結局人生50歩100歩 じゃないかもしれない。

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2016年式画像マーキング 自分の画像だという証明。

2016-10-21 Fri 07:00








ネットでちょっと興味深いニュースがあったので
それを元に思ったことを
書いておこうと思う。

9月の終わり頃流れていたこの話。

格闘ゲームの世界大会で優勝したと嘘をついて
新聞に掲載される netgeek
http://netgeek.biz/archives/83999


ゲーム大会で優勝したと偽ったことが
今日の話の核ではない。

この人が
フランス大会に参加したリアリティを出すために
ネットの旅行画像を盗んで自分の
フェイスブックに貼ってあたかも
フランスの大会に出場してるかのように
周りを騙したって話にちょっと興味を持ったのだ。


これを見て自分の画像の取り扱いも
ゼロ年代とは変わってきたな〜って思ったので
今日は記録として書いておく。


それは画像マーキングの必要性。

画像にあとからつけるスタンプ的なものではなく
現地でその場面を切り取る瞬間に
自分のマーキング的なものを故意に
写り込ませることって大事なのかも
と思い始めたのがちょうど今年2016年



マーキングは
自分が撮影した何よりの証拠。

例えば、あんまり人が持ってない何かを
わざとどこに映りこませることって
究極の画像パクリ防止になるんじゃないか
ってこと。

その珍しいそれは私のだから。
って画像パクられたら文句言える。

(これは諸刃の剣で
それによって個人が特定されるという
危険と隣り合わせではあるが。)

そんなことを考えつつ
例のキラキラ垢を観察して思ったのは
彼らがリアルではない証拠に
何も写ってないのよね私物が。

みなさん見事に画像マーキングがない。

スイートの部屋に荷物ない。
飛行機のファーストの座席の上に何もない
旅先のレストランのテーブル近辺に
バッグの取っ手すら映ってない。
全部宣材画像?どこからもらってきたの?
って感じ。


なので
実験してみました。

以下の画像は
プライベートプール付きのスイートルーム

キラキラ垢にありがちな
行ってもないのに
セレブぶりをアピールするときに
出してくる画像はこんな感じで
リアリティが欠如してる。

201610210204402f7.png

ドアも閉まってるし
お風呂も空っぽ



もう一つはこれ
リアリティを追加

20161021020442ee6.png


どんなリアリティを追加したかというと
ドアを開けて
これは私がわざと風呂の湯をためてる。
実際ずっと入ってるとプール寒かったんで、
風呂のお湯貯めてあったまったの。


お湯をためる時間があるというのが
瞬間を切り取る絵解き的な
自分の部屋だというマーキング。


だってね
世のホテルは泊まらずに、
もしくはスタンダードルーム宿泊なのに
プールスイートをショウルームすることが
出来るのである。
2015年頃に流行ったキラキラ演出するなら
泊まらなくても画像だけ撮ることは可能。

(そんな面倒なことせずに
最初に書いた人のように
ブログとかから画像を盗んで来る
人もいますが。これは画像検索すれば
悪事はバレますね。)


さすがにショウルームの間に
このでかい風呂に
お湯いっぱいためるの不可能よ

スイートについてる
意味不明に大きなバスタブって
お湯ためるの一時間くらいかかったりするんです。

20161021020305f32.jpeg


これが実際に使ってる側からの
リアル。
見る人が見たら意味がわかる。

普段スイート泊まってる人には
お湯がたまってる風呂を見れば
符丁のようにわかるわけです。

2016年はどうリアリティを出すか、
ひねりが重要になってくるわけですが

何かを持って画像を撮影した際に
ネイルアートした自分の爪を写したりすると
リアリティが増すし、
非実在とか言われなくて済むね。

2016100517462699d.jpg



ネットによくいる
本当はおじさんなのに
女子大生を偽ってるとかだと
自分の手を写りこませるわけには
いかんからな。

そして手って肥満かスリムかも
わかってしまうからな。
体型詐称してない証拠にもなります。

そしてこのラバトリーの画像
実はこうやって撮るの
非常に難しいのだ。
わかる人だけわかる。

ってここで思ったね。

偽物側からは本物は永遠にわからないが
本物側からは偽物が一発で見抜ける
ってまさにこれなのだな。と

リアルでそれをやってみると
何が映るか、私にはわかるけど
こたつアカウントでは実際に
やってみるわけではないから
分からんのだなってこと。


例えば、
スイートのデカイ風呂や無駄なジャグジーに
「さて風呂入ろう」って
思ってからが長かったとか
悩まされた経験がないと
リアリティのあるエピソードは書けないし
撮影もできない。



思い起こせば
2006年ごろは画像を撮る時
自分の私物が写らないように
出来るだけ頑張った。

20161021020417c4f.png
シワひとつない、
私物も写り込んでない
ベッドルーム。


何か写ってると現実も一緒に
入り込む感じが嫌だった。
ノイズが入る気がしてたのだ。


でもそこに写り込む物、
それこそがリアリティだったんだけど。

外に出す画像でなくても
後から思い出アルバムとして
自分が見るだけなのに
綺麗な部屋を撮りたくて
チェックインしたら荷物も置かずに
画像撮影してたなーと
懐かしく思った。

でも
10年前の画像を見て
それ私が撮ったのかという証明は
とても難しい。

私物の置いてない部屋は
誰が撮っても同じだからだ。

201610210203030ae.jpeg


10年後の2016年には
私物をどうやってうまく写り込ませて、
画像マーキングするかが
自分の課題になってるなんて
非常に面白いなって思った。


実際2015年くらいからの私は画像撮影の際は
わざといろんなものが写り込んだ状態で
撮るようになった。
10年後に見て記憶が鮮明に蘇るように。

寝起きのベッドとか、
20161021020420f76.png

物が散らばったデスクとか。
20161021020420a08.jpeg

ベッドルームに無造作に置かれた
ラゲージだとか
20161021020419dfc.jpeg

20161021020301cf7.jpeg

飛行機のシート画像に写り込むカバンとか
2016102102030691c.jpeg




それが2016年のトレンドというか
今この瞬間を物と一緒に
切り取りたくなったんだと思う。

Instagramの台頭で画像のトレンドの
流れが変わってるということもある。

綺麗なだけではつまんなくなってて
ちょっとだけ折り目をつけるみたいな。


なのでこのホテルのの画像で
ソファのブランケットがそのままなのは
20161021020303f2f.jpeg

わざとそうやって画像を撮ることに
してるから。


この流れは
スマホを持つすべての人がメディア化して
画像が簡単に撮れるようになった上に
リアルタイムウェブと呼ばれる
今この瞬間をネットに上げて共有する
ということが普通になり
そしてネットにある画像は誰でも拾え、
いろんなボーダーが消えたことに
あるんだと思う。

こんな風に時代が変化したからこそ
電子透かしとかではない、
もっとわかりやすい
マーキングが必要になったってことで
これこそがインターネットの歴史のなかでの
変化と歩みなんだろうなと。
ふと思った。

2026年はどんな画像を撮っているのだろうか。
どんな流れの中にいるのであろうか、
今から10年後の未来に行くのが
楽しみである。



飛行機に関する役に立つ話が
聞きたい方はこちらへどうぞ














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声のボリュームではなくトーンについてのお話。統一地方選のウグイス嬢も子供も同じようにうるさい。

2015-04-22 Wed 17:00
週末に第18回統一地方選を控え、選挙運動が佳境だ。

朝っぱらから選挙カーがキンキンした声で
遠慮会釈なく候補者の名前を叫びまくる、

はっきりいってクソうるさい。
朝早くから金切り声みたいな変な周波数の音で
候補者名を叫ばれても、
投票してしないブラックリストに入れるだけだし
名前を叫べば叫ぶほどうるさいから嫌われるだけだ。
2015年にもなって、候補者名連呼公害で
得票が伸びると本気で思ってるんだろうか。

反感買うだけだと思うんだが、

有権者としては叫び続ける候補者名は
政党と名前を書き留め、今週末の選挙で
間違っても名前を書いてやるもんかと
心に固く誓うしか反撃の方法がない。

かつては選挙の際に候補者名を連呼する人のことを
ウグイス嬢って呼んでいた。

小学生の頃は知り合いの議員に
「大人になったらウグイス嬢になってあげるね」
と約束したぐらい、ウグイス嬢のあの名前の連呼に
なんの嫌悪も持ってなかった。

そもそも公共のアナウンスみたいなものが
ウグイス嬢のような特殊な声でなされていた時代である。

そしてそれからほんの10〜15年くらい前まで
騒音に関しては社会がある程度許容しており
そしてまた寛容だったのではないか。

しかしどこかの時点で社会全体の
音に関するコンセンサスはおおきく変わった。
選挙運動で候補者名を連呼する行為は
いつしか迷惑行為と認定され
忌み嫌われ、ウグイス嬢などという呼び方も
全く聞かなくなった。

大きな音で何かをアピールすることが
時代と合わなくなったんだと思う。

そんなことをつらつら考えてたら
こんなネットの記事が目に入った。

保育所は迷惑施設か 
福岡県古賀市の新設保育所の場合 
反対運動で高さ3メートルの防音壁

#西日本新聞

これを読んでふと、
選挙運動のウグイス嬢による候補者名連呼と
保育所の子供がうるさいから防音壁って話は
なんの繋がりもないようでいて
根底では繋がってるような気がしたのだ。

例えば

選挙で名前を連呼するウグイス嬢の金切り声がうるさい、 
集団になったおばちゃん連中の話し声がうるさいと、
子供が興奮してはしゃいでうるさい、
携帯電話の話声がうるさい。

と感じるのは
全部共通した何かが原因ではないか?と思うのだ

この四つをザックリまとめると
家の固定電話やピンポーンと玄関の呼び鈴が鳴った際に
対応するときに甲高いよそ行きの声を出す
みたいな古い時代の生活習慣というか。
日本の文化の特性というか。

昭和の時代、まだ携帯電話がなかった頃
(今から30年前1985年くらい?)
家にかかってくる電話にでる母の声のトーンって
異常に甲高いよそ行きの声であった事を
思い出した。

そして
よそ行きの甲高い声が良しとされていた象徴としては、
デパガ(エレガ?)とバスガイドね。
その昔はデパートにエレベーターガールというのが居て、
それはそれは頭のてっぺんから抜けるような周波数の声で
おまけに変な調子を付けて売り場案内をしてたのだ。

要するに公共のアナウンス、
それから電話に出ることなどは
そのよそ行きのハイトーンの声を出すという
社会的な合意が取られていた時代であった。

いま「よそ行きの声」というものがあると書いたが
この甲高い声を出す流れがあった事をベースに考えると
なんで日本でだけ携帯電話の通話が
うるさいと言われ公共の場所で禁止されるのか?
という事に一つの答えが出そうである。

そう携帯電話の公共の場所での通話は
おそらく日本でのみ禁止されている
不思議なルールなのである。

それは日本人の電話の声のトーンが不快な音すぎて
迷惑領域になってるからだと思われる。

具体的に言うと
新幹線で電話が鳴ると急いでデッキに移動しながら
電話に出る人がいるが
観察するととても面白い。
全員声のトーンが3オクターブくらい上がるのである、
(自分調べ)
すわっ林家パー子か?と思うくらいの
頭のてっぺんから超音波のような声を出すのである。

それまで、その人は隣の人と静かに話をしており
特にうるさくはなかった。
しかし電話に答えた途端ものすごい周波数の声が
車内に響き渡る。

これは声が大きいのではない
不快に思うのはこの声のトーンなのだ。
ボリュームとは明らかに違う。

もしかすると日本人は電話で話すときに無意識に
ものすごいハイトーンで話すという
習慣が刷り込まれちゃってるんではないか。

実は世界中いろんな場所に行って観察してみると
様々な国の様々な人たちが集まる空港のラウンジや、
飛行機に搭乗してからドアクローズまでの間など
みなさん本当に電話好きで通話してるんだけど、
うるさくないんだよね。
これすごく不思議に思ってた。
何か違うのか。

隣の同行者と会話をするというトーンで
電話の会話もなされるので
特に迷惑に思った事はない。

鍵は声のボリュームではなくトーンにある
という事に気がついてなるほどと
すべての疑問が解けた。

で、音がうるさいと人が感じる時ってのは
実はボリュームよりトーンなのではないか?と
思った時に、
なんで子供の声って不快なのであろうとおもったけど
やっぱりボリュームではなく
子ども独特の声のトーンなのでは?考えた。

そりゃ、朝から夕方まで
声のトーンがめちゃめちゃ高い騒音を聞かされたら
神経は参ると思う。

新幹線の中での携帯電話の声をうるさいとおもったり
集団でいるおばちゃんらをうるさいとおもったり
選挙カーのウグイス嬢がうるさいのとおもうのと
同じように保育園の子供の声もうるさいものはうるさいのだ。

それを子供が出してるから我慢するべき騒音とするのは
非常に危ういと思う。
良い騒音と悪い騒音なんてないのだ。
おばちゃんの声でも子供の声でも
うるさいものはうるさいのだ。

音を出す方のコントロールが難しいなら
その音に悩まされない対策をするしかない。

その対策に対してけしからんというのは
なんか違うと思うのよね。

ここで考えるべきは
子供の声をうるさく思うのがけしからんって方向に
話を持っていっても誰も幸せになれないってこと。
じゃあどうするのが、

それはやっぱり
まずは大人がよそ行きの声のトーンをあげるという
間違った習慣をまずやめてみようかってところから、
選挙活動してるウグイス嬢も是非
「朝からお騒がせしてすみません」といいつつ
金切り声に近い甲高い声で候補者の名前を連呼するのではなく
3段階くらいいまより声のトーンを落として
候補者の名前を言うように心がけてみてはどうか?

そして、いま子育てをしてる人は
子供に声のボリュームやトーンをコントロールできるように
丁寧に手本を示して教えることだと思う。

世の中が変わるのはすべて何かの一歩から

だったら、お互いにできることからってことで
今日から私も心してなるべく低いバリトンボイスで
外での会話をしてみようと思ったのでした。


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過去と未来と現在と。

2015-04-14 Tue 22:00
SUZUブログのファンの皆さんお久しぶりです。
一年ぶりかな。

唐突に再開。

ツイッターのハッシュタグでこんなものが流れてきた。

#もしも5年前の自分に30秒だけ会えたら

これを見て、はてさて五年前の自分ってどんなことを考え
どんなブログを書いていたのだろうか?と
五年前って2010年、東日本大震災も起こってなかったし
原発も止まってなかったのだよね。

五年前の2010年4月に「女が男と対等に仕事をする場合子育ては出来ない」と
ママさん宇宙飛行士と持て囃されていた山崎さんを例に挙げ
はっきりブログに書いておったのだが。

宇宙飛行士という職業は水戸黄門の印籠なのか?

とこうやって五年前に自分が何を考えてどんなブログを書いていたか
読むのは結構面白い。

で、五年前の自分に30秒会えたら何というかってよりも
五年後2020年の自分が五年前2015年の自分に何かを言うなら
って仮定したほうが面白そうなので考えてみた。
そして
「ブログ書いとけ」って言うだろうなと。

いつも思うのだ。
未来から見たら、今こそがその過去なのだ。
だったら、十年後の自分が何ていうのか考えながら
今の選択肢を選んだらいい。

だって、今こそが未来の自分を作るパーツなんだから。

過去を悔やんでももう取り返しがつかないんだから
未来をどうにかするために今を積み上げたら
未来の自分に褒めてもらえるんじゃなかろうかと思ってる

実際今まで自分自身の転機に思い切った決断をしたことで
「よく決断したね、その決断は正しかったよ」と
言える自分なので、
(もちろん細かい失敗あるけど、そんなことより
転機で大きな決断が出来たかどうかのほうが重要)
余計に十年後の自分が何て言ってくれるか、五年後の自分が
何て言ってくれるかを考えるのである。

という訳で五年後の自分から言われたので
ブログ書きました。
私にしては短いけど超忙しいのに書いた。

いやーでも忙しい時はツイッターしか書けないのだよ。
あれは細切れの時間で瞬発力でかける。
ブログは色々調べる必要がある、
この記事なんか山崎直子さんの現在について
調べてから書いてるもんね
(記事中では山崎さんの現在には全く触れてないが)
ブログは記事の内容に関連した調査に時間がかかるのだよ。

という訳で
ブログの記事が明日以降もアップされるのか
また一年ほっぽらかしになるのか
それはみかん星人のみぞ知るです。

ではまた。

おまけ。
過去には絶対に戻れないからこそ、過去に戻れたらって考えるのは
ファンタジーとしてはとても楽しい。
だからこれは完全におまけなんだけど、

1990年、今から二十五年前の自分に30秒だけ会えるとしたら
なんていうかなってのは前にちょろっと考えたことがある。
何て言うかは決めていて。
「二十五年後の日本ではJALが一回潰れて、ANAがナショナルフラッグキャリアに
なりました。天皇陛下はANAの特別機でパラオに行った。」と言うかな。
多分1990年の自分はそれを聞いて未来の全てを悟ると思うので。








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「お金を使う事に対する罪悪感」年度末のニュースまとめ

2014-03-31 Mon 17:00
さて3月最後のブログ記事は
年度末がらみのニュースなどをいくつか
ピックアップして書きたい事を自由に書く方式。


=『笑っていいとも』終了=

今日で32年間の歴史に幕だそうだけど、
お昼に笑っていいともを見る習慣が昔からなかったので特に感慨はない。
タモリも別に他の番組には普通に出続ける訳だしね。
最終回のゲストがビートたけしとか、明石家さんまに電話とか
芸能界の大物が集ったみたいだけど(←みてない)
たけしとさんまって「折れた地表金属」←凄い誤変換
「オレたちひょうきん族」のコンビだよね。
そっちのほうが感慨深かったわ。

そして局は違うがご長寿番組『徹子の部屋』が
正午枠に移動してくるらしいんだが、
黒柳徹子もそうだけど、長老芸能人が席を空けないので
ここでもうまく世代交代出来ない問題が発生してるような。

芸能界のいつもの高齢化問題とでも言おうか。
それにしても徹子の部屋もいつまでやるんだろう、
多分生きてる限りだろうし、徹子元気だからな。
きっと私より長生きしそう
というわけで、笑っていいともが終了より
黒柳徹子がどれだけ長生き記録を延ばすかのほうが
興味あったりして。


=AKB48大島優子の今後=

さて、世代交代と言えばAKB48
3月30日に国立競技場で行われる筈だった
大島優子の卒業セレモニーが暴風雨で中止とな。

この子ってとことんAKB内では不遇だったよね。
例のプロデューサーに好かれていなかったのか
干されとはまた違う不遇っぷりというか
徹底的に贔屓されていた前田敦子とのコントラストが
何とも言えなかったんだけど、
天候にまで好かれてないとは。可哀想に。

なので常に不遇の大島優子の今後について
考えてたんだけど、子役上がりで意外と芸歴長いから。
私の予測では前田敦子より生き残る気がするんだな。

未だ秋元康プロデュースの世界観で動く前田敦子よりも
大島優子が作品を選ばなければ
重宝がられて残っていくような気がする。

前田敦子って安く売らないという方針にしすぎなんだよ。
お前そんなお高い女だったか?っていうのあるじゃない?
立ち位置ちがくない?みたいな。
ディスカウントショップに売ってるような大量生産のワンピースを、
日本橋三越に持ってきて売ろうとするだけでも無謀なのに、
なんと特選婦人服売り場に置こうとするって
やっぱり流石にド厚かましいって思うんだよね。

そもそも老舗デパートで売って貰おうと考えるのが
図々しい勘違いなんじゃないかと。
プロデューサーのお気に入りだから老舗デパートで
売ってみたいって気持ちはわからんでもないが、
ディスカウントショップの製品である
ということは変えられない事実だしね。

というわけで大島優子の場合は
ディスカウントショップ取り扱いの安くて
品質のたいして良くない洋服だと自覚して
ちゃんと売る場所を間違えなかったら
いけるんじゃないかとおもう。
全ては需要と供給だから。



=消費増税前の駆け込み需要=

普段は「お金を使うこと」に罪悪感を持ってる人たちが
一斉に「いま買っていい!」という大義名分を与えられて
気がふれちゃってる感じに見える、
日頃そんなに抑圧されてるのか?と
全く関係ない私が心配になる位。

でもこの国民の「お金を使う事に対する罪悪感」って
結構根深いんだよね。
戦前から戦後にかけての貧乏だった時代のトラウマが
相当きつかったのかなんなのか
お金を使う事に対してPTSDなのかと心配になるほど
普段は病気レベルのケチケチ至上主義というか、
まだ使える、何かに使える、きっと使える
って買い替えるべき物を買い替えない人々の多さ。
これがここに来て、値上がりすると勿体ないと言って
とにかく買い貯め買い貯め
これはやはり「誰かに許可してもらえないと買えない」
病の一種なんだとおもう。

今回は日本政府と安倍チャンが
清水ジャンプしたいけど出来ない人の
背中をオシテオシテ押しまくった印象。
アベノミクスばんざーい!

んで
丁度ネットに落ちてたこの毎日新聞の記事にも
かなりびっくりしたよ。

毎日新聞:消費増税:ラップ3年分…駆け込み需要、日用品に波及


大手スーパーで日用品の大人買いを越える男気買い 
を勧めてるとかで、煽るなよとおもうんだけど。
入浴剤1年分、ラップ3年分、とかまとめて買えるように
って書いてあってほんとあきれ果てた。

ラップ3年分?
海外引っ越しする場合以外ラップのまとめ買いは
日本のラップの質の良さからして必需品だとはおもうけど、
3年分のラップって一体何本なんだろう。
ちなみに記事には60本って書いてあった。
60本分浮かせた金額より、ストックする場所を確保するほうが
無駄な気がするけど、違うのか?

なんかこういう無駄がワカラン人々って想像だけど
家が汚そうだよね。汚屋敷住人って感じ。
異常に物に執着して溜め込んで、
何を溜め込んでるかをデータベース化できてないから
また同じ物を買い込むみたいな
非常に倹約とはほど遠い生活をしてる感じ。
あくまで予測分析だけどね。


ここ1ヶ月くらいで消費増税を見込んだ駆け込み消費は
壊滅的に頭弱い人たちの消費活動が観察出来るので
かなり興味深くはある。

トドメは100円ショップがごった返してるのを見て
ほんとこの人達って大丈夫なのかなと。
算数が出来ないって言うのは色んな意味で
生活を面倒臭くしちまってるよな。とおもったりして。

いつも思うけど、
小学校の時に足し算引き算かけ算割り算を
一生懸命勉強しといて良かった。と
こういうときにしみじみ思うのであった。


=インチキだった空間除菌グッズ=

時事通信「空間除菌グッズ」根拠なし=17社に措置命令-消費者庁


いやー、これ
発売になってすぐ薬局で見た時に、
ありえねえ。
こんなのに騙されて買う人居るのか?
と思ってたらあれよあれよと言う間に色んな場所で
見かけるようになって、
っえええええ
と思ってたんだよね。

置くだけでインフルエンザ菌が防げるとかいうニュアンスの
うたい文句読んだだけで怪しいと思うだろ、逆効果だろ
っておもってたのはどうも私だけだったようで
かなり売れたらしい。
薬局の店員とか恥ずかしげも無く首からぶら下げてるし。
お店とかに置いてあるのをみるにつけ

┐(´~`;)┌

こんな絵文字の気分だった。
まさに時代遅れも甚だしいが絵文字を使うに値する事案というか。

これが置いてる家とか店とか、
これをあろうことか首からぶら下げてる人って
ものすごく頭が弱いサインだと思ってたよ。

詐欺師があの家だませるっていう勧誘の目印に
なにかマークを玄関先に書いておくみたいな話を
昔聞いた事があるんだけど、
これを喜んで使ってる人をカモにすれば、
詐欺師の人は色々うまく騙せそうだよねー
やっぱ人を騙すのってチョロいなと
とにかくこの空間除菌関連グッズを見るたびに
思ってた訳だけど

やっと「意味ないよ」と消費者庁の指導も出た事だし
大きな声で言えます。

「バカじゃないの?」
(あースッキリ)

で、何でコレが最初からインチキだろって思ってたか?
それはちゃんと小学生の時理科を勉強したからです。
考え方を応用すればこのグッズの原理を読んだ時点で
ありえなくない???ってなるはずなのよ。
さっきもいったけど、小学校で習う色んな事って
大人になってそれはどうなのか?を判断するベース
だからさ。バカにしたもんじゃないと
いつも思う訳だ。
ほんと勉強って無駄になる事なんか一つもないし
こういう騙しも回避出来るので
生活する上で役に立つ事ばっかりだな。

あー小学校に行っといてほんと良かったよ。



=羽田空港の夏時間にあわせたダイヤ改正で大幅増便=

成田空港との絡みで昼間の欧米線開設が制限されてた訳だけど
やっと羽田空港が昼間に国際線を飛ばせるようになったというお話。


この昼間枠はどうかんがえてもドル箱路線になるので
日本航空と全日空で傾斜配分でもめたりと紆余曲折合った訳だが
全日空一人勝ちで配分を勝ち取って開始される昼間運用。
さてどうなることやら。

順次成田空港を縮小して羽田空港にスイッチする方向で
お願いしたい、ほんと成田空港って要らん。
あそこはLCCを集約する地方空港として
活用してやればよろしい。

後は羽田空港へのアクセスの抜本的な改善が必要。
モノレールと京急じゃ旅に行く気分が出ないし
荷物もって乗るのに不便。

かといって、沖合に移動しきった羽田空港まで
時間の読めない上に高いタクシーを気にせず使う層って
限られるとおもうのよね。
(定額制ではあるがそれでも渋谷から羽田1万円って
乗る時に一瞬ためらう金額だから使わないもん)

そして24時間離発着に合わせて早朝でも夜中でも
羽田空港から行き来出来るようにしないといかんよ。

利用客の利便性をちゃんと考えて
香港のように町の中心部でチェックイン出来て
バゲージが預けられるようなシステムの整備。
(TCATの二の舞にならんように場所を良く考えること)

観光客達が手ぶらになって、ホテルをチェックアウトした後も
羽田空港と繁華街の近さゆえ、遊び倒せるようにするとか。

東京オリンピックまでにほんとなんとかしないとね。
山のように改善する箇所があるんだけど
ちゃんとしないと間に合わないような気がするんだよね、
大丈夫かな?

そして私の今の一番の不満は
羽田空港発着の各エアラインの運行機材が悪いこと。

地方空港の一個に埋没しちゃってて魅力ないんだわ
早く成田を捨てて羽田にいい機材持ってこないとね。

いまんとこ、羽田から海外へ行くのは近くて良いんだけど
とにかく盛り上がりに欠けるのだよ、

というわけで、羽田空港が早く東京から世界への玄関として
ふさわしいイケてる空港に戻ってくれることを、
あのかつての羽田空港の空の玄関だった時代の
子供心に抱いたワクワク感を取り戻すことを
願ってやみません。


===
2014年3月分のブログ書き自分ノルマは
達成されたので満足まんぞく!

「お金を使う事に対する罪悪感」年度末のニュースまとめの続きを読む

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「人間の愚かさを愛せ・・・ここ最近のニュースについて言いたい事まとめ」

2014-03-20 Thu 16:30
今日あたりはブログを書かないといかんのだが、
いろいろな事が起こりすぎて
その一つ一つが重すぎて何を書いていいか
とっちらかって書けないんだわよ。


もう下書きなしの今を書いてみるのもいいかも

いつも私のブログはもの凄く手間暇かけて書いてるんでね。
準備や調べや確認に時間が取れないと
記事が完成しないのだよ。

上記にも書いたように
ほんと一週間でいろんなことが起こりすぎて
ニュースがどんどん古くなっていくんだもん
その日に言及出来なかったらもう
古くなっちゃうんだよね。
 
 マレーシア航空370便行方不明事件
 STAP細胞非実在、データ捏造事件
 偽ベートーベンの謝罪記者会見
 理化学研究所の言い訳会見
 スカイマークミニスカ制服問題
 ベビーシッター問題
 週刊文春 乱倫な研究室問題


それぞれのトピックには
リアルタイムにツイッターではちょくちょく言及してるが
ブログと言う長い文章に考えを落とし込むまでは
全然出来てないんだわ。

というわけで

全部のインプレッションを一気書きする。
10年後に見た時に自分が楽しいように書くという
意味でも、起こった事に関して一言だけでも
残しておきたい


マレーシア航空370便行方不明事件

3月20日現在見つかってないMH370
(この時点で豪政府が会見するの待ち)
どこに行っちゃったんだろう、
777が一気丸ごと消えちゃうなんて。
絶望的だけど、飛行機乗りとしては
どうしても帰ってきてほしいので
ラスベガスの飛行機や車を隠すイリュージョンを
してるマジシャンが布を取ったら
時空をさまよってた777が出現とかがいいな。

ちなみに
このニュースを聞いてすぐさまドラマLOST脳の夫は
THE DHARMA INITIATIVEと言い出すわ
挙げ句の果てはバミューダトライアングルに
飲み込まれたんじゃないの?といった・・・
古いよ、歳がバレるよ、と思ってしまった。


STAP細胞非実在、データ捏造事件

コレに関してはもう
「理化学研究所のホントの望みは何なのか?」
に尽きるよ。
あ、これ私の1月31日のブログ記事の題名ね。
あの時点で「ホントの目的は何だよ」って思ってたんで
このサブジェクトにしたのである。

この件については色々思うところあるんで
事が収まったらなんであの記事をどんな気持ちで書いたのか
全部説明しようと思ってる。

偽ベートーベンの謝罪記者会見

一切見てない位ほんとこれ興味無し、
何も言及する気にならん。
強いて言うならほんとみんな不幸物語好きね
一杯のかけそばを思い出した。


理化学研究所の言い訳会見

ニコ動で4時間ぶっ通しで見ちゃった。
かなり興味深かった。
面白かったと言うと日本語的に不適切な表現で
あるが、この件はほんと面白い。目が離せない。
書きたい事は山ほどあるけど
いまの理研はエリートをこじらせちゃってるという印象しか無い。
理研が研究者のあこがれだったのは遠い昔の事になったわな。


スカイマークミニスカ制服問題

膝上15センチの期間限定ミニスカ制服で
下品だとかいろいろ言われてますが
フライトアテンダントのセクシー制服には
一定の需要があるんで(例:シンガポール航空)

もう、スカイマークはお色気系エアラインとして
もういっそ風俗のほうに寄ったらいいのに。

勿論男女同権の世の中
アメリカのアバクロによく居る
上半身裸のイケメンをスカウトして
男性客室乗務員として乗せてほしい。

それかさっきも書いたけど
いっそ風俗化させて
ミニスカでノーパンフライトでも
やってほしいね。
フライトの最中にお触りタイムとか
上半身裸イケメン抱きしめタイムとか

どうせ人なんて愚かなものなのだ
エロけしからんなんて言うのは
ポーズだよポーズ。


中途半端にやるから抗議されるのだよ。
やるならとことんやれ。



ベビーシッター問題

貧困層VS富裕層子育てバトルにも発展してるようだけど、
もうこのブログの古い読者は
耳にタコ状態の
「親になるテストしろ」だよな。

大人側の事情なんてどうでもいいのだ、
とにかく子供優先、子供を守る為に
有資格者しか子供を持てないってしてほしいのだよ。

人なんて愚かなんだから
野放しにしてたら
自分の自由になる子供を
どんな目に遭わすかわからん
今回はベビーシッターが大変な事を
しでかして子供を殺してしまったけど

これがジジババ、近所の人が
やらかさないとは限らないんだよ。
むしろ家族や親戚親兄弟だからこそ
大変な事が内々で処理されてるかも知れないんじゃない?
性的虐待だって、他人からされるより
家族からされる危険の方が大きいという
事実もあるわけだし

だから兎に角親になるのを免許制にすべきなのだ
まずは財力とか、子に衣食住を満足に与えられるか
暴力は振るわないかなどをチェック
免許を持てた人だけ子供を持てる制度にしてほしい

お金無い場合の救済措置として、
成績の良かった者は特待生みたいな扱いで
子育てするのに全額を国の援助が受けられるとか


週刊文春 乱倫な研究室問題

いや面白かったです週刊文春
こういう下衆なアプローチ大好き。
このタイミングでぶっこんでくれる週刊文春好きだわ。

今回驚くべき事に
大きい本屋に週刊文春探しにいったら
週刊誌のコーナーに人だかりが出来て
全員週刊文春を手に取って見てたよ。
もちろん全員同じページ見てた!

複数の本屋をリサーチした結果
どこも同じ現象だった
いくら高尚な振りをしたって結局は
人間愚かなんだよな。

人の不幸が大好き、スキャンダルが好き。

ドラマ「リーガルハイ」の古美門弁護士の名言が
頭の中を回ったね。「愚かさを愛せ」

「スキャンダルなんて下品だ!こんな報道要らない
STAP細胞があるのか無いのかしか興味がわかない!」
なんて言ってる人は
どこまでカッコ付けなんだ?とおもうね
ヒステリックに報道が下品だなんて叫び、
STAPに興味ある振りするなら
自分でSTAP細胞に関して
調べたり専門家の意見を集めりゃいい
問題の論文も自分で読んだら良かろう。
最初に出されたプロトコルと
理研が後だししたプロトコルの致命的な差異に関しても
何が矛盾してるのか自分で調べてみたらどうか?

結局報道に頼ってどっちなの?あるの無いの?って
言ってるんだから同じ穴の狢だろとおもうんだよ

だから聖人君主みたいなことを
いちいち偉そうに表明しなさんな
とおもう。

何か事が起こった場合
全てが繋がってる事が解らないのだとしたら
余計な事言ってインテリ気取りするんじゃない。

愚かな人間がその愚かしさ故にいろんなことを
生み出すんだよ。

世の中のテクノロジーの発展はほとんどエロと軍事で
金が集まった結果なんだからさ

肝心の週刊文春なんだけど
既にネットで読んだ事ある情報のコピペか?と
思うような既視感のある内容も多かったけど、
私は正直STAP細胞には興味ない
背景の人間関係や
なんでそんなことになったのか、
そっちのほうが本当は知りたい。
だって全て感情のある人がやってる事だから。

全ては繋がってるし
理由や原因の無い出来事なんて無いんだから。
背景こそが本質なんだもん。

人の愚かさを観察するのは楽しい。
それは自分の愚かさを省みる一番いい方法だから。

====
というわけで
さらっと書こうと思ったら
結構言いたいことをガンガンかいて
自分で読み返したら結構
面白いブログ記事になった。

たまには下書き無しで
構えず書くのもいいかも。

書いてて楽しかった。




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友達は質より量だと思ってる残念な人たち 「ともだち100人出来るかなの呪縛」プラス

2014-03-07 Fri 17:30
さて、
この前のブログの追記で出したこの問い

問題:友達は量より質な事は判りました。
しかしとても残念な事に
「友達は量より質じゃなくて質より量だ」
と思ってる人たちが存在します。
それはどういう種別の人々でしょうか?


解けましたでしょうか?

答え:
知り合いと言う関係性において
その関係をお金に換えられると
踏んでいる人たちです。

すごーく奥歯に物が挟まった
遠回しな言い方をしてます。

わざとです。

あーまどろっこしい。
具体的に言うとだね。

誰彼構わず、節操無く、会った途端に
「親友」
って軽々しく言う奴は
警戒した方がいいってこと。


そもそもね、「あなたも親友」「私も親友」
なんていい年してやってるのは
ほんとおつむの弱いガキか、
知り合いをとにかく増やして
儲ける種にしようとしてるか
どっちかなのだ。

ある程度の歳を重ねた大人の友人関係において、
本来ならば量より質が重要視されるはず。

にも拘らず、
ただの知り合いから速攻ステップアップを企み
なんだかんだですぐ親友になろうとする
ってよく考えたらちょっと不自然ではないか?

知り合いから友人にステップアップするのだって
そんな簡単ではない筈なのに
短期で信頼関係を築き、親友にまでなるって
そんな簡単?

まあ、シンユウシンユウ言うのはタダなんで
言わせておけばいいんですが、
おいしい話には罠があるのと同じように
何か裏があると考えて間違いないから
厄介なんだよな。

そう、
軽々しく親友の大安売りをする人は
その関係性を使って金儲けしようとしてる人だと
警戒してほぼ間違いないでしょう。

だって、そうでなきゃ
関係性を詰め寄る必要ってそんなに無いでしょ。

その種の人々は、必ずと言っていいほど
量より質ではなく、質より量を求めます。

だって数が力になるから。
知り合いの数=ともだちネットワークの多様性
こそが金儲けに繋がるんだもん。
だからとにかく友人(知り合い)を沢山作ろうとするし
その関係性を縛る上でもより近い関係だと
相手に繰り返し認識させます。
だから彼らは「親友」という言葉を
わざと連呼するんだね。

一度会ったくらいで突然親友って言い出すのは
やっぱりどう考えてもおかしいと
冷静に見られる人はいい。

だけど、歳になると新しい知り合いも
いきなり増えたりしないから、
突如「親友」なんて中学時代に聞いたっきりみたいな
甘美な響きを投げかけられると、
ついつい嬉しくなってしまうのも人情なんだよね。

しかし、これ罠ですから。

誤解を恐れず言うなら詐欺師の手法の王道なんだな
この短期決戦型の人間関係の距離の詰め方。

悪い人が寂しい老人をカモにする方法と
根本は一緒。
引っかからないように。
優しくされたからって信用出来るなんて
そんな簡単じゃないでしょ。

そんな下心がある親友なんて
有り難くもなんともないでしょ。

それは親友じゃないし友人じゃないわ。
知り合いでもない。

カモだよね。カモ

会ってすぐに「親友」とか言い始めたら
兎に角まず警戒するか、
「カモ」とちゃんと変換してみましょう。

「SUZUさんは私の“親友”なの」と紹介されたら
「SUZUさんは私の“カモ”なの」と変換してみる
とても判りやすいよね。

いい年齢になって知り合ったばかりの人が突如
自分を大事な友人だの、親友だの言い出すって
冷静に考えたら変でしょ?

彼らは儲ける為にはまず信用させなきゃならんから
仲良くなるスピードが何よりも大事なので
とにかく距離感を持たせないように
この魔法ワードをすぐ使うんですわ
「あなたは親友」って言ってね
そして懐に飛び込んでくる<フリ>をする。

落ち着いて良く考えたら
普通は知り合いが友人になり、
親友に到達するのって
ある程度の年月がかかるよね?

だからいきなり親友呼ばわりされたら、
心の距離を縮める作戦だから
きっとあなたの何かを搾取しようと
企んでると思って間違いないよ。

中学生以来の「親友」なんて呼んでもらえた!
「わーい」なんて
アホみたいに喜んでないで
きっちり警戒してください

大人でしょ?

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ともだち100人出来るかなの呪い「友達は量より質だ!」

2014-03-05 Wed 19:30
「モラルの価値観」というブログを書いた。

  嫌いだったり許せない事が共有出来るって大事だよね。
  「モラルの価値観について」

   

自分のモラルの価値観を毀損されてまで
付き合わなきゃいかん友人なんか必要ない。
と書いたんだけど

「そんな我を通してたら、友達がどんどん離れていくよ」

と投げつけられましてね。

他にも、
色々なコミュニティに属してると、しがらみがあって
あなたのように嫌われ上等なんて言ってられないんだ
とか

皆さん、自身のモラルの価値観は守りたい思いつつ
出来ない出来ないと、
出来ない理由ばっかり並べ立てて
なんかうざーい。


で、どういう状態で
そんなくだらない考え方になっちゃってるんだ?
と考えてみたんだけど

これってもしかして
「ともだち100人出来るかな」の呪縛
なんじゃないのか?と思ったんだけど

あの歌の歌詞を思い出すと
「いちねんせいになったら、いちねんせいになったら
ともだち100にんできるかな?」
なので
設定年齢は幼稚園年長さんなんだわね。

「小学校に入学したら友達100人作るべき」
みたいな呪縛をなんと5歳児の頃から
私たちはかけられているのである。

本来なら友達のような大事なものは
「量より質」と教えるべきなのであろうが
この歌があるばっかりに
どうも「多数の友人を作る事は善」という刷り込みが
なされてるような気がしてならん。

この歌の刷り込みというか洗脳のせいで
友達は数が多い方がいいのだという
誤った基準を自分の心の中に採用してしまってる人は
多くないか?

そしてその延長線上で
友達が多い人の方が信用できると錯覚してないか?

その基準で考えるから
自分の主義主張を押し殺してでも
誰とでも仲良くするほうが
しがらみもできなくて
人間関係がうまく回るんだ

みたいになってるような気がするんだけど。

その数をキープする為にいじましく
自分の中のモラルの価値観を殺して
合わない誰かと付き合い続ける事って
ホントにいい事なんだろうかね?

友人の数を一定数以上に保つ為に顔色をうかがい
「仲良くして頂く」感覚で友人に接っするなんて
質の悪い集団と手が切れない
「不良に使われるパシリ」の思考

自分の旗幟を鮮明にしたら友達が居なくなる。
一人になってしまう。
なんて、ありもしない妄想だし、
それで卑屈になるなんて自分のことを貶め過ぎだ。

「友達が沢山いるほうが人間として素晴らしい」
という評価基準はそもそも間違っているのだ。

私は誰とでも仲良く出来るような
コウモリみたいな態度を取る奴は
自分の確固たる思いも、揺るがない信念も
主義主張もなーんにもないって事なので
全然魅力を感じない。

程度の低いゴミみたいな関係なら
そんな友人要りません。

そもそもそんなの友人ですら無いとおもうんで
ゴミ箱にポイだ。


友達なんて数の勝負じゃないんだよ
数が多いと自分の信用が上がるなんてことは無い
それより質の悪い友達の数が多かったら
自分の価値も下がるってもんだ。
そんな質の悪い友達しか持てないの?って思うから。


大人になったら余計に
友達こそ量より質にならんといかんのだよ
私は質のいい友人を最低限しか持たないと決めて
厳選すればいいと思ってる。

何故なら自分の友人達の事を誇りに思えるって、
素晴らしい事だと思うから。

そこで出てくるのが
モラルの価値観の共有なのだ。

モラルの価値観は人間関係を築く上で
無視できない要素だと前のブログで書いた。

具体的に言うと、小さな悪事のほうが影響する。
例えば
犬の散歩に行ってフンを放置するとか、
ゴミのポイ捨て、
健康なのに優先席に何も考えず座る等、
ひとつひとつは軽いけど、軽いからこそ、
それすらきちんと出来ないのか?って
思ってしまう。

これがもし大きな悪事、
要するに明確な犯罪行為や法律違反
やらかしたら即警察に逮捕されちゃうような悪い事
例えば
殺人や強盗などであった場合なら
人は拒否の立場を取りやすい、

ここで「殺人なんてあり得ない!」
と強く言ったとしても
「真面目すぎる」
等の批判は周りからも受けにくい。

しかし一転して小さな悪事になると、
「そんな固いこと言うなよ」
「あなた細かいわね」的な圧力がかかる。

きちんとルールに従う人の事を、
真面目だのダサいといって嘲笑する人々が
必ず一定数コミュニティには存在する。

低俗なコミュニティほど
小さな悪事を許容することを勇気があると
肯定的に捉え、
モラルに従うなんてバカだと言われ、
一緒にルールを破ることを
流れで強要されたりする。

どんどんエスカレートして、
真面目だったりルールを守ったりするのは
カッコ悪いという意識に錯覚させる。

そういう目に見えない圧力をかけて
小さな悪事の共犯にする事で
結果的には悪い道に引っ張り込まれてるのだ。

中学生の不良仲間みたいだわね。
でもそれを立派な大人になっても
やらかしてるのは
いい加減恥ずかしい事だと思わなきゃ。

友達は量より質
数が多ければいいってもんじゃない
年を重ねれば重ねるほど
人数ではなく質にシフトしていかなきゃね。


   ↓ ↓ ↓
追記もあります。
ともだち100人出来るかなの呪い「友達は量より質だ!」の続きを読む

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料理の画像を撮る人々のお話。いつからマナーとして撮影アウトになったのか考えてみた。

2014-02-18 Tue 21:00
昨日、こんな記事を見かけた。

「レストランで料理の写真撮るな」、仏シェフたちの怒り(AFP=時事)

レストランで料理の画像を撮影も良かった時代って
とっくに終わったような気がするんだよね。
具体的にどこの時期にアウトになったんだっけな?
とおもって色々考えてたら

ああ、なるほど
って思える答えのようなものを
自分で思い当たったので
今日はそれについて書いてみる。

私の感覚では3年くらい前(2011年)から
食事中の撮影はマナー的にはもうアウトと
感じているんで、自分でもやめてるんだけど
これってなんでアウトって風に思い始めたのかな?
とよく考えてみることにした。

で、具体的に3年前からダメだと
思い始めて自分でやめたのは何故なのかってのを
分析してみた。


問い:いつからダメになったのか?

答え:みんながスマホを持ち出したときからです。



これだけじゃざっくりしすぎてるから
自分なりの考察をここに書いていくけど
読者の方々も一緒に考えてみてほしい。

レストランで料理を撮影するという行為そのものは
10年以上前(ゼロ年代前半)から
ブロガーを中心にごく普通の特にアウトでもない行為だった。

ブログを書いてる人は常時デジカメを持ち歩き
皿一枚一枚を丁寧に撮っていた。

中には写真の知識も腕もない愚か者が
フラッシュをパシャパシャさせて
周りをびっくりさせたり迷惑をかけてる
光景は目にしたが、

私を含め沢山の人たちはブロガーさんたちが
ブログにアップする画像を見て、
散々楽しませてもらったことは事実だ。

実際、私の初期の頃のブログは、
頑張って画像を付けていたし。
デジカメが気軽に使えるようになってからは
喜び勇んで、機内食を撮影したりして
本当に楽しんでいた。

その後2008年くらいからは
ブロガーはブログによりよい鮮明な画像をアップしたがり
より性能のいいデジカメを持つようになったり、
もっと凝るとデジイチのでかいのをレストランに
持参するようになった。

この辺りが第一次撮影迷惑期の始まりである。

デジイチを抱えてくる層は
意外な事にレストラン側に歓迎されていた。
何故なら、無料で奇麗な画像を
ある程度読者のついたブログに挙げてくれ
自慢げに書いてくれるので
いい宣伝になるからである。

この辺りまでは店とデジイチブロガーとは
蜜月だったんじゃないかと思う。

腹立たしいのはお預けさせられて撮影が終わるのまで
食事に手をつけてはいけないと
無言の圧力をかけられる同行者だけであった。

そしてそのころはデジカメやデジイチで撮った画像というのは
大体は撮った事で満足してそのままお蔵入りか
ブログ用にきれいにPhotoshopなどで修正をかけ
ブログにのっけるか?

撮った後に何かするのは
家に帰ってから後日であった。
食事中にするのは単純に撮影だけ。

しかーし、
みんながスマホを持ち出して、
SNS(FacebookやTwitter)が
コミュニケーションの主流になってくる2011年頃から
参考:映画ソーシャルネットワークの日本でのDVDの発売は2011年

リアルタイムウェブという言葉が聞こえてくるようになった、

リアルタイムウェブというのは
ググっていただければ判ると思うが
情報をその瞬間に更新することで
利用者同士が同時に交流するってことね。


そう、ネットのカーストで最大の賞賛を受けるのは
個人が発信する実況中継そのものなのであった。
スマホとFacebookとTwitterのピークが
バシッと合ったからこその流れだと思うんだが。

しかし実況が出来ても、利用者同士同時に
共有する手段が無い場合これは無力化するので、
Connexion by Boeing=機内でネット
(2003年試験運用開始2006年終了)
なんかは
時代のほうが遅くて玉砕したサービスなんだよね。

実用化は早すぎてもいけないし、
おそすぎてもいけないという
判りやすい例ではないか?

これは余談だけど
2004年当時Connexion by Boeingが使えていた時には
私は会員専用のクローズドなチャットページに
機内から現れてファーストクラスから
いわゆるこの実況して共有するみたいな
リアルタイムウェブの原型を使って
ちゃっかり遊んでたんだけど、

これって凄い事だったんだと今更ながら思うわけ。
裾野までスマホを持ったひとが広がり
リアルタイムウェブで大勢が実況がやれるようになるまで
私が最初にやった2004年から
いま2014年だから10年かかってるんだよね。

と、考えると
私がいまこういうのがあったらいいなと
思って今ある状態で工夫に工夫を重ねて苦労して
構築している何かって
10年後は難なく出来るようになると考えると
非常に面白いし楽しみだ、

コンピューターの神様アランケイも言ってるけど
未来を予測する最良の方法は自分で発明してしまう事。
だそうなので

私は発明は出来ないけど、それは世界の頭脳といわれる
専門家にお任せいたしますわ。皆さんよろしく。




さて、話は戻る。
リアルタイムウェブの時代における
ネットカーストで上位の人たちが
ネットに投げる実況中継の中でも

有名な三ツ星レストランで
いま有名シェフの料理を食べている
いまこんな凄いワインを飲んでいると
リアルタイム実況をするという破壊力たるや、

どんな高価なデジイチを持って
いい画像を撮っても太刀打ちできなくなったのだと思う。

スマホについてるカメラの性能なんて
たかが知れている
けれど、その素材がお粗末で
いくらぶれたボケボケ写真であっても

即時性には誰も敵わなかったのである。

降参。



高級三ツ星でなくとも散見されるようになった
リアルタイムウェブを絡めた食事の仕方はこうだ。


料理の撮影
 ↓
アプリで 羨ましく思えるように おいしそうに
画像を 厚化粧 修正
 ↓
TwitterやFacebookへのリアルタイム投稿
 ↓
いざ食べようとすると
スマホがプッシュ通知
 ↓
FacebookやTwitterのアプリ確認
 ↓
メンションへのレス
イイネのコメント返し
 ↓
食べる
 ↓
プッシュ通知
 ↓
ソーシャルネットワークへの返事
 ↓
次の料理がくる
 ↓
撮影
 ↓

以下食べ終わるまで続く。




リアルタイムウェブが絡まない時代は

料理がくる
  ↓
 撮影
  ↓
 食べる
  ↓
料理がくる


と比較的手順はシンプルであった。

しかしここにリアルタイムウェブと
スマホが絡んだ途端に不快指数が
かけ算で増えていった気がする。

だからINからOUTへ移行したのだ
コンボだからダメなのだよ。
撮影だけならそんなでもなかったのに
目の前に居るリアルな人々を置いて
ネットの世界へ食べてる途中にいってしまうから
周りの不快度数が上がるのだ。

昔で言うとテレビを見ながらご飯食べるみたいな
感じですかね。
行儀悪い!

一緒居る人にも配慮が出来ないような
鈍感な人たちが
レストラン側に配慮できる大人だとは
全く思えないし

TPOを無視する人たちは
際限を知らないし、自分で歯止めをかける事も
出来ないから、どんどん嫌われる方向に
傾いて行ってるんだろうなと思う。

かつては自分もブログの為にといって
良く画像を撮影していた手前、
頭ごなしに批判する側に回るのも憚られるし、
画像に楽しませてもらってたのも事実だし。

だけど
何事にも限度って物があるんだよね。
「同行者に迷惑かけないように、急いで撮ればいい」
って言う人もいるけどさ
これならセーフって線引きが出来るほど
状況が読めるなら
撮らない選択も出来る筈なのに
そうならないってことは
やっぱりマナーで縛ってあげないと
判断できない種別の人たちなのではなかろうか?

勿論、時々の状況での例外は沢山ある。

記念日だったり、一生に一回だったり
人には人の数それぞれの事情もある。

だから全部が全部マナー違反だとは全く思わないし
「お前間違ってるマナー違反だ出てけ」
は違うとおもう。

だけどそうかと言って、
「全く問題が無い行為」とOK側に
線引き出来る行為でもない。

非常にグレーだ。

限度というもの、程度があるって話だけど
限度も程度も判断できないところまで
来てるならそれは問題だと思う。





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居場所は誰が作るのか?

2014-02-14 Fri 18:00
居場所って言葉を聞くたびに
疑問に思う事がある。

「居場所ってさ、誰かに作ってもらうものなの?
自ら作るものではないの?
誰かに作ってもらった居場所に居させてもらうには
それ相応の見返りが必要になるんじゃないの?」

その見返りって、居場所と引き換えに
例えば具体的に言うと
労働だったり思想だったりを
もっと言えばお金そのものや人生を
搾取されてしまう事なのではないか?

===
非常に気になる言説を

都知事選の間に聞かされてきたので
なんか危ういものを感じたのが
このブログを書こうと思ったきっかけだ。

具体的に言うと
都知事選で落選した若者代表?の家入一真氏の
今後の政治活動が非常に危うそうなので
ちょっと一言書いておきたい。

家入氏は都知事選の選挙活動中から
ざっくり20文字以内でまとめると
「ぼくらの東京にみんなの居場所を作る」
みたいなことを言い出してた。

で、最後の方はもう下手な新興宗教より
宗教臭が漂っちゃって、
あれ、もしかして、これ
判ってやってる訳ではなく、
無意識に宗教的なものに傾いたのか?と不安になった。

「政治と宗教は違うんですよ。」
いますぐ教育してやれと思ったくらいだ。

とは言え政治とは思想信条そのものなので
宗教と親和性は非常に高いことは否定しないよ。

だからこそ宗教の方向から政治活動をアプローチする
のはとても効率がいいのだ。
弱みに付け込む政治活動は
弱みに付け込む宗教勧誘ととても良く似ている。

それが証拠に新興宗教が一定の信者を獲得した後
社会を変えたいと言い出し、政界に打って出ようとする
既定路線のような経緯を我々は時代の中で、実際の選挙で、
何度も目撃しているではないか。

そんなことをつらつら考えていたら、
コラムニストの小田嶋隆氏が @tako_ashi 
タイミング良くツイッターで面白いことを書いてた。

(クリックすると小田島氏のツイートが見られます)


これを読んで今回の家入氏の
「ぼくらの東京に居場所を作る」
って話って、
組の親分が前科持ちや犯罪を犯した若い衆を
組の構成員にするどころの騒ぎじゃない。
と思ったんだよ。

政治活動のほうが怪しげな新興宗教よりも
入信に良心の呵責が無い分、
言い訳が要らない分
取り扱いに細心の注意を払わないと
非常に危険きわまりないんじゃないか
って思ったのだ。

組に入るのは反社会的行為だというブレーキがかかる。
組で行うことは非合法である可能性が高いからだ。

新興宗教に関しては日本人は地下鉄サリン事件の
ダメージが大きいので、カルトは危ないとか
洗脳や奪還という言葉に代表されるように
信者から金を巻き上げるというイメージまで
刷り込まれてるので、嫌悪感を持つ人も多い。

だから組とか宗教は例えそこに居場所があったとしても
入るには、周りへの言い訳を用意する必要がある。

しかし、この世の中の判断基準って
政治参加の形態を取ると
滅法評価が甘くなってしまう。
もう、手放しに優等生として認知されるのだ

昔不良のイメージで売ってた人や
実際不良だった人や
とんでもないと言われてた人が
政治参加すると
いきなり改心した、だの
大衆の為にご奉公すると
立派な決意をしたんだ
的な過剰に下駄を履かせた評価が下され

何の根拠も無くそれが認められる。



政治参加はいいことだ。
選挙にいこう、
我々の一票が世の中を変えるんだ!

と、政治活動に関しては
何の判定もせずに手放しで
肯定してないだろうか?

だから考えることが苦手な人たちは
政治参加はすばらしいんだ、
それが例えどんな形であっても!全部いい事
という恐ろしい錯覚を起こす。


よく考えておくれよ。
何でもいいわけじゃないんだよ。



いつも言ってるけど
適切でないものは害悪でしかないのだ。


心地いいことを言う政治家や立候補者は
まず疑ってかかっておくれよ。


それこそ偽ベートーベン事件でもわかった通り
作品そのものを判断する力が無いからこそ
その後ろにある物語無駄に感心してしまい、
凄いと錯覚してしまうそんな愚かさを誰しも
持ってることはそれぞれ自覚しなきゃいけない。



今回だって候補者の経歴物語に
「居場所が無かった元引きこもり不登校」
という感動秘話があったからこそ
その人が
「居場所をつくってあげる。」
「だってみんな居場所が無いんだもんね」
と言いだした途端に

夜の蛍光灯に吸い寄せられる蛾のごとく
人とうまく交流できない人たちが
まるで催眠術をかけられたかのように
引き寄せられてしまったのではないか。

くれぐれも甘い言葉にノセられて、
見知らぬ人が用意してくれた居場所を
本来の自分の居るべき場所だ!とか
錯覚しないように
気をつけていただきたい。

うまい話は無いし。
弱ってるときほど人は判断力を欠如し
騙される率があがるんだから。

そして誰かに作ってもらった居場所には
作った人のルールがあって
その人の決めた事が社会のルールを飛び越した
善悪にすらなってしまうことも多いんだから。


誰かの作った居場所に置いていただくのなら、
必ず何かの見返りを期待されるようになる
結局どこで搾取されるかの違いなだけなんだよ。

ブラック企業で搾取されるのも
政治に参加してる錯覚で搾取されるものも
実は奪われてるのはどっちも変わらない
自分自身なんだということ。


誰かが作ってくれる居場所は楽だけど
それは自分のものではない。

心から居場所が欲しいと切望する人ほど
居場所は自分でつくったほうがいい。


居場所を用意してくれるという
甘い言葉をささやく人に
簡単についていっちゃダメだよ。
自分の居場所は自分で作らなきゃ。



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猪瀬氏辞任に伴う都知事選に思う事、若者だって御神輿を担ぎたい?

2014-02-10 Mon 20:30
さて、昨日結果の出た都知事選についてである。
こういう旬な話題は溜まってる書きたい事をすっ飛ばして
割り込み記事として入れねばならないことも
久しぶりにほぼ毎日ブログを書いていて思い出した。

で、
選挙です。
選挙。

都知事選だ。
ざっくり2024年に
これを読んでる私に説明すると
(あ、私元気?
相変わらず言いたい事言ってる?)

石原都知事の下で副都知事に抜擢された
猪瀬直樹がその後の都知事選に出て、

選挙で都知事になったのが2012年のこと。

ところが2013年11月に
某医療グループから5000万円の
献金もらったことをうまく説明できず辞任

そんでもって2014年1月に
都知事の椅子争奪戦(選挙ね)が繰り広げられ
都知事選が行われたのが昨日2014年2月9日

結果は舛添要一が211万票を獲得し当選。
 ↑ イマココ

で、今回立候補した候補者が
いままでの都知事選挙の中で
一番と言っていいほどつまんない人たちだった。

面白いひとが立ちました〜ってなら
それも別の意味でブログネタではあるんだけど
そりゃもう選挙に意味を見いだせない程の
酷い顔ぶれだったのだよ。

なにをもってつまらんとするかは
人それぞれだが
私がつまんねーとおもったのは
とにかく立候補者は見事に老人ばっか!

正直、大阪都構想で話題の維新の会の橋下さんで
やんややんやもめてる関西圏のひとが
羨ましいくらい、老人ばっかり!

どの爺さんが任期中にボケずに生きてる確率が
高そうかにベットする
元気な爺さんど〜れだ選手権かと思ったわ。

例えば有名四候補+泡沫の星は

舛添要一 65歳
ドクター中松 85歳
元日弁連会長の宇都宮弁護士 67歳
細川元総理 76歳
田母神元航空幕僚長 65歳

普通の仕事なら定年退職したあとの年齢である。

でもね、これ仕方ないと思うんだわ。
政治家なんてもんをいっちょやってみるべ
って感覚って、現役を退いた後
暇になったけどまだ若い者には負けないほど元気。
「いままで生きてきた恩返しだ」
みたいな感覚でしか
なろうと思わないんだろうなって。

んで、この
政治家なんてのは余生でなるもんであって
現役世代になろうとなんて思わないって
考え方って、結構多くの人の
共通認識だよねっておもうので
なんでだろうなーって思ったときに

とても興味深い16歳のアイドルちゃんの発言を聞いたの。
恋愛禁止のルールがある某グループの
中心メンバーでもあるそのアイドルちゃんが言った
一言はとても示唆に富んでたんだ。

「恋愛は大人になっても出来るけど、
アイドルは今しか出来ない」

まったくそのとおりでございます。

これ政治家にもそのまま当てはまるよね。


「政治家には老人になってからでもなれるけど
現役世代として働くのは20〜50代までしか出来ない」


実際、30〜40代で地位も手に入れつつ
ある程度の金銭的余裕もあり
現役でばりばり働いていて、
将来性もあったとしたら
まだまだ仕事での可能性は未知数で、
伸び代だって無限大。
それらを放り出し、政治家を志すメリットって
どれだけあるのかな?と正直おもう。

となると、
年齢的に若く(ここでは30代としよう)
選挙に立候補出来るくらい暇で、
供託金くらいはどうにかできる程度に度お金があり、
支援者以外にもちゃんと投票してもらえそうなくらい
みんなに信頼を得られる経歴で、

政治家になってかなりの自由を奪われるけど
その不自由さを許容出来て
尚且つ国民や都民の為になりたいと思える

等という条件を満たした候補者を発掘するのは
実際問題相当大変だってこと。

だから現役を引退したうえで、
金も名声もある暇な老人が候補になってしまう。

あーあ、若者出ないかな。
気骨のある若者が選挙に立候補したら
それだけで俄然面白くなるのに。

と思ってたら
なんかシャレで一人だけ35歳の候補者が
出てきた。

名前は家入一真
年齢35歳

ツイッターで
1000RT(リツイート)されたら都知事選に出馬する
と言い出したのがきっかけらしい。
その間出るって言ったり出ないって言ったり

とにかく、それまでの
ツイッター上での家入氏の態度って
好感度を持たれるにほど遠いというか
どっちかっていうと
態度悪いなって感じ。

対比として出すのもなんだかなとおもうんだけど
政治に一番興味ありそうなお笑い芸人
ロンドンブーツの田村淳と比べたら
(多分政界にデビューするタイミングを
待ってるだけと思われる)
まだ田村淳のほうが「政治家になりたい。」
思いがある分まともなんじゃ?と
思ってしまう。

家入氏は日頃のツイッターでの言動は
かなり不真面目な印象。
(実際は知らん、見た事無いし)

職業は流行のIT起業家を名乗ってはいるが
300万円の供託金も出せず、
ホリエモンに援助を頼んだりして
ツイッターでホリエモンが「振り込んだ!」とか
答える様がリアルタイムで可視化されたので

出るまでの経緯は家入候補をフォローしておらずとも
手に取るように見えたんだけど。

思想家の東浩紀が煽るホリエモンに向かって
直接それに怒ったりして
まあそれは面白く興味深い
家入氏の立候補までの流れであった。

舛添元厚労大臣を御輿に乗せて担ぐ政権与党
細川元総理を文字通り御輿に乗せた小泉純一郎
宇都宮弁護士を御輿に乗せた陣営と
田母神元航空幕僚長を御輿に乗せた一派との
主要四候補

ここまでは老人による老人の為の
いつものつまんないお祭りだった。

御輿に乗るのも担ぐのも老人

もともと若い30〜40代だって
御輿に乗るのは嫌だけど
御輿を担いでみたいとおもってる人は
結構沢山居るんだけど
実際祭り(選挙)って老人の為のものだから

老人優先で担がせてもらうことすら出来なかった御輿。


こども御輿ならぬ
「若者みこし」があったら担ぐのに
無いから担げない

そもそも「若者みこし」は自分たちで作ることは可能。
だってもう子供じゃないし。若いけど大人だし。
お金だって殿ほどじゃないけど多少はあるし、
古臭い老人用御輿じゃなくて、
最新式に見える御輿なんかすぐ作れちゃうんだぞ。

だけど、一体誰が若者代表として
「若者みこし」の上に乗るんだよ

でもみんな、とにかく一回は
誰か乗せて担いでみたいとは
思ってたんだよね。

自分が乗るのはまっぴらごめんだけど
「若者みこし」に誰かを乗せて、
老人の御輿のはじっこを遠慮しがちに
触らせていただくのではなく、

お祭りの「こどもみこし」のように
これは子供だけの専用の御神輿だから
子供だけで担いでもオッケーだよ
といわれるような、干渉されない
自分たち専用のみこしを作って
担いでみたかったのではないか。

御輿の上に乗せる若者は
賢すぎては絶対いけない

でもただのバカでもいけない

ノセたらちゃんとノリも良くないといけない

実際担ぐことになるブレーンの自称インテリ層には
絶対歯向かわない素直さと従順さも必須。


そこにタイミング良くシャレでなら
都知事選出てみてもいいかな〜

経歴も元引きこもり、でも今は起業家
最年少で会社をジャスダックで上場させた
とりあえず若者に受けそうなものも持ってる。

そして、何よりほかのメジャー起業家とちがって
起業といっても炎上マーケティングで注目されるくらいの
レベル的に言うと「プチ成功」くらいなので
きっと彼は他の人よりちょっとだけ暇だったのだ。

でタイミング良く

最低限の条件がクリアされてる人なら
とにかく誰か乗せてみたかった
なんでもいいから早く
「誰でも良かったカッとして乗せた」と言う
ドラマでの犯人の供述みたいな
みこし担ぎたい担ぎたいかつぎたーい
って人々と

自分でみこしは作る事は出来ないけど
シャレでなら乗っても良いよ。
ノリだけがパワーの源みたいな人

がコラボレーションに成功しました!

みたいな
あまりに雑な御輿の上に乗せる人選定だった
んじゃないかとおもってる。

だから思想家の東浩紀氏が
選挙後にツイートしていた幾つかが
非常に理解できた。

https://twitter.com/hazuma/status/432535698499846145

私もせっかくの弾の使い方にもっと
やりようがあったはずと思うし

そもそもネット世代が
非常に勿体ない御輿の使い方を
したんじゃないかと、

御輿の上に乗せる人選を安易にやらかしたばっかりに
「若者みこし」は御輿にもなれず
こどもが引っ張るおまけの山車に降格である。
趣味の悪いキャラクターの劣化版みたいなのが
子供騙しにくっついた、
みそっかすの人たちが引っ張る
(担いですら居ない)
ダサい山車!

あれじゃあ次のお祭りで「子供の山車」を
引っ張りたいと思う人もでてこなけりゃ
乗りたいと思う人も居ないだろう。

むしろあれは恥ずかしい。
やっぱり老人になるまで待って
ホントの御輿を担いでみたい
リアル御輿のほうがカッコいい
になってしまわないか。

そして東浩紀氏は若者の連帯に関しても言及している。
https://twitter.com/hazuma/status/432561535936778241

なぜ若いってだけで連帯できるのか?と

これって連帯したくてしてるのではなく、

単に需要はあるのに若手候補者の供給に
全く多様性がないだけなんだよね。

御輿は担ぎたいけど上に乗せる人がいない、
今回「若者みこし」は一個しかなくて
担ぎたい人が思想関係なく兎に角若いという括りで
集まってしまっただけかと。

さっきも書いたけど
今までの選挙では、若者は担ぎたくても
御輿を担がせてもらえなかった、
というか触らせても貰えなかった。

担いでみたい人は結構いる。
でも御輿は乗るのも担ぐのも老人の特権、
で、今回は子供御輿ならぬ、
若者御輿をがたった一個だけ出てきた。
担ぎたい、担がせろ、と御輿の質に一切関係なく
とにかく祭りに参加して御輿を一度触ってみたかったという
ランダムな関係でキーワードが若者というだけで
集まって来た感じ

思想信条の分化はまだまだこれからなのだろう。
はじまりってものは
いつもこんな感じだろうし、
十年先、昨日の御輿もどき「こども山車」が
どう変化していくのかには興味がある。

でも得票数を見てわかったこともある。
選挙の常連、泡沫候補の星
我らがドクター中松の票より

いまはまだチャチな「こどもの山車」で
御輿にすら昇格してない山車だけど、
いつか「若者みこし」になるであろうものを
担ぎたいと思ってる人たちが
実はやっぱり結構いるってこと。

だからこそ
あずまん(東浩紀氏)の言う
「もっとちゃんと」って気持ちもわかるんだけど、

やっぱりこれ
地方でやっても意味が解んなかったとおもうし
東京だから東京というちょっと不思議な人の集まりの
特殊性だったからこそ
見切り発車であれだけ雑に選挙活動やっても
得票数を5位につけられたんだとおもう。

出来ない理由を探して
やめた方が賢かったというよりは
ずいぶん良いと思うよ。

考える事も大事だけど
考えすぎて動けなかったら
いつまでも何も変わらないまま
老人になってしまう。

考えすぎないように、でも考えて
とりあえず動いて感触を確かめてみるのは
悪い事じゃない
どこかでジャンプしてみなくちゃ。
イメトレだけじゃどうにもならん、

特に若いからこそ何度でもチャレンジできるし
最初から器用にできなくて
当たり前なんだからさ。

ただ、次に御輿に乗せる人は
もうちょっとだけ吟味すべきだよw


最後に、
今回の都知事選はどうあれば納得できたのだろうか?
とよく考えたときに
皮肉にも小泉純一郎が
解散総選挙を郵政民営化たった一つの争点で戦った
選挙の事を思い出した。

自民圧勝だったあの選挙。
小泉人気でもってたあの時代

民衆は難しい事はわからないんじゃなくて
考えたくないだけなんだという事を知ってれば
戦う争点は一つの方がシンプルで訴えかけやすい。

小泉純一郎を非常にセンスがいい政治家だと
評してる人が多く居るが異論は無い。

あの時、あの戦い方で選挙が出来るって
すごいことだったのだ。

猪瀬氏は都知事を辞めて
そのままフェイドアウトするんじゃなくて
「都民に直接民意を問う」と言えば良かったんじゃない?

民意を問うと直接言われたら
有権者も悪い気はしない。

5000万円貰っちゃったけど
都知事を続けて良いのか悪いのか

続けて良いなら猪瀬
ダメなら別の候補者の名前を
投票用紙に書いてくれと。

たった一つの争点で猪瀬氏は
もう一度戦えば良かったんじゃなかろうか。

まさに、政治家が大好きな「みそぎ」選挙だ。
選挙に当選したらみそぎは済む
これもシンプルだ。
意味が解らん選挙だったから
みんないかなかったんだよね。

済んでしまった事なので
もうどうしようもないけどね。


それよりも
東京オリンピックのときは
誰が都知事なんでしょうかね?

やっぱりさっきも書いたけど
政治家になりたいオーラびんびんの
ロンドンブーツの田村淳でしょうか?

お習字も習ってるって言ってたし。
政治家の妻にぴったりな感じの奥さんと
結婚もして、準備万端なのかな?

横山ノックだって知事だったし、
西川きよしも国会議員だったんだから
田村淳が東京都知事でも別に
おかしくないのよ。

で、きっと色紙頼むと
「香那」とか「王道」とか
毛筆で書いてくれたりして
(↑わかるひとにはわかるw)


とにかくオリンピックのときに
誰が次の都知事なのか
そっちのほうがたのしみ!


さて、10年後にこれを読んでる私、
こっそりタイムマシンかなんかで
都知事がオリンピックの時に
誰になってるか教えにきて頂戴

でも「十年後に日本はなくなってるよ」
とか言われたら
それはそれで怖い!


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楽曲よりも、本来その後ろ側にあった筈の「物語を消費する」文化っていつ頃からあったんだろう。

2014-02-07 Fri 17:30


【物語の消費】という言葉がネットを飛び交っている。

事のきっかけは、ざっくり言うと
現代のベートーベンと言われて
NHKでとりあげられたような作曲家が
実はゴーストライターに作曲を外注していた
というお話。

で、申し訳ないけど
私この人の名前も初めて聞くし
日本人のクラシックというものに
とんと興味が湧かんので
この話題は完全スルーするんだけど、

音楽シーンに於いて「物語を消費」するという
新しいアプローチの快楽をプロデューサーが
消費者に覚え込ませる手法って
一体いつの頃から始まったんだっけ?
とふと考えたのだ。

私が覚えてる範囲では1995年に
テレビ東京でやっていた「浅草橋ヤング洋品店」が
「ASAYAN」と衣替えし
夢のオーディションバラエティーと
名乗り始めた頃だろうか。

ASAYANは
色んなプロデューサーとコラボして
歌手やモデルや、落ち目になった芸能人やらを
発掘する様子をテレビで流すという手法であった。

それまではアイドル歌手やバンド等とういうものは
テレビで視聴者の目に触れる段階では
既に認知されている状態(ブレイク後)であるため
相当売れてからお宝画像などといって
オーディション風景が出てきたりする物だったのが

この番組によって
オーディションを受けにきた一般人を
視聴者が好みでそれぞれ応援して
タレントや歌手にしてデビューさせるという
普通の女の子が芸能人になるまでという
シンデレラストーリーに最初から視聴者を
参加させるという、
物語を一緒に作る面白さを
覚え込まされたのかもしれない。

例えば
鈴木亜美のデビューは視聴者に電話投票をさせて
80万票を獲得し1位になった結果をうけて
小室哲哉がプロデュースするという
ボーカルオーディションだった。

リアルタイムであの番組を見ていたが
私の記憶が確かならば
大層庶民的な自宅で密着される
鈴木亜美は本当にちょっとかわいいけど
普通の女の子で、
彼女の友人達が、アナログな固定電話で
番組が用意したこれまたアナログなシステムで
一生懸命電話投票する風景は
かなり視聴者参加を意識させるものであった。
現在進行中のドキュメントにそのまま自分が
テレビを見ながら参加できるという
今までに無いアイドル発掘番組だったのだ。

そして、もうひとりのプロデューサーつんく。
モーニング娘。のデビューをかけた手売りCD
のエピソードなんかは、
結構一般の人でも聞いた事があるんじゃないか?

もっさい女の子達が実際に出された課題をクリアして
ほんとにデビュー出来るのか物語に
ついつい興味を持ってしまう視聴者を巻き込む事で
デビューする前から彼女らに親近感を感じ
自然に応援したくなるように仕向けられるという

視聴者はただ見ているだけなのに
あれよあれよという間に物語に参加させられ
登場人物の一部に消費者自身がされるという
新しいプロデュース方法であった。

要するに歌手がオーディションを受け、
合格し、デビューしたりする背景までコミコミで
消費者が参加させられることを

「物語そのものを消費すること」
とここでは言ってる訳だけど

いつしか楽曲のみで勝負するなんて
アーチストはほとんど消滅し
兎に角、消費者は音楽そのものより
物語を欲するようになった。

もっと過激で、もっと面白い物語を。

だからバラエティー番組ではあの時代
色々な形で物語を消費するプログラムが組まれた。
例えば
「ウッチャンナンチャンのウリナリ」では
ポケットビスケッツVSブラックビスケッツ
なんていう対戦型の音楽ユニットを
出演者達自身で組ませ

いろんなお題を出されて
勝負に勝ったほうがCDが出せる
みたいなゲームをする「物語」を
散々視聴者は消費してきたのだ。

そして満を持して出てきたのが
おニャン子クラブで一斉を風靡した
秋元康だ。

おニャン子クラブそのものが
毎週番組中でオーディションをやり
普通の女子高校生がどんどんテレビに出て
アイドルになっていく様を見せられていた訳で
この頃から物語の消費手法は
秋元康としては普通にやってたことなんだけど


2005年に秋元康は
「会いにいけるアイドル」と言って
秋葉原に劇場を作り、そこで毎日
けなげに歌い踊るアイドルの卵たちを
最終的には東京ドーム公演が出来るくらい
ブレイクさせるまでの物語を描いたのだ、

2014年
一番解りやすい物語を消費する手法は
いわゆるAKB商法といわれている。

消費者をまるごと利用して物語に参加させる
というのはまず
AKB総選挙が思い浮かぶ。

AKB総選挙とは具体的に言うと
自分の推しメン(推挙したいメンバーのこと)に
自由に投票できるイベント。

具体的にはCDを買い、そこに封入されている
投票権利で好きな推しメンに
投票できるのだ。

自分の好きなメンバーの順位を上げさせる為に
コアなファンは何百枚もCDを買うし
ちょっとだけお祭り騒ぎに参加したいだけのひとは
CDを一枚かって、さて誰に入れようかと考える、

総選挙はテレビ中継され、
参加した人たちは、自分が投票したメンバーの順位に
一喜一憂する。

楽曲なんてどうでもいいし、
音楽性がどうこうもそんなこと興味ない
ただ、物語に参加することで
好きなアーチストや、アイドルと
一体感を感じたい。
音楽ではなく物語を切り売りする事で
CDを売る手法。

もう麻薬のようなものだ、
音楽の背景に物語が無いと、音楽そのものに
何も感じなくなってしまった不感症の消費者は
新たな物語を求めさまようのだ。

消費者が物語を過剰に求めた結果なのか
プロデュースする側が歯止めがきかなくなったのか
卵が先か鶏が先か
わからんけど。


今回の現代のベートーベン手法は
とても気分の悪い話である。

物語を消費する商売は
プロデュースする側の提供方法と
消費者の参加方法さえ間違わなかったら
別に悪くはないと思うけど、

越えちゃいけなかった一線を
越えた感のある今回の騒動。

でも踏み越えてはいけない一線を越えさせたのは
我々消費者ではなかったのか?とも思う

より刺激を求め、御涙頂戴の物語が大好きで
そういう背景にある人が作ったものを理解して
あげられる自分が大好きで、
価値がわかると錯覚している人々

売れる物を供給する基本に立ち返れば
マーケティングとしては非常に正しい

映画等でも
「余命三ヶ月の花嫁」とか
あの手の病気ものは
非常にもにょるけど
確実にヒットするジャンルなんだよね。

アレがはやったときに
「(映画の題材にするから)どこかに不幸な人居ない?」
って探しまわってるって話があるって
聞いたときに。

ほんとに趣味悪いって
おもったんだけど、
皆さん不幸な人の可哀想な物語って
好きだよね。

あれなんで?

幸せそうなこと、裕福な事はバッシングするけど
自分には関係ない不幸や貧乏や病気の話
大好きじゃないか。
実に感じ悪いとおもってしまう。

今回の騒動はどういう風に着地するのか?
させるのか。
推移を見守りたいとは思ってる。

最後に一つ。
物語(背景)があったからこそ
それを含めての価値だった。
というものは沢山ある。

これに言及してると
書きたい事も沢山あるので
ものすごく長いブログになってしまう
というわけで
次回はそれだけをテーマにブログ書くわ。


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「本当の金持ちって言うのはね」や「本当に支援されるべき弱者」に内包された実際の意味に私たちは気がついているか?「自分に取って都合のいい○○」

2014-02-03 Mon 18:00
よく聞く言説に「本当の金持ちっていうのはね」ってのがある。

「本当の金持ちって言うのは、お金持ってることをひけらかさない」
からはじまって

「本当の金持ちって言うのは、服もびっくりするくらい地味で」
「本当の金持ちって言うのは、庭の手入れも家電の修理も
 家のペンキ塗りも自分で全部やって」

最終的には
「本当の金持ちって言うのは、床屋にも行かないで自分で髪の毛
 切るんだって!」
と言ってる人まで居て椅子から落ちそうになった。


同じような現象はお金持ちの人じゃない貧困層であったり、
派生したものとして支援を受けている人の場合もよく見る。

支援されるべき「本当の弱者」という言説だ。
「本当に困ってる人たちこそ援助を受けるべき」って奴だ

災害の被災者しかり、母子家庭しかり、貧困に障害、
助けてもらうべき正しい弱者の定義を

「本当の」と言って縛る。

本当の金持ち、本当の貧乏人、本当の障害者、本当の病人

ここで言われる「本当の」って一体何なんだろう

あるときふと疑問に思った。

私自身も、まだまだ未熟で視野が狭かった頃
この「本当の」という言い方をよく使っている
自覚があったからだ。

そもそも
人の状況に本当だの間違ったのだの真贋判定なんておかしいのだ
別にルイヴィトンやエルメスじゃないんだから。
ブランドの真贋や、物の真贋とは訳が違う、
その人の置かれている状況
人の人生、人の生活に本物も偽物も
あったもんじゃない。

金持ってるなら、金持ちだし
身体的に普通とは違い本人が不便を感じて
何かしら助けてほしいと思ってる人が障害者だし
お金がなくて生活に困って援助や支援を受けたいと
思ってる人が弱者なのだ。

なのに我々はついジャッジをしてしまう。
そんな権限なんか持ってないのに

あの人はお金持ちなのにひけらかさないから
本当の金持ちなんだ
あの人は貧乏だけど明るく前向きに生きようとしてるから
支援すべき本当の貧乏人なんだ。

とやりがちなのである。

何故なのか?

今回の件は
19年前の阪神淡路大震災で避難所の学校で
酒盛りをする被災者のバッシングがあった時
なぜあの人たちを不快に感じるんだろうと
考えた事がそもそもの始まりであった、

正直に言おう
実際私も、これだけ世界中が被災者を支援してるのに
なんであの場で酒なんか飲んでるんだよと
いい印象は持たなかったのは事実だ。
でももし自分だったらと考えたら
すーっと足下の感覚が揺らいだのだ。

何もかも失った時、酒くらい飲ませてほしいとおもう気持ちって
そんなに悪か?いけない事なのか道徳に反するのか?
もし家の家族も友達も失って、自分だけは立ち止まる事すら許されず
無理矢理歩き出さなきゃいけないときに、
張りつめた一日の終わりにささいな楽しみがひとつあったって
それをとやかく言われる筋合いは無いよねと考え
己の最初の気持ちを自分でなじった程であった。

正しさだけが正解じゃないんだと。

そして被災者が避難先で酒飲んだって
遊んだって、別に何も悪い事じゃないんじゃないかと思って

ホントに必要な震災対策グッズを考えてみる。『災害時用の簡易トイレを自宅に準備するのが一番大事なんじゃないのかね?』
http://kyuinkyuim.blog71.fc2.com/blog-entry-891.html

のブログ記事の中で

☆トランプや双六

気を紛らわせるために必要
震災体験者の方々の証言で、あそべるものがあったほうが
気がまぎれますとのお言葉。
被災者はあそんだりしてはいけないという事は無いので
積極的にこういう遊びグッズはもってたほうがいいと
口をそろえて言われたんで。



☆小瓶の酒

気分転換用と体があったまるので
おいしいバーボンの小瓶など。
被災者が酒飲んじゃいけないちゅーこともないし
飲んでまぎらわしたいこともあるかと、
やけ酒用みたいなものか


これらの娯楽性のあるものを
リストしたのだ。

多分日本中探しても、サバイバル用の準備の中に
ゲームや酒を入れろと指南してるものは
ほとんど無いんじゃないか?


さて、話を戻そう
「本当の金持ち」「本当に支援されるべき人」に
我々がことさら条件をつけてしまう傾向に関して
さっきの【被災者が酒を飲む事】をきっかけに
よく考えてみたら自分にとって都合のいい状態にある事を
「本当の」と定義してるに過ぎないんじゃないか?
という事実に気がついてしまったのだ。

なんて恐ろしいことを思ってたんだろう

例えば国から支援を受けるべき弱者というのは
可哀想でなければならない。
実際に可哀想かとかは実はどうでも良くて
イメージとして可哀想な雰囲気を
醸し出してて欲しいと願ってしまう気持ち。

一時も自分が援助した金で遊んで楽しそうにしてる姿は見たくないし
兎に角常に哀れでかわいそうに思えるようにしていてほしいと望んでしまう。

その可哀想こそが主観やイメージであることに気がつかない。
自分の好みで援助されるべき弱者を選定するという
恐ろしい行為なのだが、
それにどれだけの人が気がついているのか

日本にだって支援されるべき子供達や弱者は沢山居るのに
自国の困ってる人に向かってまったく支援する気が起きないのに
例えばアフリカや紛争地域、途上国の子供達を支援するのには
むしろ積極的でためらわず支援したくなるこの気持ちは
なんなんだ?

突き詰めて考えたら、まさにさっき書いた
可哀想に思いたい願望を満たす相手であることが大事であるという
根本的なイメージに左右された心理に気がついたのだ。

自国の弱者支援は、いろいろ目につきやすい
だってそばに居るから簡単に見える
粗も見える。
自分の気に入らん弱者に金が渡るのがどうも好かん

でも物理的に遠い国の子供達は
都合良く可哀想な部分しか目に入らないのだ

行き渡った金は子供に渡ってるのではなく
支援団体の人たちの交遊費に消えてるかも知れないし、
運良く子供にわたったとしても、食料や薬になってないかも
悪い親が搾取して酒代になってるかも、
もしかしたら親が悪い奴で武器や麻薬を買ってるかもしれない。

でも見えてこないものは無いということにしてしまえば
苦しむ子供に向かって金を渡したという
自分がしてやったよい行いの事実だけが残る。

だからこそ支援する相手は都合が良くないと行けないのだ。

最近はもうちょっと訳が分かってる人が増えてきて
弱者を選り好みしてはいかん
自分に取って都合のいい人が弱者だというのは
考えが浅いんですよという事は
ある程度のインテリ層には浸透してきた感はあるけど、

こういう人も金持ちに関しては
自分の都合のいい金持ちであることを不思議と望むんだよね。

お金を湯水のようにつかっちゃうような派手なことする奴は
本当の金持ちじゃない。

本当の金持ちは金を持ってる事をひけらかさないものだ、

地味な服を着て、微塵も金持ちだと感じさせないのが
本当の金持ちなのだ。


ちょっと待て、

それは自分が羨ましくならないように
ジェラシーを感じずに済むように気を使ってくれる金持ちが
自分にとって都合のいい金持ちであって、
別にに本当の金持ちって話じゃなくないか?

「本当の金持ち」ではなく「あなたの都合のいい金持ち」でしょそれ。


で、思ったのだ。
(ここからが本題ですよ)

そう、理研でSTAP細胞を発見したあの研究者の
ヴィヴィアンウェストウッドの指輪の話や
服装の話や、割烹着の話をするんじゃない!と
怒り狂った人が何故あんなに多かったのか。

なんか異常なくらいヒステリックに
研究の事だけ紹介すれば良いのだ
とワイワイ騒いで怒った人たち。

先の記事にも
「くだらんことに怒ってないで、
情報は自分で取りにいけよ、
まずは理研のホームページ読んだらよかろうに」
私はちゃんと書いたけど、

世の空気をよく見てみると、何か異常なほど怒ってる人たちに
たいした事してないおばちゃん研究員とか
無名の報われないリケジョのハシリみたいな
人たちが何故か多かった事が気になったのだ。

そんでもって
新聞記事に人となりを伝える文脈で書かれた
ヴィヴィアンウェストウッドの指輪や
ピンクの壁、ムーミン好き、割烹着着用に対して
拒否反応を起こした人たちのお気持ちについて
思いを馳せてみたんですね。

彼らは一見研究者の味方に見える言説で
報道の仕方がけしからん、もっと研究の事を説明しろと
さも解った風なふりをして批判してたけど。
なんかおかしい。
違和感ありまくり

私の透視能力は欺けませんよ。
見える見える本音が見えーる。

で、思い至ったのは


もしや
彼らが怒ってるのはゲスな報道のせいじゃ無いんじゃね?
ってこと


女子力が高くってかわいらしい
(何も女である事を犠牲にしてないように見える)
若い研究者が
実は優秀で世界中あっと驚くような発見をし
結果を出すなんて

【都合が悪い】

人たちが沢山居たんじゃないかないかってこと。

そう考えると
服装やら周辺情報を出すなという
異常な明後日の方向のヒステリーにも説明がつくじゃないか。

なるほどー。
腑に落ちちゃった!


要するにだ
何か結果を出す為に多くの人は修行僧のような生活をしてるわけだ。
そうすることは科学的根拠の無い精神論なんだけど

おしゃれしたり、髪型気にしたり、
ファッションに興味を持つ暇があったら
その時間に本を読んで、実験して、論文書けよと。

ほら、日本に古くからある願掛け文化ですよ。
何か叶えたい大層な事があると
好きな物を断って願をかけるあの精神世界です、

願掛け文化は男女関係なくあるけど

理系の研究分野では
殊更、女性研究者が大成しようと思ったら
女子力を断って、おしゃれなんかにかまけてないで、
兎に角、女を捨てて研究に一生捧げて、
男と対等に渡り合っていかないと
女の研究なんかうまく行くはずが無いのだっていうアレ。

マスコミの報道アプローチバッシングをした人たちは
意識してないのかも知れないけど

女子力&おしゃれ断ちをしてないのに結果だけ出しやがって
ムッキー!

っていう感情が
一切無かったと言えるのだろうか。

そもそも
リケジョでなくったって女でなくたって
この国の教育は、年頃の子が年齢相応に色気づき始めると
勉強がおろそかになるからといって、
髪型なんか気にしないように
男の子は丸坊主、女の子はおさげに結べ
出来るだけ色気のでないような地味な制服を
ダサさを全面に押し出して着ろ、

子供は子供らしく居ろ
性的な匂いなんかさせるな
勉強できなくなる!
中学生や高校生に恋人が出来るなんて
不純で汚らわしくて、犯罪だ!

という生物学を否定した思想に基づいて
世の中が運営されてるじゃないか。

人間が動物として年齢相応に芽生える
性的な自覚に関しては、
鈍感であればあるほど評価されてきてるもんだから
男っ気が無い、女っ気が無いことを
大の大人になってからもアピールしまくる異常な状態

その癖、少子化は嘆かわしいけしからん
女は子供産まない、男は女を押し倒す事も出来ない
草食系男子とか言って否定され。

いや、育てたように子供が育っただけじゃないか
とツッコむ人はいないんかい。

そんなこんな2014年の世の中に
あんなに女子力満開で色気づき、カワイイ満載の
女の子女の子した雰囲気のおしゃれに自由な感じの人が
世界が揺らぐような発見しちゃったら

「おしゃれにかまけてたらなんか勉強なんか出来ない」と
大人になっても中学校の洗脳教育が解けてない人たちが
目の前に起こってる現実が消化できなくて
集団ヒステリーを起こしちゃった感じが
まさに、

女っぽいとか、ヴィヴィアンウェストウッドが好きとか
報道してくれるな!という
異常な叫びだったんじゃないか

そら、いままで信じてきた精神論根性論が
大事な根幹の願掛け教を真っ向否定されたら
ああなるわな。


「女性って言うな、割烹着って言うな、
壁がピンクって言うな、
ムーミンのステッカー貼ってるって言うな、
ソファ運び込んだって言うな
亀飼ってるっていうな、
ヴィヴィアンウェストウッドの指輪持ってるって言うな!
研究の事だけ言えば良いのだ。
本当の報道をしてください」

と、ぎゃーぎゃー過剰に拒否して騒いだ人たちのいう
「本当の報道」って

「私たちに都合の悪い報道はしないで、
私たちの都合のいい報道をしてください」

というのが
まさか本音だったんじゃあるまいな。






===
その後、リアルゴシップ誌や女性週刊誌やワイドショーという
新聞社とは違う種類のマスコミが、後追いで下品な周辺記事を
載せ始めた話と、この発見が報道機関にむけて
正式に発表された時の報道の仕方の話とは全く別の事なので
そこら辺ごっちゃにしないように、いちを言っておきます。

(これを読んでる皆さんは賢い筈なんで
いちいち言わなくても当然解ってると思いますが念のため)

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理化学研究所のホントの望みは何なのか?=元祖リケジョの宇宙飛行士向井千秋さんと理研の小保方ユニットリーダーの女子力について考える

2014-01-31 Fri 19:30
STAP細胞でいま話題の
理化学研究所の研究者小保方ユニットリーダーの
周辺が騒がしそうである。

この話題、昔からの読者は
私に一言何かしら書いてほしいと思ってるでしょ。

出血大サービスで書きますよ。

マスコミからの取り上げられ方が
おばあちゃんから贈られた割烹着だの、壁がピンクだの
ヴィヴィアンウェストウッド愛用だの、
リケジョなのに女子力の高い!ってエピソードばかり注目されて
持ち上げ方が異常に傾いているのって何なんだろうと考えてみた。

最初に言っておくけど
私は「割烹着方向の報道大いに結構」と思っとります。

万能細胞みたいな難しい分野の一般人への認識の敷居を下げる
という意味では今回のアプローチは別に悪い事じゃないと思う

科学的思考がこんなに不得意な日本人に
少しでも身近に感じられることのほうが
プライオリティは高いと思うから。

けしからんと怒ってる人たちって
一見正義を振りかざしてるようだけど
ほんとにそうなのかな?

なんか手放しで
そうだよねと言えない
もにょもにょ感がある。

いやね、小保方ユニットリーダーと
理研側から公式に
迷惑だから研究の事だけ取り扱ってくれ
みたいな申し入れがあったんならともかく

本人もああいう取り上げられ方は
まんざらでもないんじゃないの?
と私は感じてるんで。


さてさて、
そんな女子力だのリケジョだの枝葉の事より
実際の研究成果をちゃんと記事にしろと怒る人々

ここ数日間のネットの流れを見ていて
ふと思い出したのだ。

日本初の女性宇宙飛行士の向井千秋さんと
ドラマの「外科医有森冴子」である。

宇宙飛行士の向井千秋さんは実在の人物の中で
まさにリケジョのハシリだろう。

宇宙飛行士になる前は慶應病院の外科医で
ショートカットで男勝り、スポーツ万能
絶対数の少ないリケジョにおいて
日本で一番最初に外科医+宇宙飛行士という確固たる地位で
「リケジョ最高峰」の名を欲しいままにしてきた、

というより
日本人の思い描くリケジョとはある一定の年代にとっては
向井千秋さんなんじゃなかろうかというくらい。

一方、「外科医有森冴子」とは
1990年に三田佳子がドラマで演じた女医で
これまたドラマに描かれた元祖リケジョといってもいいくらい
男勝りで、サバサバを絵に描いたようなキャラクター。

要するにだ、
世の中の人々が思い描く理想のリケジョって
向井千秋さんと有森冴子という刷り込みから
全く進化できてないんじゃないか?
という疑問がわいたのだ。

化粧っけがなく、サバサバしてて
男勝り


そう
キーワードは「男勝り」である。


男勝りの意味を辞書で調べるとこうかいてある

女ではあるが、男にも勝るほど勝ち気でしっかりしていること。
また、そのさまや、そういう女性。
「―な気性の持ち主」
(出典goo辞書)

リケジョの定義は2014年1月29日くらいまで

微塵も乙女成分を感じさせず
女である事を意識すらさせてはいかん、
男と対等に渡り合っていくには
男より男らしくないといかん。

だったんじゃないか?

その証拠に現在放送中のドラマ
「科捜研の女」だって法医学研究員の沢口靖子扮する
榊マリコはどうみても化粧っ気も男っ気も無い
サバサバリケジョという設定である。
その脇を支える法医学教授役の風丘先生だって
若村麻由美が髪は長いけどとことん男っぽいキャラクターで
サバサバ女医を演じているではないか。

向井千秋さんが四半世紀前に宇宙飛行士に選ばれてから
小保方晴子ユニットリーダーがおととい当たりに出現するまで、
日本人の思い描くリケジョのイメージってだれかの手によって
故意に全く塗り替えられずに固定されたまま来たんだと思う。

それはその他大勢の誰かが思い描く
リケジョってこうあってほしいという
願いであって現実ではないのだが

今回だってもし
彼女が絵に描いたような前時代的リケジョ
所謂ショートカットに化粧っ気無しの、
シンプルパンツルック、おまけに男勝りの勝ち気な性格で
みたいな書かれ方してたら、みんなこんなに怒ったかね?

怒んなかったんじゃないの?

普通の一般的な女らしい女でいながらにして
リケジョという特殊分野で活躍することを
無意識のうちになんとなく良しとしない風潮が

存在のエクスキューズとしての

男勝り、サバサバ系、
(見た目で行くと常に化粧っ気無し、
スカートもヒールも無し、
髪型はショートカット)

というリケジョ理想形態を作り上げ
テレビのキャラクターはそれを踏襲し
だからこそまた一般人にそれが浸透してしまう
よくわからん無限ループだったのだ。


で、そんなところにですよ
想像もしてなかった女子力の高い
戦闘能力MAXみたいな小保方ユニットリーダーが
出現したというのが

今回の流れなんじゃないか?
 ↑イマココ


要するにだ、
記事を書いたマスコミ連中の想像力の貧弱さを
叩きのめす勢いで
彼女がすごい発見を引っさげて出現したのである。

そりゃもう大騒ぎでしょう。

向井千秋さん以来のすごいリケジョが
茶髪にお姫様結びでヴィヴィアンウェストウッドに
割烹着でっせ。

破壊力は抜群だった模様で
もう研究成果なんかそっちのけで
リケジョのイメージをひっくり返した!
という記事になっちゃったのが
今回の流れなんじゃないか。


で、私としては最初に書いたけど
研究の方が大事だろ、性別や容姿や趣味なんか
報道するな!と怒るつもりは微塵も無い。

いいんじゃないの?
きっかけはどうあれ
理系アレルギーすらありそうな国民が
割烹着着ただけで、身近に感じ
とっつきやすいと思ってくれたら
御の字なんじゃないのかね?


だってさ、
「難しい事は考えたくない」って思ってる人たちの方が
世の中には多いんだよ、

面倒臭い、考えたくない、
知識を身につけるなんてウザい
ここがスタートラインの人たちに
飲み込ませる事が簡単な糖衣タイプの
薬を飲ませるのと同じ話だよ。

そんな知能レベルの人たちには
日本人の女子力MAXなリケジョが
すんげー発見したんだよ
ってほうがインパクトがある。

人々の心に残るじゃないか

有吉弘行の名言に
「ブレイクとはバカに見つかる事」
ってのがあって
私この言葉大好きなんだけど

バカに見つかるようにわざと敷居を下げたのが
小保方ユニットリーダーの目論見なんじゃないのかね
本人が無意識及び本能的にやってるのか、
それとも誰かブレーンがいるのか
それは知らんけど

マスコミのおじさん達がみんな見事に
全員ずっぽり罠に落っこちた
一網打尽にされた的な解りやすさを
感じますけど。

少なくとも私にはそう見えます。
(真相は知らんよ)


これ、そこらへんの冴えないおじさんが
あの細胞を見つけた話なら
こんなに列島を興奮のるつぼに叩き込めなかったと思うし

このSTAP細胞発見の発表を通常の1000倍増位の
注目度でマスコミに取り上げさせて
旋風を巻き起こす的なおまけまでくっつけた
という意味でも
小保方ユニットリーダーGJと拍手したいわ。

結果的には
女を捨てて、なりふり構わず突っ走ったり、
見た目が男勝りでなくても
可愛くしててだってちゃんと結果出せるんだぜ
イエーイって話なんだから
女性としてはしてやったりと思うんですが。

なんでみんな報道の仕方をあんなに怒るのか
全然共感できないわ。

女子力だのピンクの壁だのソファーだの
ペットの亀だのの情報だけが不満ならば
自分で理化学研究所のホームページに
今回の大発見の内容を読みにいけばいいんだよ。

トップページに小保方ユニットリーダーの
笑顔の画像がばーんと出てきまっせw
理研のホームページ

小保方ユニットリーダーがその容姿や破壊力抜群の
女子力で25年間実質塗り替えられなかった
向井千秋さんに代表されるような
古いタイプのリケジョのイメージを一新し
その上難しい研究を一般人がちょっとでも知る入り口を
万人向けにしてくれたからこそ
研究に興味が出た人だって沢山いると思う。

朝日新聞と毎日新聞と産経新聞の記事を読み比べて
報道の仕方がリケジョとか女子力とかが
けしからん研究の説明をしろと怒るほど
頭良いんでしょ?

だったら源流を当たれば良いよ
理研のウェブに行けばよくまとまった説明もあるし
それ以上知りたいなら
彼女の論文を検索して自分で読みゃいいじゃないか。

報道の仕方が低能無能だなんてのは今に始まった事じゃない
ゴシップ的な話題が自分のレベルに合わないと思ったら
自分のレベルに合わせて探せば良いのだ。
語学ディバイドが無いなら
他国でどのように今回の研究が紹介されたのか
ネットで簡単に見られる恵まれた環境にいるんだから
読みにいけば良い。

自分で動いて自分の欲しい情報は取りにいくんだよ
与えられた情報が自分向きでないのなら
その先は自分で取りにいけばいいのだ

それが小保方ユニットリーダーをはじめ
理研の人たちが本当に望んでるアプローチに
近いと思うけどね。

最大限に取っ付き易い入り口は用意した、
さあ理研のホームページまでやってきてください。
そして何をやってるかみてください!
私が中の人だったら切に願うわ。

女子力や割烹着ばっかりフォーカスされて
小保方さんかわいそう、マスコミってひどいよね
なんて言ってほしいとなんかこれっぽっちも望んでないと
思うんだけどな。

今回の成果の受け手として我々一般人が
発見した人に望まれてる事は何なのか
少しは考えてみた方がいいんじゃないか?

最後に親切にこれを貼っておくわ。

体細胞の分化状態の記憶を消去し初期化する原理を発見 |
60秒でわかるプレスリリース | 理化学研究所
http://www.riken.jp/pr/press/2014/20140130_1/digest/
@RIKEN_JPさんから

理化学研究所の皆さんがんばってね。


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日本語さんのほう、このように使われてもらってもよろしい形になっております。

2014-01-24 Fri 19:30
季刊だったはずなんですが、
ずいぶんご無沙汰しております。

今日は日本語のまじめな話。

最近、薬局や販売店や飲食店などにいるスタッフの説明が全く頭に入らない。

多分日本語のようなものを話しているに違いないのだが、
日本語として脳が認識出来ないのである。

主な原因は、使い方がめちゃくちゃな尊敬語、丁寧語、謙譲語
(にもなってないなありゃ。)

先日、何年かぶりに38度も熱が出たので
処方箋薬局に行った時のことである。
ちょっとあまりにも面白い説明でブログを書くネタだ!と
思ったほどの奇妙な日本語を聞いた。

「このお薬は朝晩飲む形になってますので、朝晩飲まれてください。」

とそれほど若くもない男性薬剤師に言われたのだ。

意味がわからん。

「朝晩飲む形」って、
三角とか四角とか、錠剤の形が朝晩飲む形として特殊なんか?

「のまれてください」って、
酒に飲まれるなけど薬には飲まれろなのか?とか考えてたら

さっぱり説明がわからなかった。
これは38度も熱が出ていたから理解力が低下していたからではない。
この薬剤師の喋る日本語があまりにも意味不明で理解不能だったのだ。

薬局での薬剤師のエピソードに留まらず
最近、いろんな場所でめちゃくちゃな日本語を耳にすることが多い
例えばエステにいけば、丁寧さを表したいのかなんなのか知らんが

「着替えてもらっていいですか?」
「こちらに入ってもらっていいですか?」
「仰向けになってもらっていいですか?」

と言われる。

この「〜してもらっていいですか?」もよくわからない。

普通に

「お着替えください」
「こちらにお入りください」
「仰向けになってください」

で何の失礼も無いと思うんだが。


薬局やエステだけではない
ホテルのコンシェルジュとの会話ですら油断ならんのは
「〜されてください」の誤用。

前にもブログに書いたかも知れないが
私が一番嫌いなのは
「楽しまれてくださいね」って言い方
飛び蹴りか、スリッパで頭を叩いてやりたくなる。

これがもう繁殖しまくって
ホテルで目的地までの行き方を聞いたら

「正面玄関を右に出る形になります、外に出られましたら
エネオスさんとローソンさんの角を進まれて
高島屋さんの前を過ぎますと、サブウェイさんが見えられたら
そちらを行かれてみてください」

えー!

ブルータスお前もか

の気分である。

いちいち会社名や店名にさんをつけりゃいいとおもってる雑さとか
丁寧語だと思って使ってる言い回しがめちゃくちゃだとかそんな事より
一番重要な道を説明する目的すら達成されてないんだよ。

無駄な配慮?をしまくる言語構成のおかげで
いっさい客の為になってない役に立たない道案内
ほんとどうにかしてほしい。

全ての店やデパートに過剰に気持ち悪いさん付けするのも
気持ち悪くて嫌だけど
はっきりいって道案内としてはありえない解りにくさには
説明してる本人気がついてるんだろうか?

そもそも「さん付け」は競合他社への配慮みたいなものから始まった感があるが
いまでは、とにかく会社名店名は呼び捨てない暗黙ルールが出来てるようで
とても気持ち悪い。

ツイッターで学生が、毎日何をどこで食べたかつぶやく際に
「マクドナルドさんで月見バーガーを頂きました。」
「ドトールさんでコーヒー飲みました。」
なんて書いているのを見るにつけため息しか出ません。

でもその子を含め皆さん「スタバさん」とは言わないんだよね
あれは何で?

ドトールさんとスタバの間には何があるの?

  
「されて」の誤用は
「行かれてみてください」
「聞かれてみてください」
「会われてみてください」
をよく聞くんだが。
これ乱用と言っていいレベルで目にするよね。


数年前ファミレスコンビニ語といって散々disってた
「こちらのほうでよろしかったでしょうか?」
「一万円のほうからお預かりします。」
「こちらコーヒーになります。」
なんてーのはもう可愛いというか、
気にならないほど最近のむちゃくちゃな接客用語は酷い。


接客業界だけでなく
普通の会社でも
「うちの秘書をされておられる方が退職なさる」
と言い出して、
一般従業員なのに何でそんなに二重敬語でへりくだるんだ!
そんなにへりくだらなきゃいけないなんて
その秘書は実は元皇族か華族かなんかか!?世が世ならお姫様なのか?と
(いえね、たまにいるんですよ。ほんとに姫が。実際会社にもいたことあるし。)
無駄な妄想が膨らんだりする事も。


ここまでくると

昔、新入社員が
「社長様は外出していらっしゃいます。」

と電話で言ってしまうなんて、全然問題なんじゃね?って
錯覚するレベル。
こうして言語というものは進化するのではなく
どんどん悪に駆逐されてしまうんだなと思った次第。

せっかく日本語ってのは尊敬語と謙譲語と丁寧語という
それはそれは美しい表現方法を持ってる類い稀な言語なんだから
母国語だし大事にしたいなと個人的には思うのだが。
それすらも難しい未来になってしまうのであろうか。

それにしても、
「正面玄関を出る形になって高島屋さんの前を行かれてください」
って一体どうすりゃいいんだよと突っ込みたかったわ。

もちろん役に立たない説明だったので
結局iPhoneのナビに案内をお願いしたけどね。

今後正しい日本語はsiriでしか聞けなくなるのかしら。
そんな未来も楽しいのかな。
と複雑な気分になった2014年の1月でした。




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