結局人生50歩100歩 じゃないかもしれない。

「アッコちゃんの時代(2005)」は主人公を再利用?林真理子「花探し(2000)」の読書感想文を2015年に書いてみる。

2015-11-19 Thu 23:30
今日は林真理子 著《花探し》という本の
読書感想文を書くことにする。


SUZUブログを一番下までスクロールしていただくと
わかりやすいのであるが、どのような検索ワードで
このブログにみなさんが辿り着いているか可視化できる
ようになっている。

検索ワードで常に上位なのは
JALでもANAでもホテルでもなく、
なぜか林真理子が2005年に書いた小説
「アッコちゃんの時代」の主人公の
モデルとなった方のお名前なのである。

ときおり「最初にSUZU様のブログを見つけたのが
《アッコちゃんの時代》で検索した時なのです〜」
と読者の方に言われたりするのだよ。

実際「アッコちゃんの時代」でググるとわかるのだが
SUZUブログはかなり上位に表示されるのだ
何もSEO対策してないのに〜不思議。

で、同じ作者が書いた《花探し》

突然何故こんな古い本を見つけて読む気になったのか。
たまたま《アッコちゃんの時代》で今でも
検索に引っかかってくる人多いよな〜っておもって
自分で検索ワードとして入れてみて
えーっと一体どんな話だったっけ?っと
調べ出したのがきっかけ、
ネットサーフィンをしてるうちに、
なんだかこのアッコちゃんの使い回しのような設定の
小説が存在することに辿り着いたのだ。

それが《花探し》である。
調べていくと2000年頃に週刊誌で連載されていた小説らしい。
(出版されたのは2002年)

アッコちゃの時代よりも前に世に出ていたのですね。
それは存じませんでした。

これだけ《アッコちゃんの時代》で検索して来てくれる
方々がいるこのブログの主である私が
この本を読んでないとは!

主人公の設定が使い回しなら読んでおかねばとおもい
時間ができたので
ずいぶん時代遅れだがこの《花探し》を読んでみることにした。

《アッコちゃんの時代》を読んだ時との大きな違いは
本屋に行く必要もなく
アマゾンで本を送ってもらうのを待つこともせず
家のソファでポチッとしたらすぐに読める時代に
なっていたことである。
iPad miniにKindleでダウロードして読んだのだ。

ずいぶん未来に来たもんだな。



それでは《花探し》の読書感想文をはじめます。

この本、一気に読んだんだが、
女性週刊誌のゴシップ記事でも
まだもうちょっと含みがあるだろうと
思えてしまうほどの中身のない薄っぺらい物語で

そういえば林真理子の小説って深みとか
考えさせられることとか
なーんもなかったんだって
思い出してるうちに読み終わってしまった。
何だろう、
本当に女性週刊誌ですらない、
ゴシップ雑誌の電車の中吊りチラシレベル。


いつも思うのだが林真理子の小説の嫌いなところは、
主人公がいけすかない嫌な女だから不快とかじゃなく

どーしても作者である林真理子の影が
小説の中でチラチラちらついて
邪魔になって消せてない事なんだよね。

だから主人公をはじめとした登場人物の誰かに感情移入
とかできないし。

常に林真理子の行動が見えてくるというか。
これは私が透視能力があるからって話ではない気がする。

例えば物語の中で主人公の舞衣子(愛人を生業とする29歳)が
金持ちの美容整形外科医の娘の志乃と
香港に贅沢買い物グルメ旅行に繰り出す場面があるのだが、
この部分なんか、
「きっと週刊誌の連載小説だから
編集担当に頼んで、取材と称して
香港に連れて行かせたんだろうな〜」
みたいなことが透けて見えるというか、
これが白ける原因だとふと思ったりした。

だってこの部分だけ
不自然に小説の物語特有のもやっとしたものが
急激に晴れちゃって、
Hanakoかなんかの香港特集かなにかを
見せられてる気分になるのだ。
そう、
林真理子の香港グルメ買い物ツアーって
エッセイになっちゃってるんだもん。

ここでハヤシマリコ女史は
お得意の妄想を膨らませるわけですね。

自分が、男を虜にするような美貌と体の持ち主で
旅先でたまたま知り合った人気の男性作家に一目惚れされて
ペニンシュラのタワー(九龍側)に泊まってるはずの彼が
夜な夜なグランドハイアット(香港島側)までやってきて
激しく求められるのであった。と。

もうね、このシーンなんて
主人公の舞衣子なんかどっかいっちゃって
妄想真理子に入れ替わってるわけだよ。

読んでるこっちはしらけるしらける。
どっちらけ〜ですよ。

それからもう一つのどっちらけポイントは

事ある毎に、主人公の舞衣子が
男が自分に金を使うのをケチるのを
心の中で罵るみたいな場面があるんだけど、
この男の金の出し惜しみ方は
どうでもいい女へ対する
金の出し惜しみ方の典型なのではないか?

妄想マリコ嬢かわいそう〜と
とチラチラとここでもまた作者の姿が垣間みえてしまうところに
すごく残念な気持ちになりながら読み進める羽目に。

あれ?でもよく考えたら主人公は超絶美人設定で
たくさんの金持ちから求められる女で
次から次へと男を虜にする美貌と体とテクをもつ
愛人稼業の若い女ってことだったのでは?
妄想マリコ嬢ではないはず。
と脳内で混乱が起きる。


終始ケーキの形をしてるのに、
甘くない食べ物を食べさせられた時のような感じで、
違うよそうじゃないよ、って場面ばかりで、
この違和感がずーっとつきまとう物語なので
なんかストレスがたまるのよね。

主人公の設定
(美貌といい体とテクの持ち主の愛人)の割りに、
彼女が体験する出来事が余りに乖離しすぎて
違和感がありまくる小説だったなぁー、
と些細だけど拙い点ばかりが目立つのだ。

美人になったことがないと
美人はどう扱われるのかわからないってのが
この人の限界で
そしてそれはこういう美貌の主人公を書く上では
致命的なところなんだとしみじみ思った。


やはり小説家と言えども
全く体験のないことを書くのは難しいのであろうか
「経験(体験)のないことは想像できない」を
小説家がどう埋めるかは、
綿密な取材とかなんだろうけど、

容姿とかで得る何かという日常の体験は、
それを持つ人に対する取材だけでは
埋められない物なのだろうか。


一つ思ったのは、林真理子って
結構若い頃から売れたので、有名人としては
チヤホヤはされ慣れてるのであろうとおもう。
だから、周りからチヤホヤされるという部分において
自分は知っていると思って
美人への取材を端折ったのではないかなと
ふと思った。

でもね違うんだな。
有名な人を利害関係で周りがチヤホヤするのと
美人を周りがチヤホヤするのとは
全く質が違う話なのである。

何かを与え続けないと承認されない状態に長く置かれると、
ただ何もせずに居るだけで有り難がられる
という状況が想像できないんだなと思ったり。

美人は絶対的に後者として生きてきてるのである。
その場にいてくれるだけでありがたい存在が美人

教祖と信者の関係性がまさしく美人と男の関係なのよね、
特に何かを与えなくても有り難がられちゃうのが美人。

林真理子がチヤホヤされた方向性ってのは
彼女に物を書くという才能がなかったら?
彼女が有名人でなかったら?
彼女が周りに与えるものがなかったら?
たちまち放り出される危うさを持つチヤホヤなのである。

美人だからチヤホヤされるのと
有名人だからチヤホヤされるのは
似て非なる物なのだ。

この小説こそまさに
「豪華なお城の絵を描きました!」と
超威張って見せられたら
そのお城は四畳半が100室あるという
とてつもなく残念城だったみたいなヤツだと思う。

「経験のないことは想像できない」

また一つサンプルが増えただけである。

但し、小説家ならその経験のなさは
緻密な取材で埋めて欲しかったよね。
それがプロというものでしょう。

多分、林真理子って根が怠惰で
取材とかみっちりしなさそうだな
したとしても
インタビューくらいだろうなって
意地悪く思ってしまったよ。



ちなみに、
2006年に私が書いたブログ記事
「アッコちゃんの時代」の読書感想文を
久しぶりに読み返してみた。

ここでも「取材力のなさ」を指摘していた私
緻密な取材ができてたら
設定年度にまだ存在してない車の名前とか
絶対書かないもんね

業界の大物になった
文学界のマリコ様に
今更物申せる人がいないだろうから
この取材力のなさは矯正されてると思えんのだが

林真理子ってこういう嫌な女を
主人公として表現させたら
上手なんだから、取材さえサボらなければ
もっと深い作品になるような気がして
すごーく勿体無いと思うのであった。

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番外編:憧れは色あせる:森瑤子『ホテルストーリー』を読んでみた。

2012-03-08 Thu 22:30
番外編です。

まだやってんの?と思った方はここでさようならです。

バイバーイ




kyuinblog0081



読みたい人だけ続きはこちら ↓



番外編:憧れは色あせる:森瑤子『ホテルストーリー』を読んでみた。の続きを読む

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後編:憧れは色あせる:20年ぶりに森瑤子の『情事』を読んでみた。

2012-02-28 Tue 21:30
前編 中編からお読みください

ロビー


作者ともう一度きちんと向き合う環境を整えて
まさに挑んだ森瑤子のデビュー作『情事』

実は最初に読んだ時、途中で挫折したのを思い出した。
あまりに突飛なストーリーに、まだ若かった私は
理解も共感も出来ず不快感だけが先行してしまい
途中で読み進めるのを諦めたのだった。

そして、何年か後に読み返して
やっぱり相性が悪いというか読み進まなくて挫折

よく思い返すと、結局一度も
『情事』を最後まできちんとは読んでないような気がする。

というかストーリーの記憶が最初の三ページくらいで
ぷつっと途切れているのだ。

今回やっと最後まで我慢して読んだのだった。
内容は高校生に読めないような難しい話でも
なかったのだが、
私はなんで挫折したんだろうという理由を
ずっと考えていた。


ざっくりあらすじを書くと

 夫に興味を持ってもらえなくなって
 焦燥感を抱くアラフォー子持ち人妻が
 自分の女としての魅力を確かめる為に
 男を引っ掛けて不倫する

というお話だ(ざっくりしすぎ?)


何のことは無い、こうやってそぎ落とした
あらすじ説明だけ聞くと
21世紀では使い古された設定に思える。

しかしこれが書かれたのは1978年(昭和53年)
いまから34年も前の話で、なんと為替相場は
1GBP(英国ポンド)470円の時代なのである。

要するに一般庶民にとってまだまだ諸外国は遠く
外国人(特に西洋人)と交流があるなんてのは
ごく一部の特殊なカテゴリーに属する人たちの
マイナーなコミュニティであったろう。

そんな時代に森瑤子が書いた内容は
それはそれはセンセーショナルだったはずだ。


さっきのあらすじに森瑤子がかけた魔法は

英国人の 夫に興味を持ってもらえなくなって
焦燥感を抱くアラフォー子持ち人妻が
自分の女としての魅力を確かめる為に
六本木の外人が溜まってるバーで
夫と同じ英国人の男を引っ掛けて不倫する


そう、夫も英国人、不倫相手も英国人
出てくる舞台は六本木、軽井沢の別荘や、
三浦半島の秋谷の別宅

そしてトドメは1978年当時
どれだけの人が食べたことがあったのか
と思うような本格的な英国料理の数々。


ラム1

ラムのローストにミントソース、


そしてお茶の時間には紅茶に
スコーンにジャムである。

スコーン


この設定がもし

夫が九州男児
不倫相手は関西人
出てくる舞台は主人公が住む場所が通天閣で
別荘なんか無く夏休みは海水浴日帰り
料理は冷汁とチキン南蛮
三時のおやつは緑茶に文明堂のカステラだったら
一体どーなっていたんだろうか?

(それはそれで面白そうではあるが・・・)

森瑤子が当時人々の嫉妬を通り越して
手放しの羨望をもって迎えられたのは
実態がどうだったとしてもやはり
ごく普通の生活をしている人々が
一生触れることが出来ないような特殊な世界を
小説の舞台に持ってきたことに尽きると思う。

21世紀、世界の枠組みが変わり
ネットがこれだけ発達し
距離という概念が根底から覆されてる時代の
国際結婚が下敷きになった不倫物語ではないのだ

いまの時代で言うと極端だけど
宇宙人と結婚してる地球人の妻くらいの
驚きと憧れを引っさげて、世の中に森瑤子は
デビューしたと表現しても過言では無いかもしれない。


物語の核の部分は古典にでも出てきそうな
かなり使い古された
「夫に不満を持つ人妻が不倫する話」
であるが
そこにかけられた魔法は
今読んでも決して色褪せる事の無いもので

この単純なストーリーにこの舞台設定か
と唸らされる結果になった。

物語のプロットに目新しさは皆無だが
その設定の目新しさのみで読者を魅了したとも言える。

私としては酸いも甘いもかみ分けちゃって
挙句主人公が女として私まだ価値があるの?って
悩んでた年齢もかるく飛び越えてから
ようやく再読かつ完読したわけであるが、

いつもの斜に構えたポジショントークを捨てて
素直な目線で書いてみると

主人公の生き方にも物語のプロットにも
なんの共感も感動も、理解も出来ない事は
20数年前に読んだ時と全く変わらないが

執筆されたのが1978年で時代背景などを
加味して見ると
それはそれは彼女のデビュー作は
センセーショナルだったんだろうなと
納得できるし

文体の美しさ、洗練され具合は
処女作が彼女の最高傑作だったと確認するには
充分なものであった。

でも、
私が憧れた森瑤子という人は
初期の作品を書いていた
満たされない雅代さんではなく。

客観的に世の中から認められ、評価され
好かれ、代替のきかない自分を見つけることが
出来た後の森瑤子さんなのだ。

勿論「己」というものに自信をなくして
自分の存在価値を確かめる事も出来ず
暗闇の中にいた時代があったからこそ
森瑤子として世に出て、
私達をあのバブル期にぴったりのセンスと
ゴージャスさで楽しませてくれたわけなのだが、

私は世に認知された後の毒々しいまでに
インパクトをもった森瑤子というキャラクターが
好きだったのだと
再認識できたような気がする。


森瑤子の作品というのは
きっと二つに分けられるのだ

雅代ブラッキンと言う普通の女性が書いた作品と
そして女流作家森瑤子を演じる彼女が書いた作品と。

私は森瑤子を演じるようになってから書いた作品のほうが
多作で雑になったと揶揄されても
やっぱり好きなのである。


さて、憧れが色あせたかどうかは
番外編でじっくりと

つづく

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中編:憧れは色あせる:20年ぶりに森瑤子の『情事』を読んでみた。

2012-02-20 Mon 18:30
前編からお読みください。

1978年に書かれた森瑤子のデビュー作
『情事』を読み直そうとした私だが
電子書籍ではエッセイ1種類しか見つける事が出来ず
駅構内の小さな本屋には取り扱いが無く
BOOK OFFの105円コーナーで
やっと目的の『情事』を発見。


情事 (集英社文庫 143-A)情事 (集英社文庫 143-A)
(1982/04/20)
森 瑤子

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BOOK OFFの森瑤子の棚には
想像以上に沢山のタイトルが並んでいて
彼女がデビューしてから亡くなるまで
たった15年程の作家人生だったにもかかわらず
びっくりするぐらい短編と言えども作品を
世に送り出していたことに改めて思い出した。

背表紙のタイトルを見ただけで
あーこれ!!!と思い出せるものが
いくつかあった。



『東京発千夜一夜』

ああ、これって朝日新聞の連載小説で
毎日楽しみに母と今日の森瑤子の出来を
評価しながら読んだなぁとか

「夜のチョコレート」

「非常識の美学」

非常識の美学 (角川文庫)非常識の美学 (角川文庫)
(1995/02)
森 瑤子

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「終わりの美学」

終りの美学 (角川文庫)終りの美学 (角川文庫)
(1998/11)
森 瑤子

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この辺のエッセイは雑誌に連載されていて
リアルタイムに読んでいて
それらをまとめたもの。

彼女の全盛期、沢山雑誌に連載を抱え
内容がかぶりまくっていたことを鮮明に思い出した。

そして、無理をして書いているな と
読者が感じてしまうくらい
悲壮感が文章から漂ってきていたことも
フラッシュバックのように思い出した。

最も印象に残っているのは
バブル絶頂期にイタリアンが流行った時の
ティラミスの話である。

斜に構えてポジショントークし
「解ってる作家の私」を必死に演出していたのか

ティラミスをこき下ろすその連載を読んだ時
なんとなく彼女の限界を見てしまったような気が
実はしていたのだ。

流行ってるものをとにかくなんでも批判すると
わかってる風が装えてカッコイイ。

超売れっ子女流作家で
ハンサムウーマンと持て囃されて
勘違いをしているんだろうなと、
1992年の私はその雑誌を母に見せながら
リアルタイムで批判した事も思い出した。

母はどこかから漏れ聞いたのか
実は英国紳士実業家の奥様の肩書きも
実際はずいぶん違うらしいわよと教えてくれた。
(実際、この辺のリアルストーリーは
彼女の死後暴かれいまや誰でも知っているのであるが)


よく考えると最後に森瑤子をちゃんと読んだのは
一体いつだったのか?

その後私は親元を離れ東海岸で生活するようになり
いつしか森瑤子のことを忘れ
そして時たま思い出して
日本に帰国する際に買い求めたり
そして他の国へ行く為に蔵書を処分したりと
時間が経過した。

いま手元にたった一冊残る
「デザートはあなた」

デザートはあなた (朝日文芸文庫)デザートはあなた (朝日文芸文庫)
(1995/02)
森 瑤子

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読み返したのは10年も前のことだ。
アメリカに戻る飛行機で読もうと
再度購入したものなのだ。

何故この本なのか?
ドラマ化されてとても印象に残ってた
ただそれだけなんだけど。
いまでも主人公の大西俊介:岩城滉一が
料理をする姿が鮮明に焼きついている。
忌野清志郎もでてたね。

とおもったらすごい!ようつべに落ちてたので
実はブログを書くのをやめてずっと見てました。
岩城滉一が若くてびっくりしたし
料理にあわせる酒がワインではなくビールなのも
食事中に登場人物が煙草を吸う場面があったりと
時代を感じるわ。

『デザートはあなた』で紹介された
オイルサーディン丼なんて
私の周りでは一時ブームになったほど。

懐かしい題名を前に
いちいちいろんなことが思い出された。


自分の中では20年前の1992年くらいに
タイムスリップした感覚で
すさまじい数の彼女の作品たちを
題名とともに感慨を持って
一つ一つ思い出していた。


いつしか彼女より多く旅をして
多くの経験を積み
いろんな事を知る自分になった。

初めて森瑤子の作品と出会ってから
四半世紀

作家 森瑤子 に憧れ、
彼女のように旅したいと願っていた
あの頃の夢が叶ってしまった後は
すっかり忘れて彼女の作品から
まったくと言って良いほど遠ざかっていた。


その後のアポイントで移動する事を無視して
私はその棚にある森瑤子の文庫本を
すべて家に連れて帰ろうかとおもった。
だって1冊105円だし、
本は大人買いするのが子供時代からの慣例だし。
(本好き一家だったので本を好きなだけ買う事は
我が家では合法だったのだ)

なので、棚全部買いを目論んで
店内の買い物籠を探そうとしてふと思いとどまった。

果たして全部買って全部読んで
もう一度「うわっやっぱり森瑤子ってカッコイイ!」と
感動できるのか?自問自答してしまったのだ。


既に過去のどこかの時点で
もしかしたら越えてしまっているかもと
感付いていたのかもしれない。


今日は『情事』ともう一冊だけ買って読み返し
もう一度「うわあ!」って思えたら大人買いしよう。


迷いに迷って目的のデビュー作『情事』のほかに一冊
に決まったのは

『ホテルストーリー』

ホテル・ストーリー (中公文庫)ホテル・ストーリー (中公文庫)
(1999/09)
森 瑤子

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いつもの私なら
文章を読むのがめちゃくちゃ早いので
もって帰るのが重いとか
今すぐ読みたい衝動に勝てないとかだと
ちゃっちゃと立ち読みで一冊読んでしまう程なのだが

この二冊に関しては
移動中もページを開かないで望んだ。


だって、
きちんと作家 森瑤子と向き合うには
読むという環境を整えるのが
礼儀だと思ったからだ。



またまた続く。





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前編:憧れは色あせる:20年ぶりに森瑤子の『情事』を読んでみた。

2012-02-18 Sat 02:00
HKG001


香港で目覚める朝、必ず思い出すのが、
作家 森瑤子のエッセイである。
10代の頃読んだそれには
確かこう書かれていた。

香港の朝食はホテルで摂らず
街中のお粥屋に行く。




当時、作家 森瑤子が書く旅に関するエッセイは
それはそれは洗練されているように見えて
その時代まだ他の誰もやってないような
自由に旅することの面白さや
旅先での遊び方が記されていて
ほんとにときめいた。

大人になったらこういう風に旅して遊びたい。

そして今、実際そういう生活をしている。

思いついたときに1人でふらっと香港に行き
混沌とした佐敦あたりのなんでもないお粥屋で
おかゆ

ふーふーいいながら皮蛋痩肉粥を食べている時
あの頃憧れた私になっているのかなと
なんとも言えない感慨を覚えたりして。

作家 森瑤子が無くなって来年で20年だそうだ。
彼女の没後数年は色んな方面から賛美だったり
中傷だったり暴露話だったりと
本当に色んな話が漏れ聞こえていたが
ここ10年はすっかり名前を目にする機会も減った。


最初に作家森瑤子に触れたのはいつだったか。


10代の頃、私はヨーロッパ好きの両親に連れられて
頻繁に旅をしていた。

バブルが始まるずっと前だったし、
海外旅行も今ほどメジャーな娯楽ではなく、
休みのたびにヨーロッパに行く生活なんて
軽々しく友に話すものでもなく

なんとなく自慢げになるのが怖くて
夏休みは何処に行くの?と言う会話に
無難に「熱海に行く」と答えたりしていた。
(熱海も実際に行くので嘘をついてるわけではないが
そのほかにもドイツに行くとかはわざわざ言わない)

今と違ってネットも無い時代、海外旅行に関する情報は
家に送られてくるAMEXやダイナースのカード会社の冊子や
母が定期的に読むハイエンドな雑誌だけ

そこに掲載されている
グルメ評論家が連載していた世界のホテルの朝食とか
雑誌の欧州特集なんかを読んで
子供ながらにこんな旅をしたいとおもっていた。

実際、母と私が雑誌に載っていた古城ホテルに目をつけ
ここに泊まってみたーいと言い出し
当時FAXも無い時代に母がエアメールを書いて
予約を取った事もある。

お手本もなくガイドブックも充実しておらず
文字通り我が家は手探りで欧州を旅していた。

要するに私以上に回数を重ねて海外に旅する人も
まわりにはおらず、
憧れられる存在の無い状態で旅をしていたわけだ。


そこに突然、出てきたのが彼女である。
旅やホテルをテーマにした軽いタッチの小説を書き
エッセイで実際の旅日記を綴る作家 森瑤子は
本当に本当に10代の私の心を射抜いたのだ。

彼女の遊びのテリトリーは我が母校の近くで
住んでいる場所も比較的近かった為
私にとっては雲の上の存在でも遠い憧れでもなく
簡単に言えば真似したい、真似できる憧れだった。
私にとって森瑤子とは手の届かない存在ではなく
すぐそばにいて道標になりそうな存在だったのだ。

彼女のように粋に生きて
世界中を旅したい。

それから1993年に森瑤子が癌で急逝するまで
私は彼女のエッセイやら短編小説やらと一緒に時代を生きた。
1991年~朝日新聞に連載されている小説を読むためだけに
朝日と契約し毎朝連載の出来を母と評価しあったのも
いい思い出である。

彼女の全盛期日本はバブル景気に沸き
日本の未来は本当に本当に前途洋々で明るく思えた。

時代が彼女のセンスにぴったりあって当時の東京で
めちゃくちゃに狂ったようにきらめいていたのだ。

実は彼女のデビュー作すばる文学賞をとった
『情事』を私は彼女が亡くなってから読んだ。

光が消えてしまう前にちょっとの間輝きを増すような
一番輝いていた期間、森瑤子が一番ステキだった時代を
見てきた割には
私は彼女がメジャーになってから初期の
一連の作品に触れたことがなかった。

なんとなく本能的に、
彼女の陰の部分を見るのを避けていたのかもしれない。

20代になったばかりのねんねの私には
デビュー作の『情事』は全く理解不能であり、
消化する事が出来なかった。


正直、大好きな作品「デザートはあなた」を書いてる作家が
「情事」を書いた人と同一人物とは思えなかったほどだ。


今で言うアラフォーの女の焦燥感なんて
二十歳そこそこの小娘に解るはずも無かった。

理解も出来ないし共感も出来なかった。
ただ理解できない違和感が残った。
その違和感の意味が若い私には
全くわからなかった、

そして何度か
自分の人生の節目にコレクションしていた彼女の作品を
整理しないといけない外的要因が私には訪れ
手元に残った文庫本はたった一冊
「デザートはあなた」だけになった。
(これも正確に言うと10年前に買いなおしたものだが)

そんなある日。
ツイッターのタイムラインで森瑤子という名前を
ほんとうに久しぶりに見かけた。
その友のツイートを読んでいろんな事が思い出された。

そういえば最後に情事を読んで20年くらいたった。
要するに森瑤子が亡くなって
約20年の月日が流れたということだ、

何度読んでも共感することが出来なかった
鬼門とも言うべきあの作品を
この年になっていまの私が読んだらどうおもうのだろう。

電子書籍でてっとり早くダウンロードして読もうと
試みたものの『情事』のタイトルをうまく見つけることは出来ず。
駅前の本屋には在庫が無く
ここならあるかもと向かった先はBOOKOFF
森瑤子作品は105円のコーナーに
忘れられたようにそれはそれは沢山並んでいた。

続く

「本」 | top▲
アッコちゃんの時代

2006-09-12 Tue 10:22

アッコちゃんの時代 アッコちゃんの時代
林 真理子 (2005/08/30)
新潮社

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久しぶりに林真理子の小説を読んだ。

実は最近は角田光代に凝っていて
手当たり次第に角田作品を読んでる状態。

この本が、世界に存在することに この本が、世界に存在することに
角田 光代 (2005/05)
メディアファクトリー

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この本をいただいて角田作品にはまり

対岸の彼女 対岸の彼女
角田 光代 (2004/11/09)
文藝春秋

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この対岸の彼女



でノックアウトされた私は一気に
角田ファンになったのだ。
(角田作品についてはまた後日改めて書いて見たい。)


で、林真理子みたいな
いつまでたっても下手な作家には
興味がなくなっていた。


でも「アッコちゃんの時代」は別である。

なんでもバブル期に有名だった
あの川添明子さんをモデルに取材して
書いたというではないか。

遅ればせながら読ませてもらったけど。


林真理子って小説も下手だけどさ
取材力も無いのね。
(いかに山崎豊子の取材力がすごいかを
思い知らされる)


林真理子はあの狂乱のバブル時代
あの時あの場所にいなかった。
って圧倒的不利な事実を結局取材で埋められていない。


ロストワールド ロストワールド
林 真理子 (1999/03)
読売新聞社

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このロストワールドでバブル期を書くことに
つまづいた癖して
性懲りも無くまだ書きたいか?という感は否めない


あなたには無理です。



気になったのは登場人物達の薄っぺらさ。


あの時代の実体の無いお金にタカって
いい思いをした女達を描写してるっていう
スタンス。


あのさ、
あの時代にあそこで実際に遊んでた人間から
言わせて貰うと

美しい容姿と有名女子校在学中のブランドがあれば
いくらだって貢ぐ男たちがいたって言うけどさー

私達メジャーな遊びをやってたモノから見たら
そんなの田舎モンのダサい子がやることだった。

爆風スランプの週刊東京「少女A」歌詞の中にあるけど
「10ケタもあるテレフォンナンバー」
を恥ずかしくて教えられないって
その歌詞を聞いて爆笑したもんだけど

(当時は市外局番を入れると10桁になる電話番号は
田舎モンの証拠であった。何故なら当時東京は
03-のあとは7桁だったのだ)

マジで川口市(ってどこ?)からやってきてた
ちょっとだけかわいい子は言ってた。
住所も恥ずかしいって
そりゃそうだろ。


アハハ


たいてい東京都下の○○市とかから
えっちらおっちら六本木まで上京してくる
まさに爆風スランプの歌詞さながらの
痛々しい子達が
そういう毛並みの悪い男達にタカって遊んでた。

実家も貧乏だったんだろうねえ。
どう考えても良いおうちの出でないことは確かだ
そうじゃなきゃ、あんな下品な遊び方はしない。
育ちがわかるというけど。
ほら、あの当時有名な遊び人と言われた人たちは
みーんな○○市からの上京組であった。


有名女子大在籍といっても
外部とよばれて馬鹿にされていたような
そういう血統の悪い子が
プライドもなく成り上がりのオトコに
金を出させていたわけだ。
(自分に金が無いからね。)

酷いのになると
実際は学校行ってないのに
ウチの学校の名前を語って遊んでた。


何処の学校?とか聞くと
ウチの学校の名前言うからさ
人数少ないので大体名前を知ってたから

「あんたなんかしらない!」

いじめてたっけ。



タクシーの争奪戦だってさー
家が遠いから起こる事であって
六本木から近ければ問題ないわけだしねえ

ぷぷぷ


自分のBMW(笑)やベンツ(笑)で遊びに行っちゃえば
帰りの足なんか何のことは無かったし


あ、それから
林真理子の取材力の無さを露呈してるのは
アッコちゃんの時代のなかに
「六本木カローラ」として登場するのが

メルセデスベンツCクラス・・って

あーた

あの時代Cクラスなんか無かったス。


あったのはメルセデスベンツ190E(子ベンツ)と
BMW3シリーズ=いわゆる六本木カローラよ。


あーもう、林真理子ったら
何も知らないでさ、

「取材して書いた」とか
いわないでほしいわあ。
ベンツのCクラスが日本に上陸したのは
もうちっと後ですってば。
(1993年以降のバブル崩壊後)

正確に言うと
Eクラスの最下層モデルだった190Eは
車としての出来は物凄くよかったんだけど
Eクラスの最下層モデルってことが仇になって
「子ベンツ」と揶揄されることが多かった
値段も安かったしね。

この車としては極上の出来だった
190Eの後継モデルが
新しくカテゴリーが作られたCクラスだったわけ。

んなことぐらい調べなくても
常識だろう。。。

要は猫も杓子も190Eを買った時代が
バブル期だったわけで
私の回りでも免許取った最初の車が
190Eって子は何人も居た。
要はお父さんが娘に買って与える車としては
手ごろなベンツだったわけだ。

その同じ価格レンジのBMWが
3シリーズだったわけ。

これも猫も杓子もこの時代乗ってたわ。



ってなわけで

あまりにも薄っぺらな小説だったので
あっという間に読めてしまったのであった。


林真理子は何が書きたかったんだ?
あの時男達から貢いでもらえないほどデブでブス
だった自分のコンプレックスを
ぶつけたかったのか?

あのバブル期には本当にいい女は
オトコになんか貢がせたりしてなかったすよ。

別に、地上げ屋や金持ち社長の愛人に
わざわざならなくったってさ~。
わたしなんかPARISのヴィトンやシャネルで
中学生から買い物してたからな。

男に買ってもらわなくても親が買ってくれてたよ。


この小説の登場人物たちは、
たいしたこと無い家に生まれたかわいそうな人が
やっぱり自分の生まれってのは頭が悪いと
覆せないと悟る小説だったんかね?
(いいすぎ?意地悪?)



林真理子自身が
生まれだけは覆らない事実を一番良く知ってるような
気がするけどね


でもさ、
女としての美だけを武器にオトコに金を出させるのって
ほんと頭悪そうだよね~。

知性も美も両立させてこそ
なんじゃないのかね?


読後感の良くない本を読んじゃったので


ティッピング・POINTとBLUEオーシャン戦略の
本でも読んで勉強しなおそ~っと



2015年の記事はこちら↓をクリック
「アッコちゃんの時代(2005)」は主人公を再利用?林真理子「花探し(2000)」の読書感想文を2015年に書いてみる。




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