れが出来る。

これからどうするんだ?
夕飯は?
何処に泊まるの?

誘っとかないと損とばかりの有様だ。

あーめんどくさい。

私も場数を踏んで来て

「家族とホテルで合流する。」

「主人が迎えに来ます。」

「友達と待ち合わせてる」

等と言ってやんわり断るんだが

じゃあメールアドレスをとなる
大体ガイジンのオジサンが
私にむかって殴り書いたきったねーメモを渡しながら
「なんか困ったことがあったら電話してね!」と言うのである。
そうそう困ったことになんかならんし、
旅先で困ったらあなたではなく年会費払ってる
アメックスに電話するってば!

で、最後にメモに電話番号みたいなものを渡されることが
多いので、こういうのって社交辞令っていうか女性に対して
とりあえず渡すのが礼儀だと思ってんのか?ガイジンと
考えてたんだが

「挨拶ぐらいはするけど、そんな話になったこと無い」

って友にもあっさり言われて
あたしのいつものお約束の流れは
私にしか起こらないキュインだということに気が付いた。

それ以来

 とにかく気に入られないこと
 好かれない事
 興味を抱かれないこと

をモットーに
機内ではとんでもなく嫌な女になることにした。

「ハーイ」と言われても

誰に言ってんの?状態で無視が基本。

ああ心が痛い~
(ええ、私とってもいい人wなので
こういう不機嫌な女ってのに罪悪感ありまくり)

話しかけるなオーラを全開でだしまくり、

これから旅行で楽しい気分でニッコニコしたいのを我慢
出来るだけ不機嫌そうな態度を心がけ

とっつきにくそうな雰囲気をかもし出す。

ああ、ほんと
ほっといて欲しいという願いをかなえるのも一苦労だ。

MDH!


世の中の女性ひとり旅をしてる人が全員この手の
迷惑好意(!)にほとほと疲れ果てていて
その悩みを共有できたらどんなにいいかと思うんだけど。

どうもそうでもないらしい。

私に隙がありすぎるのか。
物欲しそうな女に見えるのか
非常に厄介である。

10代で怖いものなしの頃は
機内で知り合った現地のおぼっちゃま君と
やたら意気投合して仲良くなり
米国滞在中に全日程彼のお世話になって
いろんなところに連れてってもらったり
超楽しかったこともあるんだけど。

もうそんな元気も無いっすよ。

そもそも出会いとか求めてないし
超人見知りだし、
ひとり旅がすきなのは
人に合わせて旅行したくない、
きままな時間を過ごしたいっていう事なんで、


で、色々実験した結果
一番テキメンに話しかけられなかった方法
それは、ぬいぐるみを抱っこして搭乗し
常にぬいぐるみに向かってはなしかけ
ぬいぐるみに機内食をたべさせたりする
電波な女を演じる法

気味悪がられて一切話しかけられなかったぜ。

でもこれ12時間もやるとかなりこっちが疲労するし
普段やりなれない事なのでぬいぐるみの存在を忘れたり
急に普通に戻ってしまったりと
継続が非常に困難だし、
客室乗務員の人たちからちょっとおかしな人認定をされ
警戒されたりするんで損失でかいのだ。

いっそ男装で乗るかとか、
いろいろ考えてみたんだけど

なんか良い方法ありますかね?
なんかあったらアイデアを募集します!


それにしても雑誌には
「どうやったらモテるか」とか「男に告白させる方法」の
特集は組まれるのに
「どうやったら好かれないで済むか」とか
「男に言い寄られない方法」って特集ってないのよね。

みんな困ってないのかしら?
あたしなんかちょっともう勘弁してほしいし
怖いし、ノイローゼになりそうとか
本気で悩んでるんだが

ホテルのレストランでボーっと朝ごはん食べてる時に
話しかけるタイミングを狙って凝視してる
ガイジンのオジサンとかに遭遇すると
もう、ほんと楽しい旅も台無しですからね。

ウザイって言うより身の危険を感じるレベルですから。

それとも皆さんご自身で自慢してらっしゃるよりも
実際は全くモテてないとかなのか?
声かけられちゃってうれしい!って喜べる
単位だとか
声かけられる私ってすごいわ~と自分ラブなのか?

自分ラブってもしや・・・


題名にもした聖書の言葉
『あなたの隣人を愛せよ』

は前後の正式な文はこうだ。

『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』

なるほど!

誰よりも自分ラ~ブになれたら
あたしってやっぱ可愛いからモッテモテ~とか
思えるようになって
自分を愛し、隣席のウザイガイジンのオジサンも愛せるように
心が広くなるんだろうか?


というわけで
暦の上でも春になったことだし
今年の目標は

何はさておきとにかくまず自分ラブ!だな






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『ホンモノだけを選んで生きる』 (「片付けの魔法」こんまりメソッドに足りないものを分析してみた)

2012-01-25 Wed 22:30
2012JANHKG


2012年 旧暦でもやっと年が明けました。

さて久しぶりのブログの記事は年が明けたんで2012年の抱負から。

タイトルにもしましたが

『ホンモノだけを選んで生きる』

これが私の2012年の抱負です。

おわり


とまあ、最近のブログはこんな感じで
じゃあそこから膨らませた話題はないんかい?という
中身の薄っぺらいどころかからっぽの記事が多いよねえ。
え?そこで終わるの?みたいなの多く無いっすか?

なので久々に長文ブログ書いてみようと思います。
だがしかーし、
私、ここ2年ほどツイッターで140文字もあったら
本質的なことにフォーカスすれば言いたいことは言えちまうわって
要するに1000文字じゃぜんぜん足りないとか思ってた
さるさる日記時代が嘘のように
言いたいことなんか140文字で充分じゃね?と思ってるので
長文の書き方をすっかり忘れてしまった。

なのでツイッターで書き散らかしてる自分のツイートをまとめて
大幅な加筆と修正を加えることで大作ブログ記事にしようという
労力エコ作戦で行くことにします。


===

昨年の秋くらいからツイッターの我がタイムラインで大流行だった
こんまり先生の「人生がときめく片付けの魔法」


人生がときめく片づけの魔法人生がときめく片づけの魔法
(2010/12/27)
近藤 麻理恵

商品詳細を見る


注意:これはこの書籍の宣伝ではありません。
何の話題かわからない人へ向けてこのような本と言ってるだけに過ぎません。
最後までこのブログを読んで読むべき本なのか否かを
自分の脳みそできちんと考えて判断してください。


さて、ここからが本題
私がよく嘲笑している「自分の頭で何も考えない阿呆ども」が猫も杓子も
この「こんまりメソッド」をうわっつらだけとりいれて
『ときめくものだけを残す』という方法でモノを整理したらしい。

ま、考えないアホにはぴったりの片付け方法だ。

で、何が起こったか。

数ヶ月たった1月になって散見される
こんまり教の信者になった人たちのつぶやき

メソッドに従ってときめくものだけを残した結果 

『ときめきが薄れちゃって、』
『輝きが半減、』
『ときめいてたはずなのに』
『ときめきが色あせる』

なんでこうなるのか自分でわからないという救いようの無い方々、
もうね、ほんとこの人たちこんまり教に入信する前に
キュイン教の教えを読んだほうがよくってよ!
(片付けの魔法は1470円ですが、あたしの書いたブログ記事はタダですんで。)


この「人生がときめく片付けの魔法」こんまりメソッドって
近藤さんって若いのによくこれに気がついたわねって感心するくらい
無茶苦茶正しいんだけど一番大事なことが一つズボっとぬけてんのよ。

で、その一番大事なことは
あたしが10年以上前に日記サイトで日記をはじめた時から
ずーっと読者の皆さんに耳にタコてか読むから目にタコが出来るくらい
しつっこく言ってること。

パスワード会員制にしたときに特別会員になるための試験問題にも出したから
古参の読者、そしてサファイア会員&ダイヤモンド会員は暗記してなきゃ
もぐりだろお前!くらいのこの教え。

すっごく重要なことなのにタダで公開してるんだから
もうちょっと感謝されてもいいようなもんだけど、
あたしのブログって荒らしは来ても、感謝する人は来ないのよね(なんで?)

というわけで金取れるほど重要なことなんだけど
大盤振る舞いで今日もタダで公開します。

一番大事な事なズボっとぬけおちてるそれは

『世の中にはホンモノとニセモノとどーでもいいものしかない
だから、ホンモノだけを選び取るようにしようよ』



信者さんたちからは「キュイン経典」とすら言われてるほど
あたしゃ何度も何度も何度も書いておりますの、

このこんまりメソッドを使う人たちが感じるときめきが
ちゃんと選んだホンモノに対してときめいてるのか
ニセモノに騙されてときめいちゃってる気がしてるだけなのか

そんなことはこんまり先生知ったこっちゃないでしょうから
こんまりメソッドの落とし穴ではないことは確かです。
そこんとこは読み違えないように。


さて、
なぜこんまり先生の教えに従って
ちゃんと自分が手に持ってときめいたものだけを
あれだけ選りすぐって残したのに、
時間が経ったらときめきが薄らいだり、
輝きが無くなったり、
ときめき自体がなくなっちゃったりするのかって

答えはズバリ、
あなたが今まで手に入れてきたものがあなたにとっての
ホンモノじゃなかった
つまりニセモノもしくはどーでもいいものだったからです。

雑多なものに囲まれて、
そうゴミとかどうでもいいものとかに囲まれて過ごしていた時には、
ニセモノってのは人に良い顔しますんで
使い易い~とかかわいい~とかって相対的にゴミよりは良い感じを
漂わすんですよ。
雑多なものがあるせいで、錯覚を起こし易くなるわけ。

だけど、相対するものを全て捨て去って、それだけを置いたとき
ニセモノの尻尾がでんるんですな。
輝いていたように見えたのはゴミ(捨てたものはゴミでしょ)のなかに
あったからで別にそのものが輝きを放っていたわけではない。

そして輝きが色あせるもう一つの大きな原因、それは

自分の好みやときめきの基準が実は誰か他の人の価値観である場合

そうです、
わかりやすい例をあげましょう

例えば、ステマ(ステルスマーケティング)にひっかかって
愛読してるブログでステキ憧れブロガーさんがオススメしてたから
欲しくなって買っちゃった。
これを持てばあのステキブロガーさんみたいになれるかも~
で手に入れた「あのブロガーさんのときめきの品々」

誘われて行ったパーティーで売られてて
みんながかわいいかわいいと買ってたので
ときめくような気がしてついつい買ってしまったものー。
(着物から宝石まで、集団に流されがちなひとの性質を使った
古典的な物を売る方法で、21世紀なのにまだこんなことやってるとは
いい加減古くさいんだがやってるんだな。)

それほんとにあなたの好きなものですか?


ときめいた気分になったのは
自分の価値観ではなく人の価値観が乗り移ってただけ


そりゃ、ゴミと一緒に置いといたときは輝いてても
一掃したらそんなもん輝くはずもありませんな。
ホンモノを選んでこなかった自分が悪いんです。
自業自得。

ときめく物だけを残すって行為って
実は凄く残酷な現実を見なければならない
ことになるかもしれないんだよね。

自分が自分のすきなモノやコトを解ってなかった場合、
ステマにひっかかったり、
他人の好きな物を好きだと錯覚して購入して
ほんとは好きでもなかったモノと一緒に生活してきた事が
目の前に見える結果として日々突きつけられるわけだから

ときめきの錯覚を突きつけられるってのも
なかなかの体験だと思いますが。

残したものがほんとにときめくものたちで
それらを好きで愛していたかどうかって
ゴミの中での相対評価ではごまかせていたかもしれんが
絶対評価になった途端にバレる

ホンモノを選び取って来なかった愚かさに図らずも気がついてしまう
というのは結構悲しいことだと思うのよね。

世の中には気付かずに終われば幸せだったこととか結構あるわけで
気付きが絶対ということも無いと思うんだけど、

ここにきて人生の残り時間がどのくらいなのかって考える機会の多い毎日
明日大地震が来て全てを失うかもしれないし、
自分の命がなくなるかもしれない。
だからこそ
ホンモノだけを選んで生きるっていう考え方はすっごく重要だと思うんだよ。


じゃあ、SUZUさんのおっしゃるホンモノってなんですか?

凄く良く聞かれます。

中には勘違いしてる人が居て
「私はエルメスの本店でしか買い物しませんので、全部ホンモノです。」って
胸を張って言う人も居ます。

あのですね。
ブランド物の贋作だからニセモノとかそーゆー話をしてるんじゃありません。

ブランドの本店にだって堂々と売られているのがニセモノなのです。
その老舗のマークがくっきり刻印されてるからといって私が言うホンモノである
保証なんかどこにもありません。


じゃあホンモノとはいったいどういうものなんでしょうか?

ホンモノを解り易くする為に
じゃあブランド物の本店に堂々と売ってるニセモノは
どんなものか解り易く例を書きましょう。

例えば、ベテランの職人さんが丹精込めて一個完成させるのに
何ヶ月もかかってはっきりいって採算の取れないようなものばっかり作る
昔からの老舗ブランドがあるとします。
もちろんそこはもう経営が傾いてて資金繰りも苦しい。
こういうホンモノを作る老舗ブランド店を買い取って
オーナーが新しくなったとします。

そんなオーナーは金の亡者ですから、ブランドとしては知名度もある、
んじゃここは一般大衆受けする何かアイテムをつくって一儲けするか。
といってそのブランドの魂は入ってない刻印だけ入ったアイテムを
売るかもしれません。

それは残念ですがニセモノです。

老舗店の刻印は入っていて本店に売ってるかもしれませんが
肝心のスピリットが入っていないからニセモノっていうより死骸でしょ。

ここでは便宜上ブランド店にあるニセモノをわかりやすく例にしましたけど。
別に世の中のものが全部老舗ブランド店で構成されてるわけではないので
解り易くするための例だと思ってね。

いまニセモノの例を出したけど、ホンモノってどんなものなのか?

ホンモノと簡単に言うけど。
ホンモノとめぐり合うのがこれほど困難なものはないね。

ホンモノしか買わないし持たないって決めて生きるのって
相当意志が強くないとできないとおもう
ストイックとかとはまた違うし、

そしてホンモノは個人個人で違う。
私にとってホンモノでもあなたにとってはホンモノに成り得ないかもしれない。

ニセモノとどうでもいいものは万人に共通だと思うんだけど。
ホンモノだけはそんなに簡単に姿を現さないし、つかめる物でもない。

ホンモノだけを集めて生活出来たら、
多分私も皆さんもっと違う人生になってると思うのだよ。

それくらいホンモノを見つけることも出会うことも手に入れることも難しい。

だからこそ、意識としてホンモノと生きたいって常に思ってないと
ダメなんだと思う。

ひとつだけホンモノを集めるコツを伝授するとだな、
一事が万事という言葉もあるように
ちょっとでも妥協し始めると人間すぐにとめどなく流されますんで
人もモノもホンモノしかイラネーわ!って
ホンモノ以外は拒絶しますアピールを常にすること、
ニセモノとかどうでもいいものでいいですって言ってると
人もモノも、どうしようもないものしか回りに集まってきません。

どうでもいいって言ってるとどうでもよくなるし

そんな難しいことめんどくさいって思ってる人、だったら最低でも
人に左右されて物を買わなくなる程度の目標ぐらは持って欲しいね。

そしてまだ若くて経験が浅い為に
ときめくものもホンモノもわからないって言う人。

『私これが好き!』って自分が感じるものって、
誰かに影響されて感じるものではなく、
本来自分の奥底から否応なしに湧き上がってくる
もうどうしようもなく押さえ切れない情熱なはず。
それが車だったり絵だったり歌うことだったり、
みんな違うものに感じるその気持ちを大事にしてほしい。

その押さえ切れない湧き上がる気持ちこそが
あなたの好きなものを判断する一番大事な基準になると思うから。


ホンモノって言うから訳わからなくなる人も
心の底からわくわくするような揺さぶられるようなわきあがってくる
すきって気持ちを抱けるモノを
あなたにとってのホンモノって言うんだよって言い換えたら、
私が言ってるホンモノってどういうものかイメージ出来易くなるのかもね。


というわけで
2012年今年のSUZUの抱負は

『ホンモノだけを選んで生きる』

今年の抱負って言うより人生のテーマですけど。



で、さんざんここで取り上げた
こんまり先生の人生がときめく片付けの魔法に関しては
まあ、考えるのめんどくさいひとが脳みそを使わずに片付けるには
とってもいいメソッドなんじゃないでしょうか?という
評価をしておきたいと思います。
メソッドとしては素晴しいのよ、良く出来てる。
問題はこの方法を使う人たちにあって、
ゴミとニセモノとどーでもいいものしか持ってない人達が
家を一生懸命片付けてもねえ。。。。(以下自主規制)







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宇宙飛行士という職業は水戸黄門の印籠なのか?

2010-04-28 Wed 03:00
宇宙開発に興味が無いわけでも。
アンチJAXAなわけでもないんだけど。

『初の日本人ママさん宇宙飛行士』(長い冠だな)の
山崎直子ファミリーが
ヒジョーにひっかかるんだよな。

やたらと強調される『ママさん』宇宙飛行士だからという
最強のエクスキューズの元
子育てを無職のダンナに丸投げして
自分の夢を叶えるために一生懸命って姿勢が
どうも共感できない。

古い考えの人たちからすれば、
子供ほっぽらかして自分の夢を叶えに行くって
ちょっと母親としてどうよという意見が出そうなものだが

もうそこは「宇宙飛行士」というなんだかすごい職業らしい
ということで完全にスルーされちゃってるというか
許されてしまうというか
スゲー極端な話とおもうんだけどね。

どっちかといえば、子育てなんか全くしてないのに
(ダンナが子育て中)
「ママさん」ってそれ産んだだけちゃうか?と
つい突っ込みたくなるんだよね。


結論から言えば山崎直子氏をみていると
日本らしい一つの答えが導き出されてる気がしてならない。

女がいっぱしに働こうと思ったら、
徹底的に仕事に没頭しようと思ったら
嫁的役割の人間が必要だ。と
そんな身も蓋も無い模範解答を白日の元に晒したのが
今回の「ママさん宇宙飛行士」山崎さんなのではないか?


子育てと仕事の両立は出来ないよ
不可能だよ。と
山崎直子さんは世界中に言って見せている。

女が本気で男と対等に働こうと思ったら
子供なんか育ててる場合じゃないって
両立なんか無理なんですって

身を挺して教えてくれてるんじゃないのかと
うがった味方までしてしまう。


山崎直子氏のダンナ選びが賢いところは
とにかくダンナより圧倒的に優秀であるという印籠を持ってることだ。

もし。山崎さんと同じ東大大学院卒のダンナだったら
お互い譲らずに大変なことに成りそうだ。

でも、山崎さんのダンナは誤解を恐れず言うなら幸か不幸か
東大とはまったく格の違うどっからどうみても東大より
相当偏差値のおっこちる大学のそれも学卒である。

勝負にもなりゃしない。

そして年下。

もう、このダンナが山崎さんに真っ向勝負を挑むことなんか出来ない
シチュエーションでの結婚である。


だいたい男というのはほぼ100%
女になんか偉そうなことを言われたくないと
本能的に思ってる生き物なのだ。
従ってそれが唯一可能になる男女の関係というと

「女が年上」ってのは絶対条件であった。

それは男のプライドの救いになるからである。

ああ、年上だしなってことで
諦めが付くということだ。

そして山崎家ではもうひとつトドメに
奥さんが東大大学院卒の宇宙飛行士に選ばれた人
というもう、水戸黄門の印籠もまっさおになって
ひれ伏しそうなわかりやすい
「妻優位」の方式が有る。

これで山崎直子さんはダンナに対して無敵の力を持っているということになる。

どっちが仕事辞めて子育てするかって話になったら
そりゃ、もうダンナさんの選ぶ余地はひとつしかない
だれがどう考えたって、だんなが仕事を辞めて主夫になるしかないだろ。


この夫婦がうまくやってけてる原因はもう乱暴な言い方をすれば
ダンナが東海大だったってことに尽きるんじゃないかとすら思う。


山崎さんの家庭をどうこう槍玉に挙げてるわけではない。
公開されたプロフィールや、専業主夫を売りにして
たびたび家族の様子をビデオに撮って公開する
その流れ出る情報から分析してみると

上記に書いたように

「女が男と対等に働きながら子供を産んで子供を育てるなんてことは
不可能に近いことなのだ」と

思い知らされるだけである。

宇宙飛行士になれる優秀な人材であっても
子育てに手が回らないのである。
何をかいわんやだ。

というわけで

大原麗子が森進一と離婚する際に言った名言
「家庭に男が2人居た」
をふと思い出した。

結局、生物学上は男と女であっても
働くときは男社会の中で対等にポジションを取り
成果を挙げて戦っていくなら、自分で子育てなんて出来ないんだと
いうことである。

金があればALL丸投げの外注で、金で解決
近所の親の余命をむしりとるように使い
自分で育てなくて良い環境を手に入れないとならないのである。

こんな日本で
どうやって少子化を止められるのであろうか?

女が本気で働きたかったら子育ては外注しかないこの国で
行政がそれをきちっとサポートできたときはじめて少子化に
歯止めがかかるような気がする。

だって、
山崎大地さんは既に山崎直子さんの夫であって
ほかのみんなの夫になってくれるわけではない。


子供を産むだけで、育てなくても国民から誉められる仕事なんてのは
いまのところ宇宙飛行士しかないのだ。
激務の看護師さんだって、両立できなきゃ責められる。


仕事もしたい、産みたいひとは今後、宇宙飛行士になると良いだろう

そして自分より年下で、尚且つ
自分の大学の偏差値より圧倒的に低いレベルの大学の男を
つかまえるといい。
いろんな意味で格差ありまくり婚でないと
女が仕事をする大義名分が成り立たないからだ。

男のプライドをズタズタにすることなく
円満に専業主夫に収まってくれる夫を探すには
ターゲットを絞らないといけない。

間違っても男性本人が優秀だったり
対等だったりしてはダメなのだ

自分より何もかも劣ってるからこそ諦めて
子供のご飯を作ったり、おしめをかえたりしてくれるのである。

しかし、結局は女が働きながら子供を産むというのは
そういうことなんだよな。と

あの家族を見て見せ付けられた気がした。




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